クマちゃんからの便り

石榴のメモリー


NYから戻って房総の海につかの間漂い、
大ヒラメはヒット出来なかったが、
台風情報で荒れ狂う海に佇む犬吠埼灯台まで
脚をのばして太平洋を眺めた。
穏やかすぎる海には不満だったが
体感ジカンを取り戻し、
山奥のFACTORYに辿り着いた。

盛大に勢力を延ばして生い茂っていた
雑草と闘っていると、
そのなかに去年までなかった
見慣れない赤い花が咲いていた。
太々しい雑草の緑と補色関係で
際だった朱色だった。

これはこの春の日に、近所の土方が

「何の木だか分からないけど、
 工事していた家のヒトに持って行けといわれただよ」

と植えていった木だ。
丈夫そうな硬い額から赤い花弁が突きだしている。

「ザクロだよ。これは実になるだね」

百姓のスダさんが梅干しの甕を抱えて立っていた。

図鑑で見た≪石榴≫という妙な形の果物は、
生まれ育った北海道にはなかった。
本物を初めて目にしたのは
七〇年代のテントの芝居小屋だった。
状況劇場<唐版・風の又三郎>の楽日の打ち上げは、
色んな知識人等が酒や食い物の差し入れを持って集まり、
<アンドレ・ブルトン>だの
<ガストン・バシュラール>だの
<三島由紀夫>についてが酒の肴になって、
いつ果てるともなく続くエン会だった。

中心の輪から外れた処で控えて呑んでいたオレは、
新入りの座付き絵師兼舞台美術担当だった。
栃錦とベンガル虎が闘ったら
どっちが強いかという命題になった夜中に、
ある詩人が無造作に新聞紙の包みを抱えて這入ってきた。
砲弾のような包みがみんなの注目を集めた。
それを楽しむような彼の思わせぶりな所作で開いていく、
シワシワの新聞紙の中から三個の果物が現れた。
絵でしか見たことがない石榴は、
赤味がかった琥珀色した
ちょうど赤ん坊のアタマ大に見えた。

なかの一つを掲げた彼のうんちくに
「キシボジン…」とあったような気がしたが、
内容には全く記憶がないし
彼が今も詩人なのかも不明だ。
ただ新聞紙の中に寄り添っている二個の石榴が、
陽気なシャレコウベが裂けた口から
赤い透明な粒々を溢しながら
語り合っているような形が面白かったのは覚えている。

何人かの間を回っていたが、
オレの処までは届かなかった。
果密を吸った唇を赤い汁で濡らし、
千切った新聞紙にベッと吐きだしてはまた論争、
狼藉、流血なぞがあり朝方になっていた。
酔っぱらった劇団員は
そっちこっちで胎児のような格好で転がって眠り、
エン会も下火になっていた。

横たわるオレの目の前に石榴が一個転がっていた。

「これが石榴か」

弄んだシャレコウベの裂け目を指先で割り、
赤い透明な粒々のカタマリを摘んで口に含んだ。
スベスベした皮膜を舌と口蓋で押しつぶすと、
ほんのりと甘く酸っぱい汁の
心許ない不思議な味が拡がった。
メチャクチャな酒の呑み方で
味覚がバカになっていたせいもあったが、
詩人の勿体ぶったうんちくの割りには
再び口にしたいほど美味いモノではなかった。

「もう飽きただよ。不味いから食べてごらん」

と病院に見舞った深沢七郎先生に勧められ、
配膳されてきた赤いプラスティック盆に載った
塩味の全くない<心臓病食>さえ、

「この世のモノではないですね」

と言いながら平らた悪食のオレだったが、
石榴にも共通するモノを感じて
近くにあった紙切れに種子を吐きだし、
そのまま眠ってしまったようだった。

「大丈夫ですか」

研究生のひとりがオレを揺り起こした。
鉄錆の味が充満した口の中は、
唾液混じりの糸みたいになった赤い汁で、
肉片つきのおびただしい白い小さな歯と繋がっていた。
掌で拭うのだが、いつまでも切れないから
ヒトを喰ったみたいな自分にゾッとして、
稽古場の水道の蛇口で何度も口を漱いだ。

「確かにザクロの木だよ」

スダさんは花弁に顔を近づけながら言う。
NY遠征の間に収穫期の梅を収穫して
梅干しの塩漬けまでを、彼に頼んでおいたのだった。
梅干しの壺から白梅酢が上がってきた。

「シソは手を嫌うだ、オレはダメだ」

と言うスダさんが取ってきてくれた紫蘇の葉を、
チベット岩塩でオレが揉んでアクを抜き、
梅の上に敷き詰めた。土用干しまで部屋の隅に置く。

三〇年ぶりに再びオレの前に現れた
石榴が気に掛かっていた。
激しい雨に霞む緑に取り囲まれて、
幹から出ている新しい下枝を切落とす。
果実に養分が充分に行き渡るようである。
あの曖昧な不思議さを味わいたいが、
頭蓋骨のような石榴を机に置いて、
汁を流しながらやがて干涸らびていくまでのジカンを
じっくりと観察しようと思った。
次に始まるゲージツをデッサンしながら
土用の晴れ間を待つことにした。



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2005-07-07-THU
KUMA
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