また3月11日がやってきて(3月11日)
・3月11日からひとまわりして、また3月11日がやってきて、それなりにいろいろなことを思います。まっ先に思ったのは、早い春のイメージさえあるこの日が、とても寒い時期だったということです。この寒さのなかに、あの日があったのだとわかると、そこに想像が至ってなかったことを、いまごろ知ります。不安そうな人々の顔に降りかかる白い雪も見えていたはずなのになぁ。
・スキー場のゲレンデで、昨夜は花火を見ました。一発目の花火が開くのが見えたとき、そのときだけ、遠慮がちな歓声があがりました。雪はずっと降っていましたし、空は厚い雲に覆われていましたから、地上にいる者の目には、きっと花火は見えないと思っていたのに、くっきりと大きな光の球体が空に浮かんだからです。ぼくらにも見せてもらえるんだ、と、思いがけぬプレゼントに驚いた声がでました。生きている者に見えなくても、天国の人たちに見えればいいという花火でしたから、見えないことは覚悟していたのです。でも、見せてもらってよかった。花火が、空へ向けての献花だということを、その場にいたみんなが、よく心得ていました。人の声のない、真剣な視線の集まる花火の夜でした。おとなたちは、黙して空を見上げていました。その場にいた子どもたちも、静かにしていました。2万発という数の多さを胸に刻む時間でした。
・お話かわりまして‥‥。明石家さんまさんの新弟子時代、掃除をしていたところに笑福亭松之助師匠が「掃除はおもろいか?」と訊いた。さんまさんは「おもろないです」と答えたそうです。そしたら、松之助師匠は「そうやろ。そやから、おもろぅするんや」と言ったと。この逸話、期間限定で「ほぼ日」に載っていましたが、これ、ぼくは大好きなんです。よりによって、この日にまた思い出しました。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。ぼくは気仙沼にいますが、人と会ったり歩いたりしてます。
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