クマちゃんからの便り

原野の天狗

ひと月前はまだ紅葉の真っ最中だった。
勇払原野が深まるにつれて、
特急<おおぞら>の窓の外の
まっ白い原野に斜めの雪が吹いている。
ヒトの姿なぞ見えなかった。
人家も全くなくなって、
雪の上に掌みたいな形でのぞいている
クマザサの群れが忙しなく手首を回転させて、
雪との闘いをしているようだ。
無人駅の<トマム>もすでに分厚い雪におおわれていて、
オレひとりだけ降ろした急行列車は雪煙をあげて、
釧路方面に向かってトンネルに消えていった。
シーズンになれば賑わうプラットホームも、
今はまだ物音ひとつしない。
立ちつくして無音の景色を眺める。
全てを真っ白く塗りつぶした景色の中に、
<スパイラルな凍り>を描き直していた。
氷点下一〇度にはなっているのだろう。
ダウンコートが膨れた。
柵の外でエンジン音が雪に吸い取られた4WDが
一台だけ震えていたが、
脇で直立していた<落下サン>がオレと目が合うと、
両腕を身体にピタリとつけた上体を軽く前傾した。

「昨日からやっと降りはじめました」

「気温はどんな具合だべか」

「零度を往ったり来たりですが、そろそろ大丈夫です」

<落下サン>の受け答えは、
北海道弁には珍しくキビキビしている。
滑る雪の上を慣れた運転でかわす。

「紅葉の景色の時に決めた
 <スパイラルの凍り>の場所を変更したくなった。
 イイべさ」

「ハイ、何処へでも案内します」

直径二メートルのマンホールを作る型枠を運び込み、
満タンにした六トンちかい水を凍らせるヒカリの塔だ。
大気の気温だけを味方にした透明で
巨きなヒカリのタワーは、
二、三ヶ月でまた春のヒカリで自然に戻っていく
その儚いジカンまでもが今回のゲージツなのである。







増大させたイメージをメモしたり、
シミュレーションしたり学習してきた頭蓋を、
いよいよ勇払原野に運んでの実践である。
雪の上に<気>を飛ばしてポイントを決めた。
この始まりになるポイントに、
<落下サン>が長いポールを突き刺した。
まだ雪が降りしきる六メートル上空を見上げ、
作業の手順を頭蓋内に辿る。

『これはサハラ砂漠やモンゴル草原でのゲージツ行より
 ヘビーになるかもしれないゾ』

オレの強い願いの味方は、
大気と強力に結集したヒトのチカラだ。
しかもここは極寒の地といえジャパンじゃないか。
なんとかなるわい。
雪に覆われた荒野に飲み屋なぞ見当たらなかった。


「ヨシッ、落下サン。場所は決定したし、
 景気ずけにいっぱいヤルかい」

「今晩やっているのは一軒だけです」

という。この広い荒野の出身で、
落下傘部隊の精鋭になった彼は
先頭で適地に落下して敵情視察、
後続部隊の安全な落下場所を確保して
連絡をとる任務だったらしい。
もう引退して時間が経つらしいが、
落ち着いた穏和な顔が
ヒトとの応対の時に垣間見せる
強靱な気配が頼もしい。
ショーチューの酔いにまかせて、ゲージツを戯れる。
雪の上での<御祓い>も大切だなと言うと、
彼はイイ神主がいますと言う。

「じゃあ獅子舞も舞ってもらうかい」

「天狗はどうですか」

彼も少し雄弁になっていた。

「森の中から跳んでくる天狗なんてのはイイべや。
 ハクいべさ」

「実は自分の本家の叔父さんが天狗をやっているんです」

と言う。しかしその天狗は酒が入ると
しつこくなって厄介らしいのだ。

「そんな厄介と関わっているジカンはないから、
 今回は普通の天狗にしようや」

「別のイイ天狗もいますから大丈夫です」

北海道の原野にはまだ天狗がいるのだろう。
安いショーチューとホッケの開き。
脂がのって見離れのイイこの魚を喰っていると、
オレが育った北のメモリーが渦を巻く。
オレのガキの頃、本家に集まることになった
暮れや正月は嫌な思い出だ。
襖一枚向こうの広間では大人等が酒を呑んでいて、
こっちの小部屋では本家の子供に
都合良くルールを変更される
つまらないゲームに付き合わされていた。
そのうち襖の向こうから大人の言い争いになり
泣き声がはじまり、なだめる声。
耐えかねたオンナ親達が甲高い声で叫びだし、
まるで鶏小屋にイタチが忍び込んだ騒ぎだ。
オレはただひたすら怯えていたものだ。
そこに決まって襖が倒れてきて、
酔って演芸をやっていたらしい女モノの着物で
顔を真っ赤にした叔父さんが飛んでくるのである。
叔父さんではなく天狗になってしまった
恐ろしい光景だった。
落下サンも同じような経験をしていたのだった。
安いショーチューに愉快な気分になっていた。
外は猛烈にしばれて、酔いもたちまち醒めた。
準備に東京に戻る。
トマム駅で列車を待っているのは
やっぱりオレ独りだった。
数時間前が、別世界のような東京で準備だ。

クマさんへの激励や感想などを、
メールの表題に「クマさんへ」と書いて
postman@1101.comに送ろう。

2005-12-02-FRI
KUMA
戻る