KINDER
ガキの頃は、バカだったなぁ。

(8月16日)

・高校のときの友達のあだなは満月。
 まん丸の顔に小ぶりな目と口が中央に
 ちょこんとついている感じがいかにも・・・
 入学した当時に小さいときからみんなが
 満月って呼んでいたって聞いた時は
 他の友達みんなで大受け。それ以来
 (20年以上)満月、げつまん、
 マンちゃんなどなど
 いろいろ変化形があるんだけど
 結局いまだに満月と呼ばれている彼女。
 一つ難なのは人ごみで彼女を呼ぶとき!
 ちょっと恥ずかしいでしょ、
 まんげつーって呼ぶのは・・・・
 (由美)

高校2年の時、
 母の言うことがあまりにも頭にきたので、
 母の原付バイクのヘルメットに
 水をたっぷりと入れて、登校しました。
 母が出掛ける時に頭から水を被って
 「ヒャー」って
 ずぶ濡れになる姿を思うと、
 1日中ニヤニヤとしていました。
 帰宅してみると、母は
 「雨水が溜まってるのかと思ったけど
  雨なんか降ってなかったし、
  どうせあんたの仕業だろうから無視した」

 とのこと。
 自分のガキさがものすごく恥ずかしかったです。
 (もも)

下半身系のあだ名は心に残りますよね〜。
 先日「まん子ちゃん」という
 あだ名が出ていましたが、
 私の中学校時代もそういえば
 「まんこ先生」と呼ばれていた
 美術の先生がいました。
 由来は残念ながら分かりません。
 だけど、その先生も「まんこせんせー!」
 と呼ばれて普通に返事をしていたように
 記憶しています。男子も女子も平気で
 「まんこがさあ」とか言っていましたね・・。

 (れ)

子どものとき、
 「ゲリ」が恐かった。
 ゲリはおなかの内臓が
 出ていくことだとなぜか信じていて
 「今出すと死ぬ」
 と必死で我慢していました。
 親に「内臓は出ない」といわれて
 気付いた日のこと、一生忘れない。
 (ぷー)

昔、ゲームの1秒間16連射で
 一世を風靡した高橋名人が、
 小学校2年生のとき「高橋名人の冒険島」という
 ファミコンソフトになりました。
 ファンだったのでもちろん持っていたのですが、
 その後学校で、
 「高橋名人逮捕」という情報が・・・。
 とんでもないガセネタでしたが、
 とにかくぼくはショックで、
 逮捕された人のグッズを持っていると
 逮捕されちゃうと思い込み、

 数年間そのゲームは
 クッキーの空き缶の底にしまい、
 誰もいないときしかできませんでした。
 (じくじく)

子供の頃の夏休みは、
 学校のプールへ遊びに行きました。
 ラジオ体操と同じで半強制で、
 ぼくはプールへ行くのが大嫌いでした。
 泳げないわけではありません。
 むしろ水泳は得意でした。
 何が嫌いだったかと言うと、着替えです。
 男女でひどく差別されていて、
 女子はコンクリート製の
 きれいな更衣室なのに、
 男は野外にある吹きさらしの汚い粘土室。
 しかも女子には丸見え。
 小学校の高学年にもなると、
 つらいものがあります。
 この不平等な状況に
 どうしても耐えられなかったぼくは、
 なんと自宅から水着で学校に向かったのです。
 半裸状態で街を悠然と闊歩し、
 市役所の前も堂々と通り過ぎ、
 無事に学校へ辿り着きました。
 こうしてぼくは、
 ジレンマから解放されたわけですが、
 今になって考えると、
 女子に裸を見られることよりも、
 水着で街を歩く方が恥ずかしい!

 (リョム)

中学入学後、吹奏楽部に入ったときに
 「ここで先輩に
  自分を売り込んで株を上げよう!」
 と思い、当時(今でも)十八番だった
 「もののけ姫」を熱唱。
 作戦は成功し、大きなインパクトと共に
 その日から『ひめ』と呼ばれるように。
 その後高校に入学して友達にその話をしたら
 「『もののけ』じゃなくてよかったね」
 といわれました。
 そして高校では
 『もののけ』と呼ばれることに・・・

 (ひめ)

幼い頃、母が冗談で
 「うちは貧乏だから」と言ったのを
 本気で信じ込み、
 いつガスが電気が水道が止まるかと
 毎日ヒヤヒヤしていました。
 夏の暑い夜に母が私を寝かしつける際、
 部屋の扇風機を回してくれるのを、
 「電気代がもったいない!」と
 母が部屋を出て行くと同時に起き上がり
 ダッシュでスイッチを切りに行きました。
 家計が苦しくても子供が涼しいようにと
 にこにこ「ゆっくりおやすみ」と
 言っているのだと
 勝手に想像した親心に毎晩泣きそうでした。

 (mihoco)

高校時代の担任で、
 歴史の先生でもあった
 先生のあだなを思い出しました。
 以前からその先生は
 「ヒッタイト」と呼ばれていました。
 なぜ、そう呼ばれるのかよくわかりませんが、
 肝心の本名は思い出せません。
 (ちなみにヒッタイトとは紀元前2千年前に
  小アジアで勢力をもった
  オリエントの強国のひとつ。
  鉄をつくったりした国)
 中学の近くの書店の親父は
 「ウルトラセブン」と呼ばれていました。
 多分、その特徴的な髪型のせいだと思われます。
 (ポコペン)

高校の時、
 かわいいのにあだ名が「けん子」という子がいて、
 「なぜ?」と聞いたところ、
 「志村けんに似てるから」ということでした。
 今思っても、
 女の子のあだ名としてそれってどうだろ。
 (ジャム)

