KINDER
ガキの頃は、バカだったなぁ。

(8月7日)

小学校2年の頃、理科の授業で
 「なぜ、夏は暑くて冬は寒いのか?」
 という質問を班で話し合う時間がありました。
 そこで僕は
 「夏に近付けば地球は太陽に近付いて、
  冬は遠ざかる」という説を提示、
 班の全員から大賛成をもらい意気揚々と発表。
 他の班は意見がまとまらず発表無し。
 自信満々になった我が班は2分後
 もっとも恥ずかしい思いをすることになる。
 それでも班のみんなは
 「いや、近付く説も
  きっとそのうち認められるよ!」

 なんて今となっては阿呆な同情。
 でもこの時は凄い友情を感じたなぁ〜。
 (もりめがね)

私が「小学●年生」という雑誌を
 毎月購入していた頃。
 3歳年下の弟は、付録の探偵入門とかいう
 小冊子にハマり、
 探偵の7つ道具なるものを揃えてました。
 手帳・虫メガネ・
 手袋・ペンライト(何故だ?) etc.
 出掛ける時は、必ずそれを持ち歩き
 「僕は、名探偵になる!」
 と触れ回ってました。
 そんな彼も…今や二児の父。
 時の流れを感じます。
 (みの)

私が幼稚園のころ、
 犬がぺちゃぺちゃ水を飲むのを見て、
 自分にもできるはずと思い、
 お茶碗に水を入れてやっていみました。
 意外と口に入る分が少ないことに気づき、
 かなり練習したのを憶えています。

 (なおみんと)

小学校低学年の頃、家族の中で
 父のカツラ疑惑が急浮上しました。
 (なぜかは不明)

 私は半信半疑だったが
 兄は素直に信じ込んでいました。
 それから毎晩『パパカツラ見せてー!!』と
 グイグイ父の髪の毛を引っ張るのが
 日課となり、『イタイ!イタイ!!』と逃げ惑う
 父を見て爆笑してたのを覚えています。
 ちなみに、今も父は地毛です。
 (いちっこ)
 
いつも楽しみにしてます。
 みなさんのを読んでて、
 自分のガキ話を思い出したので投稿します。
 AT車のシフトレバーの親指があたる所にある、
 シフトチェンジに使うボタン。
 これなーに?と父親に聞いて返ってきた答えが
 「車がバラバラになるスイッチだ。触るなよ」
 それを聞いてバカガキの妄想は膨らみ、
 これは戦闘機にある、
 事故の時に使う脱出ボタンだと
 思いこんでました。
 触らないようにしつつも、
 事故が起こらないかと待っていた小学生時代。
 うちの車はボンドカーじゃないって、ねぇ。
 (うみにん)

デリバリー版に載っていたヤクルト話。
 「底の固い部分をカジカジして・・・」
 私もやっておりましたよー。
 ちなみに、缶コーラのプルタブ部分に
 安全ピンで穴を開け、その穴を指で押さえて、
 思いっきり振る!
 そして穴を口に向けて指を離し、
 勢い良く噴射してくるコーラを飲む!

 というのもやってました。
 最後には炭酸の抜けたコーラを
 飲むハメになるのですが・・・。
 (ささもん)

幼稚園の年中組(4歳)のときのこと。
 わたしが通っていた幼稚園の玄関には、
 父母からの意見を取り入れるために
 おかれたと思われる
 古ぼけたちいさなポストがおいてありました。
 それには「おはなしポストさん」という
 紙がはってあったので
 私はこのポストさんは
 (森のかしの木のおばあさんのようなイメージ)
 お話ができるんだ!と思って、
 人がいない時を見計らっては
 「こんにちわ」
 「もしもし」
 「あの、もしもし」
 とはなしかけていました。
 とうとう卒園するまで
 ポストさんとはおはなしできませんでした。
 中学生になってから母に
 もう時効だと思って話したら、
 持病の喘息が出るほど笑い、
 その後も一週間位私の顔を見る度に
 思い出し笑ってました。
 (のせ)

野球マンガ(「ドカベン」など)で、
 表紙にしょっちゅう
 「ついに最終回!」と出ていて
 どきどきしましたが、
 たいてい「野球の試合の最終回」でした…。
 (えみ)

ガキ話毎回、面白く拝見しています。
 「橋の下で拾われた」
 みんなそう言われて育ったのですね。
 私も、
 「家のすぐ裏の川の橋の下で拾った」
 と、父に言われて育ちました。
 子どもの頃その橋の下に
 浮浪者が住みついていたので、
 「もしあの人がお父さんだったら、いやだな」
 と思って、
 彼に、我が子だとばれないように
 橋の上を通る時は、
 大急ぎで走って通った思い出があります。
 友人のだんなさまは、杉並区生まれなので
 「環八の横断歩道のそばで拾った」
 と言われたそうです。
 けっこう大きくなるまで信じていて、
 「子供が3人もいるのに
  (4人兄弟の末っ子でした)、
  よく自分を拾ってくれたな。
  両親は、えらいな」
 となにげなくお兄さんにしゃべったら、
 大笑いされて、初めて
 からかわれたと気が付いたそうです。
 その時彼は、小学校の5年生ぐらい。
 親戚のおばさんに、
 「おじいさんにそっくりね」
 といわれるたびに、この人は、
 ぼくが、拾われたことを
 ごまかすためにうそを言っているんだと
 信じていたこともあるそうです。
 (匿名希望)

