実の主役は「気仙沼」(3月28日)

・まだ言ってるのか、と思われるかもしれませんが、ええそうです、まだ『気仙沼さんま寄席』の話が、あちこちで続いているのです。

ぼくはぼくで、ひとりになってからも、「ほぼ日手帳」にこんなメモなどしています。

<町を観光バスが走るということが、どうしてうれしいことなのか?>それなりに考えてみたりしているわけです。まず、観光バスが町を走ってるということは、そこに乗っている人たちが、「来たかった」と思っているということです。

気仙沼でいえば、一年前に大きな災害にあって、町の人たちの目に映っていた景色は、つらいことや悲しいこと、悔しいことだらけです。だけど、そういう傷跡だらけのこの町に、「来たかった」人がいるということは、この町には、来るだけの理由があり、来るだけの価値があるということ。

忘れられて置き去りにされてしまうのではないか、という強い怖れがあったくらいなのに、「来たかった」と言ってもらうことはできる。「来たかった」と言われる町なんだ。遠くから、観光バスの人たちがやってくる町なんだ。そこに「誇り」が感じられるんですよね。あ、町としての「自己肯定感」というものだね。まだまだ、まだまだ十分な歓迎はできないけれど、次に来るときには、もっときれいになってるよ。それぞれの魚のおいしい季節においで、牡蠣もすっかり育ってると思うよ、ってね。

もちろん、志の輔さんを大黒柱に据えた企画ですが、誰もが、実の主役は「気仙沼」だとわかってました。「観光バス」は「来たい=期待」のシンボルです。これからも、どんどん来てもらえるようにしたいです。今回のように、「また会おうね」と言いあえる町を、お手伝いのぼくらも、しっかり考えていきたいです。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。オランダの最高のシロウト、ヨリスさん対談乞うご期待。
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