KINDER
ガキの頃は、バカだったなぁ。

(7月22日)

カメハメ波の練習をした、という人がいましたが、
 私は魔女宅のキキにあこがれて
 ほうきで飛ぶ練習をしてました。
 それを親に見つかって
 照れ隠しで「と、飛べるわけないよなぁ、あはは」
 なんて弁解して、親が去ると
 「いや、でももしかしたら・・・」ってまたほうきに
 またがって念力を送ってました。

 それをこの前クラス会(私は二十歳)で話したら
 その場にいた女子ほとんどみんなが
 「私もやった!」って。
 あと、みんな森や林にハイキングに行くと
 トトロを探してたそうです。
 私は「子供のうちしか会えないんだから、
 大人になる前にぜったい会わなきゃ!」
 ってドキドキしてたのを覚えてます。
 私たち、ジブリ世代だなあ。
 (さくや/大阪)

色々思い出しました。
 通学路が30分ほどかかる
 田舎の小学生(ヘルメット着用でした)だった私は
 集団登校でも2チームに分かれて
 「走っちゃいけないけどどちらか先に学校まで着くか」
 という競争をしたり。
 車の往来の激しいところだったので、
 車の陰をジャンプして、踏まないようにと遊んでみたり。
 (ダンプとかが通ると影も長いので、大変でした)
 あと、山桃や椎の実を食べながら帰ったり。
 誰かのお家の木だったのでしょうが、
 道路わきにそのまま食べてくれと言わんばかりに、
 なってたのです。
 青梅のにおいに誘われて親から
 「食べちゃだめ」と言われていたにもかかわらず
 かじったらむっちゃ口の中が渋くなっちゃった事。

 いろんな遊びを見つけていたんだなぁ。
 といまさらながら感心します。
 (匿名希望)

私は小学校高学年いやもっとかもしれないけど、
 みんな地球の上にいて、どうして落っこちないんだろう?
 地球の内側にいたらおちないけど太陽はみえないし、
 すごく難しい答が帰ってきそうで、人には聞けない。
 でも、どうしてなんだろう、と下校途中真剣に
 ああでもないこうでもないと考えて、
 やっぱり、おちるじゃないという結論にたどりつき、
 怖い思いをひとり噛み締めていました。
 (いくちゃん)

小学校1.2年生の頃、
 いたずらで牛乳配達の箱の中に、
 泥水で作ったコーヒー牛乳を
 『サービスです!』と書いた
 汚い文字のメモと一緒に入れておいて、

 わくわくしてたよ。
 いったい誰がだまされたんだろう?
 (森下)

こどもの頃、「お百姓さん」とは、
 当時の一万円札に印刷されている
 「聖徳太子」のことだと思っていました。
 名前に「百」がつくくらいだから
 相当偉い人だと思い、相当偉いのは
 あの一万円の偉大そうな方に違いないと確信したのです。
 ですから、小学校の遠足でバスに乗っていたとき、
 だれかが「あ、お百姓さんだ!」と叫んだときは、
 あの一万円のお方がいるのだと思って
 興奮する心をおさえつつ窓の外をみると、
 田植えをしている人がいたので、

 わけがわからず当惑しました。
 (MAKO)

小学校中学年ごろだと思うが、
 自分がだれだかわからなくなることがありました。
 学校から帰って、自宅前までくると、
 ここんちに入っていいのかなーなどと思い、
 でも、そこんちが「中村さんち」なのは知っていて、
 胸についた名前札を確かめると、
 「中村○○」と書いてあるので、安心して入る、
 と言う感じでした。両親のことは大好きで、
 毎日幸せに暮らしていたのに、あの、
 不安な気持ちはどこからきたもの
だったのでしょう。
 変な子だったことは確かなようです。
 いつ頃からか、そんなことは考えなくなりましたが。
 (み)