20年以上前の小学校の頃、
 後部座席から父の運転を眺めているのが
 好きだった私は、クルマの
 「方向指示器(ウインカー)」というものの
 役割を理解していなかった。
 方向指示器と聞いて
 「行きたい方向を指示してくれるモノ」
 と思いこんでいた。ある日、父に
 「すごいね、このクルマ!
  お父さんにどっちに曲がったらいいか
  教えてくれるんだね」と本気で言っていた。父も
 「そうだよ、ほら次は
  どっちに行けばいいのかな・・・?
  あ、右だってさ」
と私に合わせてくれていた。
 それでちゃんと目的地に着けたときは、
 ほんとうに感動した。
 今思えば、カーナビなんて言葉すら
 無かったあの時代に、
 我ながら凄いことを勘違いしていたなぁ。
 (あろはる)

息子が子供のころ、
 サンタさんにプレゼントをもらって、
 近所のおもちゃ屋の包装紙を見て、
 「アカクラって書いてあるよ。」というので、
 「遠くからみんなのを持ってくるのは大変だから、
  途中で買うんでしょ」といったら、
 「サンタさんは、どっちからくるの?」
 といって、10円をおいて、
 北の空に向かって、
 サンタさんありがとうって言ってました。

 (ケイ)

車に乗せるレーダーが出始めた頃
 我が家の車では、
 今のように当たり前的ではなく
 ハンカチなんかがかけられ、ちょっとした
 秘め事として扱われていました。
 子どもに悪いことを教えちゃいけないと
 思ったのか
 「これはオルゴールだ」
 と言い張っていた父と母でした。
 そして、私たち姉妹は信じていた。
 時々、予告もなしにオルゴールが鳴ると、
 「あれ?」とは思ったけれど・・・。
 (しょう)

幼稚園のころ、
 お薬のビオフェルミンを
 おやつ代わりにこっそり食べてました。
 親に見つかると怒られそうなのでこっそりと。
 ついでに、マーガリンを
 そのまま食べるのが好きでした。
 べつにおいしくもないのに。
 あっ、あと練乳もチューブから
 そのまま飲んでました。

 よく肥満児にならなかったなぁ。
 (ようこ)

幼稚園のころ、
 ときどき隣の家へやって来る、
 おばさんの孫と友達になりました。
 あるとき私は少年の家が
 盛岡にあるということを知り
 「盛岡はドコにあるのか?」と母に聞いたところ、
 「(当時住んでいた)神奈川より上のほうよ」
 と教えてくれました。たぶん、幼く
 東西南北がわからない私が理解できるように
 言った一言だったのでしょう。しかし。
 「上のほう?」
 そのときから、しばらくの間わたしは
 各県が雲の上へフワリフワリと浮いていて、
 神奈川の上に東京が浮き、
 そして盛岡は遥か上空にあるものだと
 信じていました。

 (ナヲ)

私が確か、5歳か6歳の頃の話です。
 私の母が、若い頃から通っている
 喫茶店があるのですが、
 私もよく一緒にその喫茶店へ行っていたんです。
 当時私はブラックコーヒーが大好きで、
 その日もゴクゴクとコーヒーを飲んでいました。
 そしたら、隣に座っていた常連の女性が、
 私に向かって
 「コーヒーをいっぱい飲むとね、
  お髭がたくさん生えてきちゃうのよ」

 と言ったのです。私は自分の顔に
 髭が生えているのを想像して、
 もの凄く恐くなってしまい、
 慌ててコーヒーを母にあげてしまいました。
 それから現在に渡って、
 私はコーヒーが飲めなくなりました。
 トラウマもありますが、
 なにより苦いのがダメで飲めないんです。
 なんであんな苦い物を飲めた のか、
 今でも全然分かりません。
 (ゆうぽん)

フタからポタポタ飲んだり、
 底面の堅い所を歯で
 ガジガジと噛んでちゅうちゅうと吸ったり、
 あぁ、皆さんなーんて共感できる
 ヤクルト話なんでしょう!
 わたしはフタに歯で小さな穴を開けて、
 閉じた唇に一滴垂らしては、
 これを飲まないと死ぬぞ!
 って遭難して助けられた人ごっこを
 やっていました。
 そして舌でペロリと舐めては、
 おぉ生きている!って感動する
 救助隊の感動まで再現してました。

 今、フタを普通に開けてヤクルトを飲むとき、
 ちょっぴり物足りなく切なくなりますね〜。
 (うず)

なんだかこのページを見るごとに
 「自分もそうだった、そういえば・・」
 と回想することが多くなってしまいました。
 祖父母に育てられて大きくなった私は
 両親に対する愛情が薄かったようです。
 実の親のところに帰ることを
 「泊まってくる」と言い、
 夜中には「帰るー!」と泣いて
 祖父母の家に戻っていたようです。
 真剣に毎日お祈りしていたのを覚えています。
 「おじいちゃん、おばあちゃんが
  長生きしますように!
  二人と同じ時に死ねますように!」
と。
 自分が親になった今、両親に
 かわいそうなことをしたなと思ってしまいます。
 (匿名希望)

(ミニコメント)

自説を述べて、
ガリレオのような思いをした小学生、
根拠はわからないけど、
未知なものに、直接つっこむ感じが、いいね!
「きっとそのうち認められるよ」
の、ともだちのサポートは、
読んでるだけで、こっちもうれしいし。

探偵道具を集めたり
犬の水の飲みかたを研究したり
いつか父親のカツラを暴こうとしたり
(おおきなお世話だけど)
子どもって、生まれながらの研究者で探検家!

方向指示器についての父親のやりとりも、
父のクルマの運転を見ているのが好きで、
みたいに、愛情がもとになっているからこそ、
なんか、ウソがかわいくて、あたたかかったです。

あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!

あなたや、あなたのまわりのガキばなしを、
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2003-08-07-THU
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