KINDER
ガキの頃は、バカだったなぁ。

(8月9日)

子供の頃、2つ年下の弟に唐辛子を
 「小さい人参だよ」と騙して食べさせた。
 そしたら、おかんにめっちゃ怒られた。
 でもめげない私はその後、
 米のとぎ汁を「牛乳」
 醤油を「コーラ」と飲ませようとしたが
 ことごとく見破られ失敗。

 この勝負1勝2敗?
 (zuizui)

小さい頃、リポビタンDのCMを
 何故か生中継だと思い込んでいて、
 CMのたびに、出演者がまさにそのとき
 ある時は崖を上り、
 ある時は空からロープでつられ、
 またあるときは激流を渡っているのだと
 思い込んでいました。
 そのCMが放映されている期間は
 ずっと現地にいるんだと思っていました。

 だから、その出演者が
 危険で過酷な状況を何度も
 繰り返し行わなくてはならないことに
 胸を痛め、家族と離れて
 寂しいんじゃないかなどと思い、
 また、子供なので撮影スタッフがいることまで
 考えが及ばず、二人っきりでそこにいるんだと
 思っていて、出演している役者さんに
 ひどく同情し、
 あまりに同情しすぎて見ているとつらくなり、
 あのCMが大嫌いでした。
 (がおがお)

子どものころのはなしというよりは、
 もう少し、成長してからの話なのですが、
 「ツーリング」というのは、
 2人でいくドライブだと思っていました。

 あと、「うかいする」→
 右側をまわる・・・とも。
 スキーに行って、私のレベルでは
 難しいゲレンデにぶち当たったときに
 「うかいしてこい!」といわれるたびに、
 難しいゲレンデの右端を
 ひーひーいいながらすべってました。
 (ぽん)

小3の頃、友人が
 「親戚のお姉さんが想像妊娠した」
 という話題をふり、
 「想像したら赤ちゃんができる」
 とアホな説明をしたため、私は真に受け、
 「え〜!怖いなあ・・・。
  今赤ちゃんができたらすごく困る。
  いかん!想像しない!
  絶対に想像しない!」

 と毎日注意しながら生活していました。
 (ミチ)

小学校に上がる前、
 4歳上の姉と、毎晩寝る前に
 飽きることなく必ずやっていたお芝居…
 姉 「お母さん死ぬわ死ぬわ パ・タ・リ…」
 と死んだふり。
 私 「お母さん!死なないで!死なないで!」
 と号泣するふり。
 たったこれだけなんですけどねえ、
 そばで母がいつもあきれながら
 笑って見てましたっけ。

 (おら) 

小さい頃、
 救急車に乗りたかったんです。
 ひいおばあちゃんが運ばれたとき、
 「念願が叶う」と思いました。
 母が付き添いで行ったので当然私も・・・
 と思ったら、
 「留守番しててね」と言われたんです。
 今思えば当然。
 「一緒に行くぅ〜」って大泣きした3歳の私。
 病院からの母の電話にも、
 「一緒に行きたかった」と大泣き。
 一緒に留守番してくれた叔母は
 「ママはすぐ帰ってくるから」
 となぐさめてくれましたが、
 「救急車に乗ること」が目的だったなんて、
 子供心に言えませんでした。

 中学生になって初めて母に告白。
 「じゃぁ救急車の運転手になれば?」
 と言われましたが、
 運ぶのでも運ばれるのでもなく、
 あくまで付き添いで乗りたかった。
 (マキ)

ガキの頃から、
 自分のテンパー頭に悩んでいた私。
 風呂に入るたびに
 タオルを頭にタラリと垂らして
 こっそりとサラサラヘアー気分を
 味わうのが密かな楽しみでした。
 顔の横に垂れたタオルを、
 指でちょっと耳にかけてみたり、
 タオルを2枚重ねにして
 三つ編み風にしてみたり……

 しかも、農協マークが入った
 普通の白いタオル。
 でも、その時ばかりは、
 100%岩崎宏美になりきってました!
 使っていたシャンプーは
 もちろんエメロンシャンプー、
 無論、岩崎宏美がCMで使っていたからです。
 でも、そのエメロンで洗髪後も、
 鏡に映る自分の頭はやっぱりクルクルのまま。
 そして大人になった今も、
 この悩みは続いています。
 (ひらりん)

「ネコって階段じょうずに降りるなぁ?」
 と考え始めると、
 いてもたってもいられなくなって
 ネコのように階段を四つんばいで
 降りていったことがあります。

 私の前足(すなわち手)が
 一階の床に着いたとき、
 ゆるーい逆立ち状態から
 どうにもできなくなってしまって、
 「パパ、助けて!」
 と叫んでから、助けが来るまでの長かったこと。
 そして、父の一言。
 「おまん、いったい何をしゆうぜよ?」
 私はネコのまねをした、とも言えず、
 ただ涙を拭くばかりでした。
 昭和40年代の出来事でした。
 (はるみ)

私の行っていた芸術系の大学では、
 入学早々に校外での実習があり、
 その日は都内の劇場施設の見学に行くため
 新入生全員で観光バスに乗っていました。
 たまたま同潤会アパートの前で
 信号で止まっていた時、
 案内係の教授がマイクを使って、
 これは歴史的な建物なんですよ、
 みたいな話をしてくれたついでに、
 「そしてその右手をごらんください。
  桂文珍師匠です」
 と突然紹介したのです。
 そこには、黄色地に黒の格子縞という
 ハデなスーツの文珍師匠が
 扇子をパタパタさせながら、
 お一人でスタスタ歩いていました。
 ほとんど地方出身者ばかり
 50人ほどの私たちは、
 突如目の前に現れた
 「テレビの人」にびっくりして、
 全員が立ち上がり、
 歩道側の窓に張り付いてしまいました。
 まだクラスメイトのお互いが
 ほとんど知らない者同士だったため、
 わあわあ騒ぎあうこともできず、
 ただ黙って師匠のことを
 じーっと見つめている、という
 却って異様な光景だったと思います。
 視線を感じたのか、
 ふっと振り返った師匠は
 ちょっとギョッとしていました。
 バスの中と外でそのまま一瞬見つめ合い、
 お互いに
 (この場をどうしよう…)
 という感じでしたが、
 次の瞬間、
 師匠は持った扇子をパチンと閉じて、
 高座でするように
 「これはどうも」と私たちに一礼したのです。

