KINDER
ガキの頃は、バカだったなぁ。

(8月19日)

姉は、小学校の遠足の時
 「好きなおやつ 500円以内」
 という条件の買い物に行き、さんざん考えて、
 クリープ1びんだけ買いました。
 当時、クリープにはまっていた彼女は、あきるほど
 一人でクリープを味わってみたかったらしい。
 友だちが、いろいろなお菓子を食べていた中で
 ひとり、クリープをなめていたらしい。
 もちろん、次回からは
 二度とそんな選択はしなかったけど・・・。
 (のりぴい)

3歳くらいのとき、自分のことを
 「ももこ」と呼んでいたのですが、
 テープレコーダーで遊んでいて、
 録音したものを再生してみると
 「ももこねー」と言ったはずが、明らかに
 「うんこねー」としか聞こえませんせした。

 自らをうんこと称するなんて・・・
 幼心にも恥ずかしかったのを覚えています。
 (ももこ)

中学一年生の時、
 前日のパラシュート花火のパラシュートを、
 門柱の上(人の家の)によじ登って
 放り投げて遊んでいたら、
 近所の小学五年生の男子が通りすぎざま
 私に向かって一言「ガキ」と。

 もう中学生なのにはしゃいでた私がガキなのか、
 大人ぶりたい向こうがガキなのか。
 せめて痛み分けだと思いたいんですが。
 (円香)

幼稚園に通っていたころ、教育テレビの
 「にこにこぷん」という番組が大好きで
 いつも見ていました。
 その番組が始まるときに流れる歌があって、
 その歌の歌詞に
 「ジャジャ丸、ピッコロ、ポ〜ロリ〜♪」と、
 3匹のキャラクターが歌詞に入っていたのですが、
 何を聞き間違えのか
 「ジャジャ丸、ピッコロ、ゴ〜ロリ〜♪」と、
 歌っていたらしいです。
 しかも、ゴロリのとこだけ超張り切って・・・。

 母親はそれが面白かったらしく、
 「ジャジャ丸、ピッコロ・・・」と前フリをして、
 ニコニコで「ゴ〜ロリ〜♪」と返すのを見て
 ゲラゲラ笑っていたそうな。
 でも歌ってみると、
 ほんとはゴロリの方が正しいのでは!?
 なんて思ったりもします。
 (かーさん)

幼少期海外に住んでいたせいで、
 子どものころ私は外人でした。
 夏休みに田舎の海にいとこたちと
 遊びに行くことがありました。
 いとこたちはスクール水着とかなのに、
 私一人、4歳のガキんちょのくせにビキニ。
 さらにネックレスとブレスレットまでしていました。

 いとこたちはそんな私を恥ずかしがって、
 ネックレスとブレスレットを
 はずすようにいいましたが、
 私は断固としてはずさなかったそうです。
 その姿に、さらに、
 お気に入りのサングラスをして
 海辺で遊ぶ、明らかに一人浮いている子ども。

 今、思い出すと、いとこたちの気持ちがよく分かります。
 でも、今も、その名残なのか、
 アクセサリーをしていないと、
 なんだか物足りない気がしてしまい、
 過剰にアクセサリーをつけてしまうことがあります。
 (tabasa)

他の方のを読んでいて思い出しました、
 子どもの頃は、テレビで見る外国人しか知らず、なぜか、
 「キスをすれば外国人になって、明日から金髪だ!」
 と思っており、同じ社宅に住んでいたお友だちと
 毎日キスしていました。
 女の子同士だし、子どもだし、
 大人たちは微笑ましいと思って見ていたのかなぁ。
 (ゆー子)

子供の頃、近所に子供が少なかったこともあって、
 いつも幼なじみの男の子とふたりであそんでいました。
 そして幼稚園児だったある日、
 一緒にプールに行く途中に突然彼が
 「ねえ、僕はよーこちゃんのこと好きだよ。
  よーこちゃんは誰のことが好きなの?」
 と聞いてきました。
 あまりにストレートな質問に、
 私はとっさに他の男の子の名前を答えてしまいました。
 「えー、なんで?」と聞かれた私の答えが
 「給食の嫌いなもの食べてくれるから」
 いくら動揺していたとはいえ、
 ガキならではの返事だったなぁ・・。

