自衛隊の人たちへの「ありがとう」のことば(5月29日)
・自衛隊の人たちが読むフリーペーパーに、寄稿を依頼されて、昨日、それを書きました。書き出すまで、何をどう書くか決めてなかったのですが、自然と、こんなことを書いていました。
じっと嘆きながら見つめていたら、瓦礫の山が片付くのなら、どんなにか楽だろう。徹夜で語り合っていれば、行方不明の人たちが見つかるのなら、どれほどうれしいだろう。しかし、そんなことはあるはずもないわけで、じっと嘆きながら立ちすくんでいたら、状況は何も好転しない。おそらく悪くなっていくばかりだった。
誰かが、具体的に、その場面を変えていかねばならない。人々がおろおろしている時、すでに、現場には自衛隊がいた。何をするべきかをわかっている人々が、黙々とそのすべきことを続けていた。
ありがとう、と思った。助けられた、と思った。手をこまねいているばかりだった人々からの、自衛隊への「ありがとう」のことばは、働いている隊員たちの背中にかけられた。
彼らは、忙しくやるべきことをしていたので、お礼や応援のことばに、振り向くことさえしなかった。黙って、手を足を頭を、そして心を使っていた。
たまに写真で見る隊員たちの表情は、若くて、しっかりしているけれど、幼さも残っているようにも見えた。誰かの息子であったり、誰かの夫であったり、だれかのおとうさんであったりする若い人たちは、被災の現場の人たちだけでなく、離れた場所でじぶんの無力と共にあるぼくらの心までも救ってくれたのだった。
長い間、ずっと背中に向けて言うしかなかった心からのありがとうを、この場で、向き合って言えることを、ほんとうにうれしく思っています。言うことは、ただそれだけです。ほんとうに、ありがとう。
長くなりましたが、そのままここに再録しました。
今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。台風の日にもたくさんの「現場」が、働き続けています。
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