魔法の方程式はない(6月9日)
・同じ仕事を何年もやっていくうちに、それまでにできなかったことが、できるようになったりしていきます。新人のころには、ものすごい難題に見えたことでも、その難しさの正体がわかったら、やり方が見えます。経験の浅いころには、「できないかもしれない」と思いながらやってたことも、やがては、「できる」と思ってやれるようになります。
・じぶんのことを考えても、そういうものでした。世界中の悩みを一手に引き受けたような顔をして、ひとつのコピーを書くのに、天井を見つめたり、公園に出かけて空気を変えようとしたり、ヒントになりそうな本を虚ろな目で読み出したり、腕組みして周囲をにらみつけてみたり、やっていたことがあるんです、ぼくも。
「できる」という感触を知らないものですから、わけのわからない恐怖が背中に張り付いてるんです。「できない」ような気がしているから、苦悩するんです。
「できたことがある」ということが増えていくと、「このあたりは、あれに似てるな」とか、「ここはスキがあったほうがいいんだ」とか、解決への道筋が明るく見えてきます。そうなってはじめて、ほんとうに考えることが、できるようになっていくのだと思います。
・あの日からの、ぼくらの目の前や、ぼくらの背後には、経験したことのなかった状況が現われました。はじめてだし、暗いし、見えないのだから、「考える」ことにたどりつくより前に、「悩む」ことでこころがいっぱいになります。
ぜんぶを解決する魔法の方程式みたいなものは、おそらく、ないのだと思います。「これはできた」「ここはわかった」「これだけ進んだ」というような、みんなの手探りの経験の総和が、ぼくらの手に入れた財産であり、材料だと思います。失敗も含めた材料が、やっと揃いはじめたいま、やっと「考える」ための時がやってきたのかもしれない。
今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。いま「考え中」の企画が、列をつくって待っております。
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