ほぼにちは。
 皆さんの投稿を読んでいると、
 さまざまなことが思い出されます。
 小学生のころ、お姉ちゃんとお姉ちゃんの友達と、
 「タイムカプセルを埋めよう」ということになりました。
 当時、「タイムカプセル」に非常に憧れていたのですが、
 うちの学校では他の学校のように
 タイムカプセルを埋めるとかいう、
 粋なことはやっていなかったので、
 自分たちで埋めようということになったのです。
 箱の中に入れたものはあまりよく覚えていませんが、
 たぶん、当時好きだった西城秀樹のブロマイドとか、
 そういうものだったと思います。
 でも、ひとつだけ強烈に覚えているものがあり、
 それは自分の歌を吹き込んだカセットテープです。
 曲は、流し目で有名な
 遠山の金さん・杉良太郎の『すきま風』。
 なぜその歌なのかはわかりません・・・。
 なぜ覚えているかというと、3日ごとくらいに
 掘り返して聞いていたからです。
 8才くらいだったので、12年後の20才になったら
 掘り返そうねって、3人で約束したんですけどね。
 私一人で掘り返していました。
 ・・・と思っていたら、ある日(1ヶ月も経たないころ)
 タイムカプセルが無くなっていたんです。
 (その時は、もう何度か掘り返したあとだったので、
  わたし的には少々飽きていたのですが・・)

 お姉ちゃんたちの仕業でした。
 みんな堪え性の無いガキでした。
 (skipped-beat)

子供のころ、綿あめと雲は同じものだと
 信じて疑うことはありませんでした。
 時々空に浮かぶバルーンは
 綿あめを採取しているのだと思っていました。
 母親に同意を求めると、全く違うと言い張るのですが
 私は「お母さんは何にも知らないんだから」
 自分の主張を曲げることはありませんでした。
 今も雲を見上げると、
 口の中につばがたまってきてしまいます。
 (Mako)

シーチキンを缶からそのまま食べていました。
 しかも油をきらずに、したたる油とともに。
 うちは和食中心だったので、
 そのオイリーさが幼い私の憧れだったのです。
 今、棚のシーチキン缶を見ても
 もうあの当時のような憧れはありません。

 外に出ていろんなものを口にできたという
 満足感からでしょうか。
 (しむやけ)

小学校の修学旅行で、行く前に保健の先生に
 「環境が変わると初潮が始まる事があるので
  ちゃんと準備をして行きましょう」
 と説明を受けました。
 就寝前、班長の子が
 「寝ている時になっても大丈夫なようにしよう」
 と言い出し、「そうだ、そうしなきゃ」と
 同室の子全員が用意して行った生理用のパンツを履き
 ナプキンを付け(その場で)安心して眠りにつきました。
 翌朝、それぞれパンツの中を覗いて「あ、来て無い」と
 報告しあい、その儀式は
 修学旅行中、毎日繰り返されました。
 結局、旅行中になった子は1人もいませんでした。
 (匿名希望)

小学校に入学したての頃
 父に貰ったプラスティックの名刺ケースに
 毛虫を集めていました。
 その毛虫が蝶々になったら、
 漫画に出てくる主人公のように
 自分のまわりに飛ばす計画でした。
 通学路も変わり、下校時の寄り道がとにかく楽しくて
 「一緒に帰ろう」という友達を振りきり、
 1人で夢中になって
 ケースいっぱいに毛虫を収集しました。
 ところがある日、TVで
 「ゴジラ」に出てくるモスラを観てしまい
 自分が集めてる毛虫が大きくなって
 あれになってしまったらどうしよう
と思うと、
 とても怖くなり
 以来ケースさえ触るのが嫌になり
 机の引出しの一番奥に隠し記憶から抹消しました。
 その後それは、探し物の為引出しを開けた母によって
 発見され捨てられるのですが
 母の絶叫する姿は梅図漫画のようでとても怖かったです。
 今では蝶々も毛虫も大の苦手です。
 (タマタロ)

私も小学生の頃かなりバカでした。
 毎日、指でハナクソをほじっていた私は、
 頭の中には大量のハナクソがつまっていて、
 取っていたらいつか無くなって
 スッキリするもんだと思っていました。
 あと、寒い日の朝に息が白くなるのは、
 寝ているあいだに体の中で白い物質が作られて、
 それが口から出てくるからで、
 お昼に普通に戻るのは、白い物質がなくなるからだと
 勝手に結論づけていました。
 (t)

