「祈りの時間」をまとめませんか(4月25日)

・被災地の人は、他の土地の人たちに「忘れられてない」と知るだけで、とてもこころづよいものなのだ、と聞きました。「悲しみを共有してくれる必要はない」とも、よく言われました。

日本中どこにいる人にも、それぞれに、なにかしらの被害があったはずです。そして、じぶんの生きることでせいいっぱい、というだけではすまない「なにか」を、どうしたらいいのか、みんなが悩んでいました。

悲しみを胸に抱えたままで、仕事をするのはむつかしい。四六時中祈りながら、日常を取り戻すのもむつかしい。生きて暮らしていくことって、力仕事です。そうそう簡単なものじゃないわけで、泣いたり鼻水をすすりながらじゃ、力は出せません。

だから、昔の人は、祈りと生活を、いったん切り離して、くっつけたんですね。

つまり、しっかり祈る、悲しむなら悲しむ。そして、日常の時間にもどって元気で暮らす。そしてまた、しっかり祈る。さらにまた、なにごともないかのように強く生きる。「祈りの時間」を、まとめたんです。いつもいつも祈りながら、じゃなくてね。

ぼくらも、そうしたほうがいいと思ったのです。宮城で津波にあった人に、そのことを提案したら、「だったら、地震のあった2時46分よりも、津波に襲われた4時前に祈りたい」と言いました。それはいい、と思いましたが、誰もがそうしなくてもいいような気もします。人によっては、一日のはじまる朝にしたい人も、ベッドに入って祈りたい人もいると思うのです。どの時間でも、どういう場所でもいいんじゃないかな。毎日、忘れないで「祈る」ことにしたら、自信を持って、明るく力を出せそうです。忘れないため、しっかり生きるため、力を出すため、「祈りの時間」をまとめませんか、という提案です。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。これ、近くにいる人たちのことを祈る機会でも、あります。
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