
中学生の頃、理科の授業中にMくんは「ブラウン運動」を「ゲルマン運動」と言ってました。笑えたけど(同じ時期に習ったので)なんかわかる気もした言いまつがいでした。(Rui)

「俺、いつかアレやってみたいんだよね。バンバンジー」バンジージャンプ、だろ。(フジコ)

高校生の時、学校が終わりなかなか帰ろうとしない仲間に対して、友達が勢いよく「帰ろうぞ!」と、言い放ちました。ホントは、「帰ろうよ!」って言いたかったんだそうです。(江戸キューピー)

今日、退社するとき、「じゃあ!」と言おうか、「では!」と言おうか、一瞬迷ってしまい、「じわ!」になりました。(mash01)

先日、さばの味噌煮のことを、「かばのにそみ」と言ってしまいました。(さと)

私は、塾の講師をしているのですが、中学3年生相手に数学を教えていたある日の授業で一言「ルートの中と外は結婚できないの!」計算って言いたかったのに‥‥。(あいこ)

弟は、18歳のときから海外暮らしのためもあってまつがった日本語メールを寄越します。「今日も暇でやることない。これじゃタダ働きだな」(ゆ)

うちの母はよく言いまつがえる。ある日「ゼクシィー(結婚情報雑誌)買ってきて」とお買い物の時頼んだら「本屋さんにジプシーなんて雑誌ないってよ」。違うわい!結婚前にさすらってどうするんじゃ?!(麻由)

先日、母がやってくれました。私が「今度友達と巣鴨に行く」と言うと、「ああ、あそこは骨抜き地蔵があるねえ」面白かったので職場でその話をすると皆「骨抜き‥‥」と、まつがいを連発。どうやら伝染するようです。(どみ肉)

家の母は近所に出来た「村さ来」を見て、「これ何の店、『むらさこい』って?」過疎化の村で嫁を募集しているみたいだ。(Satomi)

うちの母は「こてっちゃん」のことを「こてっこちゃん」という。「こ」が多いって!と何度言っても直らない。(ちゃめ)

小学生の頃、アディダスのウィンドブレーカーを母に買ってもらいました。母はしきりに「これいいでしょ、アビバスよ、アビバス」と言ってました。20年以上経った今でもたぶん母はアビバスだと信じてるはずです。「adidas−abibas」似てるっちゃあ、似てる。(スパシーバ・田中)

母がニュースを見ながら、一言。「イルカの人たちどうなったんだろうねー」私の頭の中で『なごり雪』が流れ始めた頃、父が「イラク、イラク」と翻訳をしてくれました。(washi)

私の同僚は、電話でお客さんに電話のつなぎ方の説明をするとき、一生懸命「あのですねぇ〜壁のところにモジャラージャックがあってそこに電話の線を差し込むんですけど〜」「そうです!モジャラージャックです!モジャラージャック!」と連呼していた。(きんぐ)

航空会社にいた頃の話です。鳴りまくる電話や、空席待ち呼出し放送に追われていた先輩。とうとうやってしまいました。マイクを持って「もしもーーーーーーし!」大勢の空席待ち旅客のいるロビーに響き渡っていました。(まる)

以前、採用と退職の手続きを担当していました。新入社員のとき、上司が私に「今月退職のひとは?」と私への確認のため尋ねました。たしか植木さんだ、と記憶していたので「植木等さんです!!」と大声で返事をしてしまいました。「‥‥そりゃあスーダラ節だ」と上司のひとことも効き、あたりは大爆笑。あとあと手続きが終わったあとの報告まで「スーダラ節は辞めたな」と言われ続けました。(むむこ)

私の友達の父はファミレスに行きサラダを注文。「ドレッシング和風と洋風ございますが、どちらになさいますか?」という質問に「和洋」と真顔でキッパリ言ったそうです。(アズ)

パチンコ屋経営の父はいつも自分の仕事の事を「最近流行のアドベンチャー・ビジネスやから‥‥」とのたもうておりました。豪語する父に、そりゃ、ベンチャーのまつがい‥‥とは言えず‥‥。(DORA娘)

2ヵ月ほど前ガソリンスタンドでエンジンオイルの交換をお願いするときに、うっかり間違えて「エンジン交換お願いします」と言ってしまいました。しかも、は?という顔をされてもまだ気づかずに、そのあと2度ほど「エンジン交換を‥‥」といってからやっと間違いに気づいて「オイル交換お願いします」と言い直しました。待っている間恥ずかしくてしょうがなかったです。(にゃんぴょう)

中学校の英語の授業で。「12月」を英語(December)で答えなさいと先生に言われた秀才I君は「ディーメンバー」とすばらしい発音で答えた。発音があまりにもよかったので少し考えた後、先生は優しく間違いを指摘した。(まあこう)

私の友達は、小二の国語の授業の時、「ええ、ええ、春は来てますとも」を、先生が「元気よく、感情を込めて読んでくださいね」と言った所「ええっ!?ええっ!?春は来てますとも!?」と、疑問符、感嘆符付きで読みました。(加藤)
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