ちょっと逃げたいくらいの気持ち(3月10日)

・3月10日という日付を意識すると、ついつい、なにを書こうかと手が止まってしまいます。テレビや、新聞、雑誌、ネットの上には、当然のように1年前のあの日に関連した情報が集中し、正直なところ、あれほど毎日考えていたことなのに、ちょっと逃げたいくらいの気持ちになっています。

そんなにいっぺんに見たり感じたり考えたりできないよ。送り手のほうは、力のかぎり、練りに練ってつくった企画であり、番組でしょうが、うん、そう、とてもぜんぶは飲みこめない。

・だいたい、ぼくらが震災についてやってきたことなんて、「たいしたことはできない」「たいしたことないやつ」としての、のろのろした歩みだったわけでして、だからこそ、投げ出したり忘れたりせずにいられました。しかし、3月11日が近くなってくると、もっと「本格的」で「激しい声」が渦巻いてくるので、「受け手」として苦しくなってきています。

・「なんでもない日、おめでとう」という気持ちで、できる手伝いをやっていくことなら、なんとか工夫したり、ちょっと意気ごんだりで、それなりに長く続けていけると思います。ただ、ほんとうに「たいしたことはできない」んです。

仮に(被災の現地にいようが、国会にいようが)、じぶんが当事者としてなにができただろうと想像したら、いまごろ、きっと責め立てられているでしょうね。じぶんが修練してきたことや、経験を積んできたことは、あの日や、翌日や、その週には、まったく役に立たないことばかりだったと思います。

ただ、こういう、たいがい無力な人間にでも、「できること」はあるんだと思っています。じっくりじっくり「たいしたことないこと」を、飽きず忘れずに長いこと溜めていくことです。できるだけ軽やかに、笑顔さえも仕事のうちと思って、「やればだれでもできること」を、考えていきます。今日と明日は、テレビ画面から離れようかなぁ‥‥。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。雨か雪か、曇りか晴れか? スコップ団の花火の夜です。
感想を送る
友だちに教える
「東日本大震災のこと。」TOPへ