クマちゃんからの便り

夏の振幅



浮遊移動するオレの荷物は少ない方だが、
その中の側面にちゃっかりとパソコンが貼り付いている。
その使用用途といっても、山の中のFACTORY、
船宿の湿った寝床、炎天のゲージツ現場から、
ホームページの更新と数少ない知人とのメール、
写真の保存くらいなもので、
サイバーの糸デンワ程度である。

ヴェネチア、リド島、NYなど遠征の宿に着くなり、
オレのゲージツを伝える
有能なスポークスマン的ツールのパソコンを、
電話回線に結び打ち込んだアクセスポイントに繋ぐ作業に
まだマゴマゴする始末なのだが、
旅の最初にやるその大シゴトもだんだん億劫になり、
<電脳世界>に自らを紐で縛りつけるような
日課になったメールチェックも、
最近では虚しく想えていたものだ。

そんなクソ暑いNY個展から熱帯ジャパンに戻った途端、
液晶画面の矢印が
ウンでもスンでもなく固まってしまった。
フリーズである。

何かを収納出来るのが箱というモノだが、
今や写真のデータの一枚すら入らない
平たい単なる直方体に成り下がってしまった。
こっちがお手上げである。

「きっと埃や小虫なんかが棲んで、
 ファンの具合が悪いだけかもしれない‥‥」

アキバの電器小僧は涼しく微笑む。
ウィルスの侵入だけではなく、
適度の砂と埃を含んだチタン合金のITの暗箱を、
繁殖場所に選んで適応する虫とは
なかなかのアッパレなのだが、
本物の虫に侵略されたが棲む‥‥。

「ええぃ、この軟弱者めがぁ!」

これを機会にコンピュータなぞから
オサラバを告げようと、
<電脳>を振り上げ床に叩きつけようとしたオレの腕を
「まあまあまあ、早まらずに」
と電器小僧が羽交い締めにする。
「点検しましょう。しばらく預からせて頂きます」
とは落ち着いた見上げた青年だ。

四十八℃あった灼熱の砂漠で
ゲージツ遠征の報告をホームページに更新しようと、
衛星電話のアンテナをグルグル回すも
ジャパンの方向が分からず、
交信不能だった砂嵐から生還した日もあったし、
FACTORYではキーボードを羽虫が這い回っていたり、
確かに酷使してきた<電脳>も
そろそろオシャカ寸前だったのかもしれない。
元通りの<電脳>に戻れば儲けモノだわい。
パソコンが手元から消え、
ホームページの更新もせず
メールチェックもしないで過ごす日々は、
歯に挟まった小骨が取れたようにすっきりした。

読み残しの本を読んだり、
クレヨンと墨汁での落書き三昧。
懐かしいほど快適な夏休みがはじまった。
飽きるとノートと尺八、
雑穀の握り飯と糠漬けをデイバッグに詰め、
大武川をブラブラ遡上しては閑かに瞑想と、尺八を吹く。

覚えたての「ゴンドラの歌」。
年々、頭蓋と筋肉の距離が離れていくのを
実感するのだが、気柱を細く保つ口唇筋を
コントロールしているうちに、
少しづつメロディになっていく。
まだ音律が突拍子もなく漂うものの、
半音も少しづつ出るようになってきた。
尺八の筒音のヴァイブレーションが心地よく指先に伝わる。

「アレ、聴いたことあるだけどなぁ。
 なんて軍歌だっけかぁ」

茄子と胡瓜を抱え空を見上げているのは、
今年八十九になるシゲ爺ィだ。

「ゴンドラの歌だよ」
「アレ、ラバウル小唄けぇ」

無視してまた気を入れ直し
「いーのち みじいかぁし こいせよ おとぉめぇー」
を吹きつづけていた。後ろについた手に胡瓜の感触だ。
茄子と胡瓜が数本づつ重なっている。
このところ程よくゆるんで、
お盆の季節に野仏と思い込んでしまった
シゲジィの仕業だろうが、
有り難く頂いてデイバッグを枕に転た寝をする。

目蓋のうえに黒い大きな影が往き来していた。
雲の流れだろうと思って目を閉じたままで、
蝉や川音の遠景を観る。
炎天を浴びながら、この冬、
マイナス二十℃の極寒の地をゲージツする
巨大プロジェクトを夢想していた。
目蓋の上の小さな竜巻は確かな羽音だった。
真新しい鱗粉のまだ無垢の羽を痙攣させている。
大きなキアゲハだ。茎に掴まったまま
美しい痙攣が風にたなびく頃には、
このクソ暑さもたちまち過ぎ
オレの長い夏休みも終わって、
極寒に向かう準備になるのだろう。

パソコンがアキバから無事生還してきた。

クマさんへの激励や感想などを、
メールの表題に「クマさんへ」と書いて
postman@1101.comに送ろう。

2005-08-17-WED
KUMA
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