小さい頃、子ども向きの図鑑が大好きでした。
 その中に、火山が噴火して
 溶岩が流れ出す写真がありました。
 それをみて、いつか、
 自分の家の前から溶岩が噴き出すのではないかと
 ズッと心配してました。

 いくら地震国でも、さすがに庭から溶岩はね…
 (なすび)

母の婦人雑誌などを見て
 子供の作り方の見当がついた頃(12歳位?)
 桃太郎などの昔話に出てくる子供のいない
 おじいさんとおばあさんは
 「昔の人だから子供の作り方を知らなかったんだ」
 と確信していました。
 (まるは)

小学校へ上がる前だったのかもしれません。
 地方の田舎町に住んでいましたが
 当時道路は砂利道がほとんどで、
 家の前の県道も砂利道でした。
 市内で唯一駅前付近がアスファルトだったのですが、
 アスファルトは砂利道の上を
 車がたくさん通って踏み固められ、
 やがて平らなアスファルト状になると信じていました。
 家の前の県道の砂利道がそろそろ踏み固められ、
 「もうすぐアスファルトになる!!」
 と楽しみにしていると、砂利まきの車が来て
 新たに砂利がまかれまた、凸凹道に・・・。
 「なんで!もうちょっとで
  アスファルトになったのに〜〜〜」

 と半泣きでした。
 その後アスファルト道路ができる光景を目の当たりにし、
 あっという間に道路が「平ら」になるのを見て、
 なんだかがっかりしたのを妙に覚えてます。
 車の交通量が、砂利を平らにすると思ってたんだよね。
 (origu)

そういえば、私も小学校低学年の頃
 「草遊び」と称して雑草を食べまくってました。
 麦の茎がメロンの味とか、落ちている稲穂を
 火にかけてぽんぽん菓子とか工夫しつつ、
 学校帰りにいろいろな草を
 めちゃくちゃ食べてましたね。
 私もカタバミだと思える
 赤いすっぱいクローバーみたいな草が好きで
 良く食べてました。

 そして、友達も食べていたはずなのに
 私だけ見事ギョウチュウ検査でひっかかり、
 家族全員に迷惑をかけたものです。
 いろんなものを食べていた。
 皆さんは虫、大丈夫でした?
 (さとみ)

小学校1年の頃、友達のAちゃんと下校途中に、
 なぜか二人ともとってもウンコがしたくなった。
 丁度いい草むらもなく、人もまあまあ通る田舎道。
 「どうしよう もれる〜」と半泣きのAちゃん、
 自分もちょっとヘンな汗かいてきた。
 そこで私は何を思ったか、足元に落ちていた
 丸い小石を3つ拾うと、
 「Aちゃん、これ!
  わたしがこれさえ握ってればウンコでないよ!
  魔法の石だから!」
 右手にあまるような小石3つを掲げつつ、
 冷や汗たらしながら無言で歩くこと20分。
 やっとこ家の近所でAちゃんとの分かれ道に着いた。
 そこにはどぶ川が流れてて、
 Aちゃんは自分の家に向かう小さな橋を渡り終え、
 そこで「よかったー もれなかったよ!ありがとう!」
 と引き攣りながらも笑顔で振り向いた。
 「これはまだ油断はできない!」と思った私は、
 「Aちゃん、一つだけお守りにもっていって!これを!」
 と小石の一つをアンダースローでAちゃんに放り投げた。
 小石は緩いカーブを描いてAちゃんの額を直撃。
 「いたい・・」としゃがみこむAちゃん。
 そして程なく
 「・・・もれちゃったよぅ〜〜わ〜ん(号泣)」
 どうしたら良いかわからず、
 ウンコしたいのも忘れて速攻走って逃げました。
 (ごめん)
 
   
(ミニコメント)

ラストのウンコの話、最っ高!

「なんでみんな、地球からおっこちないんだろう?
 やっぱりおちるじゃないかという結論に辿り着き」
というのが、めちゃくちゃいいなぁと思いました。
学校の帰り道に、必死に考えて、その結果!

タイムカプセルだとか、
ちいさいころの肉声をふきこんでおくとか、
やっておいたら、たのしかったかもなぁってことは、
みなさんのメールを読んでると、
いくつか、ありますね。

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どんどん、おおくりくださいませー!!!
       

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2003-07-22-TUE
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