第10回 生き物にもどれ。
だから、あまりこういう議論をするとねのってくる人は、文科系の人は議論には加わるけれど、我々の同類と言いますかね、同業者は、そんな退屈な話には付き合えないというのが、ほとんどですね。
[糸井]
はぁ、そういうものですか。
まあ、そのほうが自己の能力を発揮しているような気はしますものね。
[井上]
そこを考えるのは、無駄だと。
そんな時間あるなら、こっちやらなきゃと、そういう功利的なことでしょうね。
本来そっちが栄養になって、こっちが出てくるんだ、ということの方が大事だと思うんですね。
そういう意味で睡眠というのは、休みながら、言わば充電してさらに活動するという、そういう発想を持ち込まない限りは、より現象を正確にはつかめないだろうと。
ただそれは評価される問題じゃないですから、そこへエネルギーつぎ込むのは無駄だ、損だということの方が現代的ではあるでしょうね。
ただこっちは、また昔話に戻りますけど、高校生のとき1年間、寝たまま本を読むしかなかったから、結果としていろんなことを自分なりに考える充電期間が非常に長くあったわけですね。
受験勉強なんかですり減らずに済んだ分だけ、それがいまになって、ある程度つながってるかなという気はしますね。
[糸井]
それが大きくつながってるような気持ち、ほんとに幸福感がありますよね。
研究なさってた睡眠と高校生のときに考えていたようなことがつながってますよね。
[井上]
幸福かどうかわかりませんけれど、いま、そういう意味では、なにしろ、ちゃんと寝てればいつ死んでもいいやというような(笑)
そういう気分で毎日生きていられるということはありがたいと思ってはいますけどね。
そういう意味じゃ、人と同じような発想しないし、ひねくれじじいになっちゃったけども、その自分自身の管理は自分でやって、自分で勝手なことをできるだけ、幸せなことだなという、そういう感じはします。
(つづきます。)
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