KINDER
ガキの頃は、バカだったなぁ。

(8月6日)

小学生の頃、
 猛烈に「風の谷のナウシカ」に憧れていました。
 メーヴェを操り、蟲と通じ合うナウシカ。
 その「メーヴェを乗りこなすナウシカ」のおかげで
 わたしは自転車に「乗る」ではなくて
 「乗りこなす」と多用していたことです。
 「3時に○○ちゃんちに集合」
 と約束をしようものなら、
 「じゃ私、自転車乗りこなしてくるね!」
 という具合に、普通に使ってました。
 そして自転車をこいでいる自分は、
 ナウシカでした・・・。
 (ゆに)

小学校1年〜3年まで、志村けんは
 私に惚れていると思い込んでいました。
 テレビの中の志村けんと、
 とにかくよく目が合うから・・・。
 志村けんを見かけるたび、
 何とも言えない甘酸っぱせつない気持ちに
 なっていました。
 自分の恋人のスポーツの試合(負けぎみ)を
 見ている感情に似ていたかもしれません。

 しかしその後、マンガの中のヒーローに恋をし、
 志村ケンを見ても
 そんな気持ちになる事はなくなりました。
 (りぼん)

既にガキではないですが、高校生の頃、
 同じクラスの男の子に片思いをしました。
 それはそれは大好きでした。
 想い余って、仲良し大グループ
 全員(10人くらい)を巻き込み、
 席替えのたびに、彼の近くの席になった子と
 席を替わってもらっていました。
 うちのクラスは、半月に2回という
 結構なペースで席替えをしていたのですが、
 おかげで丸1年間、
 常に彼の前後左右どこかに私がいました。
 怖かっただろうな…。
 (ゆに)

小学校一、二年のころ、
 よく「探検」と称して
 林の中の道に入って遊んでました。
 遭難したときの対策として、
 「ひじょうしょく」の飴を
 大きめの巾着にいっぱい持って歩いてました。
 大真面目でした。
 あるとき見たこと無い道を見つけて入って、
 「たいへんだ、そうなんしたそうなんした」
 って大喜びしてました。

 歩いていくうちに、
 見知った国道に出てしまい
 がっかりしたのをよく覚えています。
 ・・・遭難したかったんかい。
 (でも子どもって「ひじょうじ」に
  憧れるもんですよね。洪水とか憧れでした)
 親に内緒で行ったのに、友達の一人が
 授業参観の作文を書くにことかいてネタに
 しやがったので、散々な目にあいました。
 「ひじょうしょく」の飴は、そのうち
 日光にさらされたせいもあってかしばらく
 してみたら巾着袋の中で溶けて
 大変なことになっていました。
 中学生になって、その道が舗装されて
 新しい中学の通学路になっていたことを
 知ったときには、なんだか
 なんともいえない気持ちになりました。
 (匿名希望)

サンタクロースのエピソードがあったのを
 読んで思い出しました。
 幼稚園のころのクリスマス。
 起きたら部屋に自転車がおいてあり、
 無理矢理ハンドルのところに
 白いタイツがかぶせてありました。
 クリスマスプレゼントはくつしたに入れるもの、
 と思っていた両親が
 自転車はくつしたに入らないので、
 タイツをかぶせたんだと思います。

 今でもその光景、まざまざと思い出せます。
 でも他の年にくつしたに
 プレゼントが入ってたように思わない。
 あのタイツは、かぶせてみたかったから
 かぶせたのかなー。
 (noemi)

私ら姉妹と近所の幼馴染のお友達と
 アフリカ探検に行くという設定で大盛り上がり。
 子供部屋の雨戸を閉めて夜にして
 二段ベットの下段はジープ、上段はテント。
 ぬいぐるみは危険な野生動物!!
 ここはアフリカのサバンナって設定で
 異様に盛り上がって
 親に雨戸を閉めているのを見つかり
 怒られるまで楽しみました。
 暗いってだけで楽しかったな・・・

 押入れなんて道の洞窟のごとく
 懐中電気もって探検した小学校三年生の頃でした。
 あの想像力は今ではもうないなぁ・・・
 (匿名希望)

