KINDER
ガキの頃は、バカだったなぁ。

(8月4日)

私もお葬式で大騒ぎした子供でした。
 それは小学3年の頃
 90歳をとうに過ぎていた曾祖母は
 自分が死んだらお祭りだと
 常々言っていたのですが
 彼女の葬儀の夜はその言葉どおり賑々しい
 「大宴会」
 見たこともない親戚や
 久しぶりに会う従姉妹たちに興奮した私は
 何を考えたのか、
 彼女達と一緒にメモ帳とペンを持って
 親戚中を回り、
 彼らの「サイン」を貰いまくっていました。

 酔って真っ赤な顔をした親戚たちは口々に
 「芸能人みたい」と照れつつも
 みんな大喜びで
 自分の名前をサインしてたのを覚えてます。
 普段は物凄く厳しい父親も
 かなり酔っていたんでしょう。
 叱るどころかしっかりサインしていた…
 しかし、どうしてそんなもんが欲しかったのか。
 いま考えてもナゾです。
 (みなみ)

高校2年の春休みのことでした。
 当時、英語部に所属していたのですが、
 顧問の先生は男子バレーボール部も
 掛け持ちしていました。
 春高バレーに出場した
 バレー部の引率のために、
 春休み中の英語部は
 顧問なしで活動をしていました。
 おバカなことが好きな英語部は、何を思ったか
 「部室(LL教室の準備室)を
  美術館にしよう!」と、
 アートな作品を作り始めました。

 ホウキで生活指導のY先生似の
 オブジェを作ったり、
 カラー(花)の茎で生け花
 (ちなみに作品名は”ポップ・デ・クサイ”)
 をしたり、絵を描いたり・・・
 しかも、セントポール美術館という
 名称までつけていました。
 そして、春高バレーに出場していた
 バレー部が負け、顧問の先生も戻ってきました。
 英語部の部室に戻ってきて、
 あまりの変わりようにビックリしていたのは
 いうまでもありません。
 バカなことも、計算してるようでしていなくて、
 あれが一番のバカな時代だったかもしれないです。
 (とぱーず)

夜道を自分と弟と母で歩いていると
 突然弟がすってんころりん。
 そこへタイミングドンピシャで車が!
 ・・・今から思えばこけたのは
 道の端っこだったので
 なんてことは無かったんですけどね。
 「あ、弟が危ない!」と思った自分は
 車の前に飛び出し、
 両手を広げて弟を轢かせまいと仁王立ち。
 車の人はあわてて急ブレーキ+クラクション、
 母もあわてて道の真ん中で仁王立ちする
 自分の腕を引っ張って道の端に引き戻しました。
 自分の中では『身を挺して弟を守った』はずが
 その後、30分、みっちりと母に怒られました。
 私のこどものことなんですけど
 いまは20歳になるのですけど
 ずーっと、サンタさんを信じていました。
 中学1年ころまで?
 高校生になったときに、いつまで、
 信じていたのなんて聞いてしまいました。
 返事はありませんでした。

 申し訳のないことをきいてしまったと
 いまでも後悔しています。
 (匿名希望)

 きっとずーと信じていたのだと思います。
 私の妹は小さい頃自分を男だと思ってました。
 絶対にピンクや赤いものを身につけようとせず、
 好きなおもちゃはラジコンに
 スパイダーマンの人形。
  ある日我が家の洋式トイレで妹の泣き声が。
 妹はついに立ちションをしてしまい、
 思うように便器に吸い込まれず
 床に流れていく液体をみて大泣きしたようです。
 もちろん母は大激怒。
 しかし、我が妹はきっと今度こそはと
 思ったのでしょう、立ちション再挑戦し、
 またもや見事に失敗しています。

 あまりにも妹の行動が衝撃的なため、
 自分のガキの頃の思い出といったら
 アタックナンバーワンごっこをしていて
 どぶに頭をぶつけ、額を2針縫ったこと
 くらいしか思い出せません。
 (あやこ)

19歳の時のことなので、
 ガキ話ではないかもしれませんが
 (でももうすぐ30歳になるし、
  今よりはずっとガキなので)
 バカだったなぁ、ということがありました。
 私は免許を取って1年くらいの頃で、
 まだ自分の車を持っていなかったので、
 いつも父のクラウンを運転して
 学校に通っていました。
 ある日、いつものように、学校が終わり、
 バイトを終えて夜9時ごろに帰宅しました。
 家の前で車庫に車を入れようとすると、
 同じ色のクラウンが
 車庫の隣の空いている所にとまっていました。
 私は「家を間違えた!」と
 そのまま自分の家の前を通過し
 (ちなみに8年住んでいます)、
 近くの大きな道路まで出ました。
 そこまで来て、間違えていないことに気づき、
 また自分の家に戻りました。
 でも、やっぱりウチの車があるのです。
 自分の家を間違っていないことを信じ、
 とりあえず車庫に入れることにしました。
 車をしまって、とめてあった車をよく見ると、
 ナンバーがウチの車とは違っていました。
 ウチの車より型が新しかった。
 そこで初めて事情を把握することができたのです。
 「父が仕事で使っている車に乗って帰ってきた」
 ただそれだけ・・・
 今思い出しても、バカだなぁ・・・
 と思うのですが、
 その時はとにかく必死で・・・
 (とぱーず)

子どもの頃、我が家はごく普通の中流家庭で、
 親も特にケチだったわけではないのですが、
 「贅沢は敵!」という信念を持っていました。
 よく見ていたカルピス劇場の
 『フランダースの犬』の“ネロ”や
 『母を訪ねて三千里』の“マルコ”が
 貧しい中、逆境にもめげず
 明るく生きる姿にヒーローを見ていた私は、
 自分を貧しい環境に置くことで、
 より前向きに生きているような
 すがすがしさを感じていました。


