ヒントは希望のなかにある(3月18日)

・ぼくは、いま起っているような厳しい問題について、専門的な知識も経験も持っているものではありません。

ですから、なにかに向って突き進むということも、反対の意見を全力で封じるということも、できるものではありません。いや、もともと、どっちが正しいかなんて、どうでもいいと思っているような気もします。ごくふつうの人にとって、ごくふつうの人たちの、ごくふつうの毎日にとって、よいことならば、正しくなくたってかまわないです。
 どんな時代にも、たのしいだの、悲しいだの、人間がやってることは変わりません。「歴史上、最も正しい時代をつくろう!」なんていうスローガンがあったとしても、うれしくもなんともないですもんね。

・そういう、なんにつけても素人のぼくが、よく「光の射す方向を見よう」と言い続けているのは、他に方法があると思えないからです。「希望はない」「あれもこれもまちがっている」ということは、いくらでも言えると思います。正直に言って、塀によりかかったらそのまま倒れた、なんて感じのことだって、けっこうありますからね。

ヒントは希望のなかにある、と、つくづく知らされたのが、昨年のチリの落盤事故のときでした。地下634メートルの坑内に閉じこめられた人びとは、生存が確認されるまで18日間かかりました。33人という「仲間たち」の数は、心強いとも言えるし、それだけ考えや行動がバラバラになる可能性を秘めていたとも言えるでしょう。ここで生きる、助かる可能性は、鉱山会社への憎しみを語りあうことでもなく、どう考えても答えはない、と正論を吐くことでもなく、「救助されるつもり」で、しぶとく生きることでした。闇を数えるのでなく、微かに光のある方向を向く。これなら、誰でもできるように思えるんです。

今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。ラジオは音楽を流して、と、現地からメールがありました。
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