皆さんのガキネタで思い出しました。
 私は小さい頃、映画の同時上映を文字通り、
 「同時」に「上映」をすると思ってました。
 映画館が縦に仕切ってあって、
 同時に上映されていて、
 その仕切りは自分の好きな時に
 行き来が出来るものだと思ってたんです。

 「うるさくないのかなぁ」
 と素朴な疑問はあったのですが・・・。
 (まどか)

「バスから手を振り返される」
 という話で思い出したのですが、
 高校2年生のスキー修学旅行の時のことです。
 早朝に集合して、貸し切りバスに乗って
 新幹線の駅まで行く途中のこと、
 ちょうど消防署の前で信号に掛かり停車しました。
 そこはガラス張りの当番席の様なものがあって
 夜明け前の薄暗い中ひときは光を放っていました。
 その時誰かがその人に向かって手を振りました。
 そして次々とバス中の乙女達が
 おーいおーいと手を振り始めました。
 私のクラスは家政科で女子クラス、
 恥ずかしいものなどありませんから
 その様子はいやが応にも消防署員に伝わるはず。
 しかし、その方はまじめで
 気づかぬ振りをしていました。
 が、とうとう耐えきれなくなったらしく、
 小さく手を振り返されました。

 その後のバスの状況は大盛り上がりです。
 早朝ということもあり車も少なく
 私たちのバスは異様な光景だったろうことは
 容易に想像がつきます。
 ちなみにその時の私たちの服装は、
 スキーということで学校指定のジャージでした。
 うら若き乙女とは言え、
 恥ずかしさを知らないガキでした。
 (てらい)

小学生の頃、カナヅチだった私は、
 プールの授業が死にたくなるくらい嫌でした。
 ある時、塩がたくさん入っていて
 人が浮く「死海」を知り、
 学校のプールに、
 塩をどっさり放り込むといいんでは…?
 と、思い立ちました。
 近所のスーパーで、塩の値段を見て、
 「思ったより安い。いけるかもしれない」
 と、決意はしたものの、
 大量の塩を運ぶ方法がどうしてもわからず、
 人に相談も出来ずに終わりました。
 (あさ)

小学校中〜高学年くらいの頃、
 週末になると妹と子供部屋にこもって
 「プレイガールごっこ」に執心しておりました。
 当時やっていた「プレイガール」っていう
 若干エッチなテレビドラマを姉妹で劇にするのです。
 ミニスカをはいて相手を蹴飛ばしたり、
 布団に入って濡れ場も演じるという...。
 今でも時々妹とその恥ずかしい思い出話をすると
 笑ってしまいますが、
 当時、子供部屋を閉め切ってやる
 「秘密な感じ」がとても快感でした。

 (ミミ)

私幼稚園に通っていた頃の記憶で、
 おぞましいウンコネタが、あります。
 園から家まで、あぜ道を遊びながら帰るので、
 1時間くらいかかるのですが、
 その日、半分くらいの道のりを過ぎた頃、
 突然、ウンコがしたくなりました。
 私はその頃、大きい方は、どんなことがあろうと、
 自宅のトイレでしかしない主義だったので、
 なんとか耐え抜こうと努力しました。
 そして、ふと友人の言葉
 (ポケットに石を入れるとがまんできる!)
 を思い出し、ポケットに入るだけの
 小石を詰め込んで帰る事に。
 結果は、ご想像通りなのですが、
 ズボンが重いやら、ズルズルさがってくるやら、
 やっとたどり着いて、
 小石を出している最中に・・・。
 私は熊本ですが、このオマジナイは
 全国的なのでしょうか?
 (匿名希望)

小さくて丸い、
 色んな色付きのチョコレートが好物でした。
 それをひと粒、台所の母親に
 「はい、あげる」と渡して
 母親が食べたのを見て、腰に手をやり、
 「わーっはっは!今のそのチョコには
  毒を仕掛けておいたのだ!
  お前はもうすぐ死ぬ!」というのが
 夕方5時〜6時台にかけての遊びでした。
 ちなみに母は、夕食の支度をしながら
 「あらーどうしましょうー」と
 マンネリ化した声で、
 一応いつも驚いてくれました。