 たまに家族で買い物に出掛けた帰りに
 「じゃ、今日は食べて帰ろうか」となった時、
 姉も弟も大喜び。
 私も外食は普段母の作る純和食以外のものが
 食べれ、大いに魅力的で、
 実は内心大賛成だったにもかかわらず、
 表面上は断固反対していました。
 結局は思惑通り、外食して帰るのですが、
 入ったレストランでも
 眉間にシワを寄せながらメニューを選び、
 「あたし、ハンバーグでいい」
 などと無愛想に注文していました。
 いざ、ハンバーグが目の前に出てくると、
 嬉々として平らげていたので
 私の本心は家族にバレバレだったのでしょう、
 毎回そういう機会があれば
 一応反対してみていたのですが、
 まったく相手にされていなかった気がします。
 (か)

小さい頃はしいたけが大の苦手でした。
 時には「強制執行」といって、
 しいたけを初めとした嫌いなものを
 父親から無理矢理食べさせられました。
 (この時は、なんてひどい事をするんだと
  少し恨んだぐらいでした)

 ある時、”しいたけ昆布”というものがあり、
 「これは何?」と聞くと、
 父曰く「これはしいたけの形をした昆布だよ」
 昆布は嫌いではなかったので、
 試しに食べてみると、少々変わった味の
 昆布だなとは思いましたが、
 食べられないことはありませんでした。
 そうやって、幾つか食べ終わった時、
 「実はそれは本物のしいたけを
  加工しただけだよー。」
 と言われてビックリ。
 すっかり、だまされてしまいました。
 でも、そのお陰で、現在ではしいたけを始め
 好き嫌いは全くと言って良い程なく、
 今は父に感謝しています。
 (こ)

幼稚園生のころ、
 私は旭國関がなぜか好きでした。
 今思えばとても渋いガキでした・・・
 なので、一生懸命
 「旭國」と漢字を練習しました。
 小学校入学したら自慢しようと
 決めていたのです。

 そんな自慢もできずに過ぎていきました。
 自慢しなくてよかった・・・
 (くまはは)

バレンタイン話で思い出しました。
 中途半端に色気づき始めた小4ごろ、
 ひそかに思いを寄せる男の子はいても
 「中ピ連
  (当時盛んに活動していた
   過激なフェミニスト連)」
 と仇名されていた私は、
 バレンタインなんぞ知らんわ、と
 その直後のある日も同級生のやんちゃ坊主達と
 憎まれ口をたたきあってました。
 こいつらを決定的に黙らせる方法は
 ないものか・・・とそのとき閃いて、
 慎重にタイミングをはかって言い放った
 悪魔のような言葉・・・
 「バレンタインにチョコレート、
  一個ももらえへんかったくせに!」

 絶句した彼らに鼻高々だった私もオトナになり、
 なんてこと言っちゃったんだろ、
 と反省するばかりです。
 自分だって、チョコあげる勇気なんか
 なかったくせに・・・
 高木君、流君、あの時はほんとうに、ごめんね。
 (akiko)

おとつい小学校の同窓会がありました。
 当時私がイスに座ろうとした時、
 男の子がイスを引いて私がケガをした事件があり、
 同窓会で彼は私に改めて誤ってきました。
 しかし、「まだあやまりたいことがあるねん」と
 知らないことが次から次へと出てくる出てくる。
 しかも、くだらないいたずらばかり・・・
 放課後チョークを机にぶつけて
 わざとこなごなにしていて、
 その机がたまたま私の机だったとか、
 私の家の近くの道路で、
 家と向かいの家をセロハンテープでつなぎ、
 (透明だから)誰かこけるのを待っていたとか。
 べつに、私に悪意があってやった
 いたずらじゃないので
 私自身も気にしてなかったのだけれど、
 そんなバカな事してたんだなぁ〜とある意味
 感心してしまいました。

 そんな彼も、20才で結婚し、
 すでに4才と0才のパパらしい。
 子供の話は照れるからするな。といいつつ、
 子供の名前とかは
 ちゃっかり教えてくれたのでした。
 子供と一緒になってバカなことするんだろうな。
 (ライナス)

バスから後ろの車に
 手を振る方のお話で思いだしました。
 私も小学生の頃、高速道路を使って
 家族で遠出する時、
 よく後続車に手を振っていました。
 妹二人と一緒に。
 名づけて「バイバイ大作戦」。
 乗用車の高さなのでトラックの運ちゃんには
 振ってみたことないですが、
 格好つけてるバイク乗りのおにーさんとかは、
 大抵素敵に反応してくれました。
 格好つけて、片足乗りなどの
 変則乗りを披露してくれたりとか。
 今思うと、危険きわまりない。
 あと、
 「トンネルに入ったら息を止める」という
 作戦も展開されていました。

 山の中の高速なので、
 結構トンネルが多かったんですね。
 実家が田舎なので、子供の時は毎日のように
 何かしら車に乗っていましたが、
 そういう作戦が展開されるのは、
 決まって高速に乗っているときでした。
 なんでなんだろうなあ。
 (まさよん)
 
   
(ミニコメント)

今回は、特に何気ない日常の風景を、選びました。
トンネルで息を止めるとか、
教室をアート作品で飾ってみるとか、
いかにも、子ども時代にやりたいことですもんね。

同窓会で、過去にやっていたことをあやまるって、
そこまで含めての味わいがありますよねぇ。
思わず残酷な台詞を言ってしまうのだって、
やっぱり、ガキの姿のひとつなんでしょう。

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2003-08-04-MON
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