 素直に好きと言えなかったことより、
 そんな理由で他の子のことを好きだなんて
 言ってしまったバカさかげんが
 ほろ苦い後悔として記憶に残っています。。
 (よーこ)

幼稚園に上がる前,憧れていたのは
 アタックNO.1の鮎原こずえとひみつのアッコちゃん。
 どっちも『ア』が付く名前だ、あたしも!!と思って
 自分にも勝手に『ア』が付く名前をつけてました。
 自称、『アイちゃん』。
 幼稚園の裏で友達のユミちゃんに小声で
 「カヨちゃんじゃないよ、アイちゃんだよ」って
 言ったのを覚えています。
 去年、30年ぶりくらいで,
 昔隣に住んでたお姉さんに会って
 『あいたん』と呼ばれて
 ものすごく恥ずかしかった。

 …鮎原こずえは『ア』じゃなくて『コ』だよねえ。
 (カヨ)

親戚の子の話です。
 ママが残業になったのでおばあちゃんが預かる事に。
 久々大好きな孫との夕飯。
 おばあ「今日はうなぎだよ〜」
 Y太「うなぎ、うなぎ、ウナギ、ウナギ・・・」
 一生懸命覚えていました。
 ママがお迎えに来て
 ママ「K太、よかったねえ。
    夕飯は何を御馳走になたの?」
 Y太「・・・・・・・・コロッケ
 おばあ「違うでしょ!」
 (匿名希望)

もうすぐ3歳になる娘は、
 「おかあさんといっしょ」が大好き。
 先日も、番組でおにいさん、おねえさんが
 歌っていた「たこやきマンボ」のさびの部分を
 大きな声で、何回も歌っていました。
 「たこやき、マン○でなんぼ、
  たこやき、マン○でなんぼ、ちゅーちゅー!」

 ただしくは「マンボ」なんですけど、
 娘が歌うと、子音は消えてしまうんですよね・・・。
 (プー)

小学校2年生の時、近くの駅に写生会に行きました。
 絵を描くのが好きだった私は、駅のホームや電車、
 駅の向こうに見える看板の文字まで描いていました。
 するとそれを見た教頭先生が
 「キミ、絵の中に文字を書いてはいけないよ」
 と言うんです。
 「なんで?文字の入っている絵なんて
  たくさんあるじゃない・・・」
 と思いながらも、先生のいう通り文字を消しました。
 ずーっと、疑問だったなぞが解けたのは
 大学生になってからです。
 私はストリップ劇場の看板を描いていたんですね。
 教頭先生、苦肉の策だったんだなぁ、あれは。
 (ニシ)

40代前半の方なら分かって頂けると
 思うのですが、昔のTVの両脇には
 持ち手が付いていて、そこの所は空洞で、
 なかの配線?とかが見えるようになってたんです。
 で、ある日の夕方、隣の男の子(小学校前くらい)と
 ウルトラマンを見ていたとき、
 戦いのシーンでランプがピコピコ鳴りだしたら、
 (結構ハラハラドキドキしましたよね?)
 その男の子が、やおら立ち上がって
 TVの持ち手の部分から覗き込んだという・・・。

 もう30年以上経ってるのに鮮明に
 思い出すというのは、よっぽどその行為が
 おかしかったのでしょうね。
 (ゆ)

私は、小学5年生くらいまで、
 おっぱいは、オトナになるとある時期に、
 突然大きくなるものだと思っていました。
 しかも、全部の人がキャッツ・アイの
 3姉妹くらいになるのだ、と。

 私の周りには同じ年代の知り合い、
 もしくは大人の知り合い
 (親戚や友達のお母さんなど)しかいなかったので
 そうに思っていたのかもしれないのですが・・・
 大人になった今でも、
 少し信じてみたいと思っています。
 (とぱーず)

自分のことは、まだ反省するほど見直せないので
 息子の話をきいてください。3歳のころです。
 耳鼻科の待合室にて待ち時間に
 「おかあさんと、しりとりしょっか?」
 「いいよ、ぼくからね? じゃあ にんじん!」
 「・・・・・」
 あまりにもおかしくて、一緒に待ってた人も
 笑っていたようですが、私も笑ってしまって、
 顔をあげられませんでした。ナイス息子!!!
 その息子も、めがねをかけた3年生。
 アドバンスにはまっています。
 母もクリアした、マザーを買ってあげるべきか、
 悩んでおります・・・。
 (naoko)

