福島を回りました(3月6日)

・ラジオ福島の大和田新さんのご案内で、まるまる一日、福島を回りました。同行してくれたのは、毎日新聞の斗ヶ沢秀俊さん、福島の駅からスタートして、主に相馬市、南相馬市の沿岸を走り、あちこちで止まっては、そこにあるものを見ました。

忘れていたなんていうと、ほんとうに失礼なのですが、そうなじられるのを覚悟で言えば、福島の海沿いの地域というのは、津波の大きな被害を受けたところでした。宮城や岩手は、地震と津波に襲われた被害、そして福島は原発事故の放射能被害、と、なんとなく震災報道は色分けされていたように思います。それは、いつのまにやらの思いこみで、東日本大震災において、福島で命を失った人と行方不明になった人、そして、破壊された施設や道路は、そのほぼすべてが津波に襲われてのものだったのです。

原発の事故があったために、避難地域が決められたり、救助や捜索が遅くなってしまったり、報道陣の取材が原発関連に集中したせいで、津波の爪痕については、まるで、なかったかのようになってしまったわけです。実際は、福島は、原発と津波からの復興の問題と、両方を抱えているということになります。

それでも、問題は、解決に向って考えられるべきです。立谷秀清相馬市長をはじめ、何人かの方にお会いして、ぼくらだったら途方に暮れてしまいそうな状況を、少しずつじりじりと、あるいは力強く大胆に、変えていこうとしていることに、じぃんとしました。「被災した人が、その後の人生設計をできること」そこに向けて動いている人たちが、たしかにいます。

福島の復興の歩みは、他より遅くなったかもしれない。でも、「笑いあえる福島に」という声を、一日のうちで、何度も目に耳にしました。ほんとうに、人間って、思っている何倍も強い。きっと、笑いあえる福島になるはずです。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。昨日は、こころが動いて動いてしょうがなかった日でした。
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