なにか奇跡みたいなもの(3月26日)
・野球ファンには、野球ファンの、サッカーファンには、サッカーファンの、音楽ファンには、音楽ファンの、この場所に居合わせてよかったというような時間が、きっとあると思うのですが。おそらく、昨日の『気仙沼さんま寄席』は、落語ファンが、「ここにいて幸運だった」と思うような、すばらしい場になりました。
志の輔さんが、高座で最初に冗談めかして言いましたが、東京でやってるのと同じだったら、わざわざ気仙沼でやることはないのにねぇ。そうですよ、それはわかっていたんです。でも、その「わざわざ気仙沼」に千人が集まれば、なにか奇跡みたいなものが起こるんですよね。
・地元の人たちの、持ち合わせの材料のすべてを出して、お客さんたちを迎えいれようという気持ち。全国から集まる人たちの、この地のためになにを手伝おうかという意気込み。このふたつが潮流のように渦巻いてすばらしい漁場をつくったのでしょうか。志の輔さんの『中村仲蔵』、何年か前にパルコで聴いたときもだったけれど、そのとき以上に心が動きました。たくさんの人が目を濡らしていましたね。落語ってものがあってほんとによかったと思う日でした。
・千人のお客さんが、気仙沼の町を歩くと、やっぱり町が「浮き足立つ」と言われました。住んでる人たちも、そわそわするんだそうです。「観光バスが、ほんとに走ってるの見たもんねぇ」と、泣き笑いのように言ってくれる人がいました。一方で、「地面に立って、被災した地面を見た」「それは、テレビで見たものとはちがってた」と、落語とは別に見たものを語るお客さんもいました。地元のおかみさんのガイドに、泣き笑いした人、たくさんのお土産を家の住所に送るひと‥‥。気仙沼と、全国が混じり合ったような日でもありました。なんか全体に「泣き笑い」の一日でしたね。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。これからも、いろいろ気仙沼の手伝いをさせてください。
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