シェイクスピア講座は ことばのパンチの連打

むかしむかし、と
「ミライミライ」を交錯させる物語作者ならではのある意味、アクロバティックなシェイクスピア講座でした。

まず示されたのが、
「四つの変奏曲」と題された四種の戯曲。
受講生有志が演じてくれました。

シェイクスピア作福田恆存訳の『マクベス』と坪内逍遥訳の『マクベス』、そして『マクベス』を元にした黒澤明監督の『蜘蛛巣城』。
固有名詞を入れ替えて古川さんがリミックスした4種の脚本は、見分けがつかないくらい同じ空気感をたたえています。

野心を抱いた武将による下剋上の物語である『マクベス』を日本に引き寄せるときに黒澤監督がつかった戦国武将という設定の妙があらためてよくわかります。

これを手がかりに、古川さんは400年前のシェイクスピアは、時間と距離の隔たりを考えると、現代の日本人にとっては800年前の『平家物語』と重なるところがあるのではないか、と語りかけます。

ともに滅びの物語である『マクベス』と『平家物語』。
主人公同士以上にマクベス夫人と平清盛の妻・時子
(二位尼)の強さという共通項があると古川さんは語ります。
予言やスパイ、魔女ともののけ、アーメンと南無阿弥陀仏……さまざまな共通項の最たるものが、有名な『平家物語』の書き出し祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きありと、『マクベス』の幕開き、
「きれいはきたない、きたないはきれい」
だと古川さんは言います。
つまり、すべては変わるという世界観。
わけがわからないし、破天荒だけれど、この世ぜんぶが入っている。
ああ、生きているってこういう感じだよね、全部あるよね。
そう思えるからこそ、極端なドラマが生々しくなる。

聞いていた受講生のみなさん、古川さんが現代語訳した『平家物語』を読みたくなったでしょうね。
そして、こういう理解をもって『マクベス』を読み直したくもなる。
そんな授業でした。

もうひとつ、『平家物語』を現代語訳していたときの古川さんのエピソードが心に残りました。
全13巻のうちの11巻を訳しているとき、胸が痛くて動けなくなったそうです。
2日ほどで痛みは消えたのですが、振り返るとちょうどそのとき、壇ノ浦の戦を訳していたそうです。
「描かれているのは、実在した人々。
現代語訳をすることで、もう一度、この人たちを殺している。
祟られるかもしれない。
そのくらの気持ちで、本気で現代語訳した。
それは小さな供養だったのかもしれない」
古典を現代に引き寄せるとはどういうことなのか。
その一端を感じることができました。

2018/07/10 22:37

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