 私たちは誰ともなしに拍手をし、
 その喝采の中信号が青になり、
 発車していくバスを
 文珍師匠は見送ってくださいました。
 (kanacha)

私の母の性教育は5年生の頃‘初潮’に向けて
 「女の人だけ穴が一つ多くて、
  そこから血が出る」

 みたいなもののみでした。
 大事なことはまだまだたくさんあるのに。
 (匿名希望)

車に乗っている時に
 後ろの人に手を振るのが流行った…
 と言うものがありましたが、
 うちの兄弟の中でもとても流行っていて、
 やはりトラックの運転手さんが
 振りかえしてくれるダントツ1位でした。
 それと並行して流行っていたのが、
 おばあちゃんの家に着くまでに
 何台の車とすれ違うかをカウントすること。
 家は旭川。おばあちゃんの家は札幌。
 時間にして2時間ちょっとかかる道のり…
 兄弟全員の指を駆使し、
 弟(長男)の指1本は1の位。
 私(長女)の指1本は10の位。弟
 (次男)の指一本は100の位…かなり真剣。

 いつもは必ず車の中でギャーギャー騒いだり、
 喧嘩が始まったりして父も
 「そんなに騒ぐなら
  ここに降ろして行っちゃうぞ!」
 がキメ台詞でしたが、
 このカウントが流行っている間は
 父の口からこの台詞は出ませんでした。
 ちなみにこれが流行っている間は
 ‘車酔い’の出現もありませんでした。
 すべては集中力のなせる技…
 今思い出せるとある日の車の台数は296台。
 (サンダー)

私は小学校高学年の頃、
 「キッス」のファンで、
 特にジーンシモンズが大好きでした。
 ある日、ちょうど母親が
 買い物でいなくなり、何も知らない
 5歳下の弟の顔が目に入り、
 母親の眉を書くペンで
 大きな☆印を弟の顔に書いたのです。
 彼は、何も文句を言いませんでしたし、
 あまりの出来のよさにうっとりしてたら
 母親が帰ってきてしまい、慌てて
 目の前にあった雑巾で拭いたら、
 拭いた後が赤く☆印に残ってしまい
 結局、母親にバレて、怒られました・・・。
 でも本当によくかけていたと思います。
 (まみぞう)

私が4年生の頃のある給食の日
 その日は手巻き寿司と
 カスタードプリンだったのですが、
 私はそのカスタードプリンを
 残したいなと思っていました。
 給食のお残しはよくないと思いました。
 ふと気が付くと、しょうゆもお皿に残っていて、
 これもよくない。
 いや、いいと思うんですけどね。
 何を血迷ったか、
 しょうゆをプリンに入れて食べてみました。
 ・・・。
 食べ物を粗末にしたらいけないのだと
 身を持って体験だったのでした。
 (みどり)

サバイバルものでおかしを
 “わずかな食糧”にするのがありましたけど、
 似たようなことを、
 私たちきょうだいもやっていました。
 家族でドライブに行くと、
 後部座席の子ども二人で、
 おかしを配給制で食べるのです。
 「はい、今日の配給ね」
 などといって、麦チョコを。
 一日一粒という設定なので、
 瞬く間に何ヶ月も過ぎていきます。
 ベビーチョコでも応用できます。
 小さくて、すぐになくなってしまうほうが
 それらしいと思っていたのです。
 ちなみに、おかしの袋を持っている方が
 権力者で、なくなったので
 次の配給をくれと要求されると、
 「まだ一日たってません」
 「食糧難なので今日から配給が減ります」
 とかなんとか、役人気分を満喫できます。

 今でも麦チョコは、ときどき
 「あ、今の5日分」
 と思いながら食べています。
 でも、子どもの頃に限らず
 サバイバルの設定、結構皆好きじゃないですか?
 絶対生涯使わないであろう
 “小水の飲用水への変換方法”とか、
 知っている人は多いはず。
 かくいう私も、たとえ街を歩いているときでも
 食べ物がかばんにはいっていないと、
 「今遭難したらどうしよう」
 とか想像しはじめます。
 ヒールの高い靴をはいていたら、
 「これでは山歩きに向かない。
  ジャケットで足をつつもう」
など。
 周りはどこもコンクリートなんですけどね。
 (pilika)

保育園のふじ組だった時のこと。
 ある日先生がみんなを集めて言いました。
 「先生はみんなの
  心の中が見えるレンズを持っています」
 そしておらっ!と
 目の中から小さなレンズを取り出したのです。
 コンタクトレンズなんか
 見たことも聞いたこともなかった私は
 「やべー」とビビりました。
 お昼寝が苦手で毎日寝た振りなのが
 ばれてるっと思ったのです。

 保育園時代の数少ない記憶です。
 (パン田)

(ミニコメント)

とにかく、
「どうしよう」がガキの口癖ですよね。
だいたいは、お母さんとか先生だけども、
危機は、だいたいかならず、毎日やってきてる。
ひとことひとことにビビり、
ひとつずつの自分の実験でドツボにハマる。
なんとも、かわいらしい存在です。

救急車に乗りたかった気持ち、よくわかるなぁ。

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2003-08-09-SAT
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