大学時代、
 「ナイチンゲール」
 と呼ばれていた友人がいました。
 もちろんあの白衣の天使の
 ナイチンゲールから由来しているのですが、
 その名にふさわしく、
 彼女はとてもかわいらしく、
 いつも優しい微笑をたたえている
 素敵な女性なのでした。
 最初は、みんな
 「ナイチンゲール」と呼んでいたのですが、
 長いのでやがて「ナイチン」と
 略されるようになりました。
 しかし、人ごみの中で
 そう呼びかけるのははばかられ
 なぜかつい小声になってしまったものです。

 そんなこと気にもせず、
 大声で「ナイチ〜ン」なんて
 呼びかける友もいましたが、そんな時も、
 決して微笑を絶やさない彼女でした。
 (とらんぽらん)

中学・高校と一緒だった子で、
 「ばあや」と呼ばれている男子がいました。
 (由来はもう忘れました)
 私たちにとっては
 「ばあや」は彼を指す固有名詞なので、
 何の違和感もなかったのですが、当時電車の中で
 「ばあや、おまえさー」と普通に呼ばれて
 何気なく返事をする高校生を見て、
 まわりの人はさぞ変に思っていただろうなー、
 と今になって思います。
 (M)

中学のころ、あだなが「ベルゲン」でした。
 クラス委員をしていたんですが、
 ホームルームの時間だったか、
 あんまりみんながうるさくて
 議事が進行しないので、大きな声で
 「静かにしてくださいっ!!!」とか
 キンキン声で叫んだんですね。
 その叫び声が、
 まるでスピッツ(犬)のようだったので
 男子から「スピッツ」と
 呼ばれるようになりました。
 その後、地図帳を見ていたある男子が、
 「スピッツベルゲン島ってのがあるぞ」
 と見つけたことがきっかけで、
 それ以来、わたしのあだ名は
 「ベルゲン」になりました。
 高校になって、そんな男子たちとも別れ、
 平和に暮らしていたのですが、
 高一の学園祭のときに、ふいに
 「ベルゲン」と呼ばれました。

 まさか、と思って振り向くと、
 名付け親の男子が。
 (他校から遊びに来ていたんですね)
 もう忘れた名だったのに、
 反応してしまった自分が悲しかったです。
 (RUN)

高校時代の化学の先生。
 授業のはじめから終わりまで、
 黒板に向かって書きながら、
 ずっとぶつぶつ説明をしていた。
 生徒の方を向こうとしなかった。
 あだ名は「板つきかまぼこ」だった。
 (茶花)

生まれてはじめてもらったあだ名は
 「えんどう」でした。
 えんどう豆の「えんどう」です。
 だいたいあだ名ってのは
 本人の特徴に合わせて作られるもので、
 豆が好きとか豆みたいな丸顔とか、
 それらしいエピソードが
 ありそうなものなんですが、
 そういうまともな由来じゃないんですよね。
 「いつも一緒にいた幼馴染の
  『いんげん』くんから派生した」

 という、私のパーソナリティとは
 何の関係も無いあだ名でした。
 子供心に「我ながら情けない」と
 思ってたんですが
 命名者が年上のいじめっ子の
 「もりもりもうだいっきらいくん」
 だったので逆らうわけにもいかず、
 そのまま定着。
 その後、えんどうを略した
 「えん」というあだ名が一般的になり、
 地元では今でも「えん」です。
 (匿名希望)

高校の時、
 「あんぶ」という
 アダ名の同級生がいました。
 本名は近藤さんなのに
 何でだろうと思っていたら、
 理由は、中学の英語の時間に
 "Umbrella"の発音が
 完璧すぎたからだそうです。

 (m)

高校のときの尿検査。
 担任の先生はその結果について、
 教室に入ってくるなり
 クラス中に響き渡る声で
 「おーい○○。
  おまえ尿検査でたんぱくでてるぞ」
 その日から彼は「たんぱく」になりました。
 あと、女の子なのに苗字が
 「野口」だからというだけで「ゴロー」
 「坂上」なので「二郎」と
 呼ばれてた子もいたなぁ。

 なつかしいな。
 思い出させてくれてありがとです。 
 (たまね)

中学生の時ですから20年前でしょうか。
 「こまったちゃん」というあだなの
 同級生の女の子がいました。
 今は「困ったヤツ」という意味で使われますが、
 その時は本人が困ってました。
 何事も心配で、いつも困った顔をして
 ため息をついていました。
 聞いてみれば些細なことなんですが。
 今、思い出してみて、言葉の感覚が
 20年で違ってきてるなぁと感じます。

 (JUNK)

小学1年の時、
 担任だった美人で優しいヨシコ先生が、
 スケベなことばっかり言っている
 I先生と結婚することを知って、大ショック。
 「ヨシコ先生は、
  きっとI先生がスケベなことを知らないんだ。
  早く教えてあげないと!」と、
 友達とふたりでわざわざ先生を呼び出して、
 いかにI先生がスケベな人かを
 必死で訴えました。先生は
 「まあ、そうなの。どうもありがとうね」
 と優しく微笑んでくれてました。
 ああ、はずかしー。先生ごめんなさい・・・・。
 (匿名希望)

(ミニコメント)

あだなの傾向は、ガキだから、
ある一定の法則さえ、感じますよねー。
だいたい、その場の勢いでついたはずなのに、
案外、長続きしてしまうというのが、
本人にとっては、困ったものでして・・・。

先生というのは、
これだけたくさんの学校がいるのだから、
やっぱり、いろんな先生がいるもんだなぁ。
ガキの視点から見た先生像を
たくさん読んでいると、つくづくそう感じます。

あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!

2003-08-16-SAT
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