子どもの頃、お袋に
 「いのちが無くなると人は死んじゃうんだよ」
 って聞いて、
 「そっか、僕の胃の中には
  血がいっぱいあるから大丈夫なんだな」

 と思っていました。
 (てっちゃん38歳)

小学生の時、私はとても漫画好きだった。
 読むのはもちろん自分で描いたりもしていた。
 いつもプロの漫画家さんの絵には
 感心していたのだが、なぜかプロは
 逆さまの人間も描けなきゃいけないと
 すっかり思い込んでしまったおバカな私。
 何度練習したことか。
 あとになって紙を逆さまにして
 描けば良いことに気がついた。
 その時は悟りをひらいたかのような
 気持ちになれたけど、
 今思うとばかだったのね、わたし。
 おかげで字は逆さまに書けるようになったけど。
 (匿名希望)

現在29歳のダンナの話です。
 小学生の頃、授業中に先生が冗談で
 「ドイツ語で『トイレに行く』っていうのは、
  『イッヒ・フンバルト・デル・ウンチ』
  って言うんだぞ」と言われたのを素直に覚え、
 25歳で私と結婚するまで信じていました。
 ちなみに先生は
 「ドイツ語で水道は『ヒネルト・ジャー』というんだ」
 とも言ったそうです。
 その先生とダンナは、
 今でも年賀状のやり取りをしています。
 (白熊)

小学校3年生くらいのとき、熱を出して
 学校を休んでいたのですが、母がおやつか何かで
 焼き芋をもってきてくれて、
 なんか、焼き芋って何度くらいなんだろう
 なーんて思って、手元にあった体温計(水銀の)を
 ぷすりと差してみちゃったんです。

 そしたらもう、ピューと水銀があがって、
 パリ−ンとガラスが割れて、焼き芋ののってる
 お皿に、コロコロした水銀がころがって...。
 あっという間の出来事でした。
 水銀は毒だという知識はあって、
 焼き芋は食べられず、
 母には焼き芋の温度を計ろうとしたなんて
 言えないので、体温計を振ってたら
 机の角に当たって割れたといいました。
 その後の事は忘れてしまいましたけど。
 今、電子体温計だと、どうなるんだろうなんて、
 急に思っちゃいました。
 でも、さすがにこの歳では、できないなあ。
 私の子どもが将来やるかも?
 (匿名希望)

あれは私が「電車の窓から見える文字を読む」ことに
 ハマっていたころ。
 夕暮れ時のほどよく込み合った車内で、
 こともあろうに大声でラブホの看板を読みあげ、
 そばにいた母親に
 「あんなところにホテルがあるよ!
  おおきくなったら行こうね」
 と言った記憶があります。
 母親のコメントは覚えていません。
 もうひとつ、おそらく同じ頃にハマっていたのが、
 「小人を探すこと」。
 たぶんコロボックルの本を読んで
 影響を受けたのだと思います。
 「今日こそ見えるはず」と草むらにしゃがみこんで
 じーっと目を凝らしていました。
 (えあ)

私は小学校2年生の頃夏休みの自由研究で
 「ろうそくと火」について研究したのですが、
 私はそれまで世の中には温度は
 100度までしかない
と思っていて、
 100度まで計る事の出来る温度計を
 火に当てて何分で100度まで上がるかを計ろうとしたら、
 10秒も経たないうちに
 温度計が壊れて母親にひどく怒られた記憶があります。
 でも怒られたことより100度以上の熱さが
 世の中にあると言うことが衝撃でした。
 (くんたま)

(ミニコメント)

ガキにガキと言うガキ、
いかにも、いそうだなぁと思いました。
夢中になってたのしんでいたことが、
まったくのひとりよがりだと気づくシリーズも、
そうとうかわいらしくて、好きですねぇ。

今回のお気にいりは、
「うんこ」と「クリープ」の話です。
何度も、読みなおしてしまいました。

あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!

あなたや、あなたのまわりのガキばなしを、
件名に「ガキ」と書いて、
postman@1101.comに送ってくださいね!

2003-08-19-TUE
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