自分を小さなリーダーに(3月16日)

・昨日、ここで、「右往左往」するのでなく、 「右往する」あるいは「左往する」、と、しっかり判断することが大事、と書きました。
 たとえば、結婚式だとか、卒業式だとか、やっとこぎつけたデートだとかだって、そうです。「判断」しなきゃならなくなっています。たくさんの人たちを楽しませたり励ましたりもできる野球の試合だとか、演劇の舞台だとかも、そうです。どっちの道も選択できるし、どっちの道を選んでも、正解とは言い切れません。しかし、どっちにするか悩んでるままではいられない。
 
「どちらの判断も尊い」、真剣に考えたのなら、思い切って右にでも、左にでも進めばいいと思います。あとで、結果だけを見て、「そらみたことか」とか「ああすればよかった」とか、言われることだってあるでしょう。でも、信じて「右往」しましょう。じぶんを小さなリーダーとして、判断しましょうよ。
 
・おそらく、より厳しい状況にある被災地でも、どっちにも進みがたい問題が、山積みになってるはず。分け方、配り方、待つのか動くのか‥‥。人間の命や苦しみにつながるような「判断」が、たえず行われていると思います。「どちらの判断も尊い」、選んだ道の幸福を祈ります。

・たとえば東京にいるじぶんは、被災地にいるのか?それについても、意見は分かれているようです。身の安全が、まったく守られているとは言いきれない。だけど、ぼくは、できることなら、東京のみんなは「助ける側」にいる働き手だと思ってほしいです。看病する人が我が身の心配ばかりしてると、けが人だって途方に暮れてしまいます。そういう意味でも、原発の危険という問題は、あまりに広域の人びとを「被害者意識」にします。この問題が、先に解決されることが、日本全体の体力を取り戻すことだと思っています。ぼくの「判断」では、東京は「元気」です。

今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。どこにいても、からだが資本。じょうずに過ごしましょう。
感想を送る
友だちに教える
「東日本大震災のこと。」TOPへ