 (匿名希望)

3歳3ヶ月違いの妹が
 母のおなかにいたころ、父と母に、
 「名前をなんてつけようか?」と聞かれ、
 「○子(自分の名前)がいい」
 と言いました。
 だって他に名前なんて知らないものね。
 しかも、理由は
 「ご飯ですよ、って呼んだときいっぺんに
  二人来て便利だから」
といいました。
 その他のときは一緒は不便だろ、っての。
 (匿名希望)

僕が小学生の頃、
 「マラソン大会で1位になると引っ越す」という、
 ジンクスみたいなものがありました。
 3年連続でそれが起きたわけですから。
 4年生のマラソン大会で
 ぼくがゴール直前に抜いて2位だったY君は、
 ぼくが引っ越したその次の年に1位になり、
 やはり引っ越したようです…不思議です…
 (匿名希望)

幼稚園児のころ、母が私に
 綺麗な千代紙を貼った小物入れをくれました。
 それは3段の引き出しが付いているもので
 早速私は宝物を入れました。
 一番上は小銭(1円玉)二番目はシール、
 三番目には大好物の「しらす」に
 時々紛れ込んでいる
 小さな海老とか、タコの子どもなどを
 ティッシュに包んでしまっていました。
 ごはんのたびに、しらすの中に
 まぎれた赤いものをつまみとっては
 引き出しにしまってました。
 不思議なことにエビやタコやイカ?などは
 腐りもせずミニ干物になり
 私的には、思った以上に
 いい「宝物」ができた、と思っていました。

 干物集めは引き出しがいっぱいになるまで
 続いたあと「完成」して終わりました。
 その引き出しを小学校6年生の
 引越しの日まで大事にしまっていました。
 引越しで紛失しなければまだ持っていたかも。
 (バロッコ)

私の友人ヨシオは、
 高校時代に居酒屋でバイトを始めて
 すぐくらいの頃、お客さんから
 馬刺しを注文され伝票に書いて
 厨房に持って行った。
 しばらくして、厨房から
 「おい、ヨシオ〜!こりゃ何だ?」
 その紙にはバッチリ「バサ塩」と。
 (人間洗濯機)

ヤクルトの底を齧って飲むやつは
 私もやってました。
 デリバリ版で読むまで忘れてたなぁ。
 あとコップを吸って落ちなくするのも
 やってました。
 妹を乗せて四つん這いになって
 お馬さんごっこしてたのですが、
 母親が帰ってきて終了。
 コップをとったら唇の周りがまっかに!!
 「あんた何それ!」と言われても
 何のことかわからず、
 鏡を見てビックリ。
 急いで病院に連れていかれました。
 いちご病とか言われた気がします。
 消えるまで数日休みました。
 ちなみに、小3ぐらいの時、
 仲のよかったT君が車の大分ナンバーを指差して、
 「これ読める? だいぶ」
 と聞いてきました。
 「おおいた」やでとすぐさま突っ込んでしまい、
 お互いしばらく沈黙しました。
 まだフォローの仕方がわかってなかった。
 (J)

(ミニコメント)

「自転車乗りこなしてくる」をはじめ、
自分ではかっこいいと思って
やっちゃっていたがゆえに、
「その陶酔が恥ずかしい!」ということって、
ガキにはよくありますよねぇ・・・。

たとえば、この「ガキばなし」を
毎回途方もないメールの中から選んでいる
わたくし「ほぼ日」スタッフ木村俊介だって、
小さいころ、当時お気に入りだった
「ミニ四駆」というおもちゃを
ともだちと一緒に買った帰り道、
自転車をこぎながら、小声で
「ダッシュ2号〜〜♪
 プクゥ!(光を浴びたような効果音)
 バーニングサン!」
とか、ゴキゲンで
歌にナレーションまでつけていた声が、
たまたま、ともだちに聞こえちゃったようで、
えらい、はずかしかったんですよね。
小声で言ったんだけどなぁ。

あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!

あなたや、あなたのまわりのガキばなしを、
件名に「ガキ」と書いて、
postman@1101.comに送ってくださいね!

2003-08-06-WED
BACK
戻る