キョンキョンと原宿を歩く。

小泉 わたしが知ってるセントラルアパートって、
地下に、マーケットみたいな
若い子向けのお店があって、
そこにはよく行ってたんです。
ロンドンとかで買いつけてきた化粧品とか、
ぐっちゃぐちゃに置いてあったんだけど、
大好きだった。
糸井 一時期、ディスコもあったんだよ。
ブラックシープっていう。
小泉 セントラルアパートに?
へえぇ、それは知らない。
糸井 あとは、そうだなぁ、
お酒も飲めて、ピラフとかピザとか、
ちょっとしたものを食べられる、
スナックみたいなお店がいっぱいありましたね。
そこに人が集まって、
新しく入った店の女の子がいいとか悪いとか、
デザイナーの助手連中なんかが、
ああでもないこうでもないっていうのを
聞きながら、
誰が落とすかなぁ、みたいなね。
小泉 はははは。
糸井 たのしかったんだよ、そういうのが。
セントラルアパートの1階には
「クレドール」っていう喫茶店もあったし、
「レオン」は「レオン」で、女の子たちが
くるくる変わってたし。
でも、女の子たちはすぐにいなくなっちゃう。
悲しい思い出を残して、田舎に帰るんだよ。
小泉 ふふふーん(笑)。
糸井 あと、同じフロアには「MILK」があったね。
ちっちゃーい、一坪くらいのブティック。
小泉 うん、うん。
(大川)ひとみさんのお店。
福禄寿飯店のこっち側にあったんですよね。
糸井 そうです。
小泉 入口だけちっちゃいのかなぁと思ったら、
奥までずーっとちっちゃいの(笑)。
糸井 そう、細長い店でね。
1階にはそういう店がいろいろ入っていて、
ほかは、フリーのカメラマンの事務所とか、
雑誌の編集部とかがあってね。
セントラルアパートといえば、
鋤田(正義)さん、操上和美さん、浅井慎平さん。
それから、その事務所に来る、
スタイリストのヤッコ(高橋靖子)さんがいて、
『話の特集』の編集室があって。
ぼくは、そういう人たちのなかで、
ずーっと下っ端だったから、
のびのびと、楽しかったです。
小泉 ふふふふ。
糸井 「レオン」のコーヒーをいちばん飲んだのは、
ぼくかもしれない。
会社にいないで、一日中
「レオン」にいましたからね。
誰かお客さんが来るときも、
「ぼく、下にいますから」って、
「下」って言葉で通じてた(笑)。
小泉 下イコール「レオン」(笑)。
糸井 そう。
あの頃って、ほんとに喫茶店が好きだったな。
なんだったんだろう、あれは(笑)。
小泉 「レオン」みたいな喫茶店も、
いまはずいぶん減ってしまって、
つまらないですね。
そういうたまり場みたいな場所が
なくなっちゃった。
糸井 そうだね。
でも、いまのぼくは自分の会社が
そういう場所になってるから、
喫茶店はいらなくなっていったのかもしれない。
それにほら、あの頃は下っ端だったから、
会社のなかで無駄話してると、
怒られちゃったんですよ。
小泉 そうか、外に出たい理由があったんですね。
糸井 そう。だから「下」に逃げてたんじゃないかなぁ。
それと、外国がめずらしかった時代とが
重なってるんですよね。
小泉 あ、情報がいまみたいには入って来ないから、
そういう場所で情報を。
糸井 そう。誰かが持ってきた外国みやげに、
「おおー!」って、
みんなが沸いた時代。
誰かが髪を染めたら、また次のやつが染める。
いろんな新しいことが、そこから、
ツーっと、広がっていったんです。
小泉 おしゃれな情報とか、雑誌にも、
いまのようには載ってなかっただろうし。
糸井 そうだね。
ぼくは、『MEN'S CLUB』という雑誌で
小さい連載をもってたから、
ファッションの記事もけっこう見てたんだけど、
1970年代の前半くらいまでのファッションって、
アメリカのファッションを
真似してただけだったの。
東京がファッションを
発信しはじめたといえるのって、
1970年代半ば以降のことなんです。
川久保玲さんがコム デ ギャルソンを立ち上げて、
鈴屋に卸して、じょじょに大きくなっていったり、
菊池武夫さんがBIGIをつくったりした。
小泉 鈴屋って、スタイリストの堀越絹衣さんとか、
ミルクの大川ひとみさんとかが
バイトをしていたという話を
聞いたことがあります。
そこから、堀越さんは
コム デ ギャルソンに入ったり、
ひとみさんは自分でブランドを始めたり。
糸井 そうですか、それは、リアルですね。
‥‥つまり、店員さんだったり、
当時下っ端だった子たちが
次の時代のファッションを
つくっていったということなんですよね。
鈴屋と、それから
当時新宿にあった森英恵さんのお店、
そのふたつの存在は大きいですね。
小泉 うん、うん。
糸井 新しい時代って、メインの道から
生まれた試しがないんですよねぇ。
メインストリームを外れた人が、
次の時代をつくっていく。
それは、ファッションに限らずね。
それはいつの時代にも
言えることかもしれないです。

(つづきます)


2011-03-08-TUE