KINDER
ガキの頃は、バカだったなぁ。

(7月5日)

兄がふたりいるけど、子供のころは
 ほとんどひとりで遊んでいました。
 なので、作ってしまいました。架空友達。
 架空友達は「かわいい女の子」でした。
 応接間のテーブルと椅子をぴょんぴょん
 跳びながら架空友達と遊んでました。

 自分でもこれは普通じゃない遊び方だとわかってたので、
 親などにはいいませんでした。
 けど、1回だけ自分の中でめちゃくちゃ盛り上がって、
 勢いでおばあちゃんに紹介しました。
 その時のおばあちゃんの反応は覚えてないけど、
 「バカな子だ」と思われたんだろうな。
 たぶんその頃から妄想力が強くなったんだろうなー。
 (松)

ことわざの『鬼のいぬ間に洗濯』。
 洗濯は家の中の洗濯機でするものとしか
 思っていなかった私は、
 「鬼がせっかくいないんだったら、
  洗濯なんかしてないで、
  さっさと逃げ出したらいいのに」

 とずっと思ってました。ごく最近、妹に
 「鬼が山に引っ込んでいる間に、
  村の川(あるいは井戸)で洗濯するのよ」
 と教わって、まさに目からウロコが落ちました。
 (ドゴ/♀)

コドモのころの思い込み。
 幼稚園の時縁日で買ったヒヨコが死んでしまい
 母は「死」について説明はまだ早いと思ったのか
 ヒヨコをやきそばとかのプラスチックのパックに入れ
 近くの公園に埋めて
 「しばらくしたら鶏になって出てくるからね」
 と言った。
 私は成長したら鶏になる事実とは別に
 高校生くらいまでそれはそれで本気で信じてた。

 ある時ふと矛盾に気が付いた。
 母にそのこと言ったら
 「よく覚えてるわね〜」
 埋めた場所まで覚えております。
 (こえなしうさぎ)

小学校のころ、学校が遠くてバス通学していました。
 家から通りに出てバスが
 自分の横を通りすぎようとすると
 ダッシュで追いかけていました・・・バス停まで。
 あのころいつも寝坊していたので
 こっちはかなり必死で毎朝バスと競争していたんですが、
 バスの中でその様子を見てた人はびびってだろうなぁ〜。
 徒競走ビリだった私は高校時代短距離で
 インターハイに行けました。

 私はあの頃の特訓のおかげだと思っています
 (バスと共に去りぬ)

小学校3年くらいの頃、友達2人と
 公園の砂場で落とし穴を必死になって作ってました。
 昼から掘り始めてもう夕方。
 それでも「いやいや、まだまだ。もっと深く!」
 と延々掘り続けました。
 その間落される人の姿を想像して
 ほくそ笑む以外、無駄口一切なし。
 今思えばかなりストイックな作業だったと思います。
 そしてついに夜に突入したとき
 私達の理想の深さの落とし穴が完成!
 したのはいいものの、
 肝心の「だまして落ちる人」がいないことに
 気づいた私達。
 でも作ったからには絶対に落ちる瞬間を
 この目で確かめねばならぬ、と
 結局じゃんけんして負けた友達一人が
 目を閉じて落とし穴に落ちることに。
 薄暗闇の中で弱々しい悲鳴とともに
 自ら落下していく友達の姿は、
 今後も忘れられそうにありません。

 (意味なし法一)

幼稚園のころ、いとこのおじさんに
 初めて京都に連れて行ってもらったとき、
 初めて京都弁を耳にし、
 東京育ちでそれまで方言など
 耳にしたことがなかった私は
 テレビの時代劇の言葉と同じだと勝手に解釈し、
 この人たちはみんな昔の人なんだなぁ、
 今自分は昔の人と会ってるんだ!
 すごいなぁ、と勝手に感心してました。。
 (Y)

私が小学2年生の頃、転校先の学校ではなぜか
 「アリを踏むと明日は雨」という妙な迷信を
 みんな真剣に信じていました。
 遠足の前の日なんかにうっかり踏んでしまうと
 「あぁ〜、おまえのせいで明日雨だ 〜」
 と大ひんしゅくをかってしまうので、
 みんなで下ばかり見て歩いたものです。
 (ニオ)

小学生の頃、
 テレビでガンの闘病ドキュメンタリーをみて
 ガキのあたしは、
 特有の妄想を膨らませ、おびえました。
 「あたしはガンではないだろーか?」
 むずかしい顔をしながら
 アバラがちゃんと左右対称になっているか、
 ひまをみつけては指で骨を数えてました。
 意味不明な骨チェックが、ガンと何の関係があるのかと
 問い詰めたい気分でいっぱいです。
 (a)

私は覚えていないのですが、妹から
 小さい頃私が子供部屋の「おふれ」を作って
 妹たちに守らせていたらしいです。
 すごく嫌だったとまで言われ、
 その記憶を消してしまいたいです。
 (元独裁者)

子供の頃、テレビのドラマにでてくる殺人現場や
 病気のシーンは、死にたい人を募集して、
 本当に殺しちゃったり、
 死んじゃったりするんだと思ってました。
 だからとても怖かったです。
 (び)

実家は自営業なので
 小さい頃はあまり親にかまってもらえず、
 寂しくなった私はケチャプを口の端につけて血に見立て、
 冷蔵庫の前で誰かが気付くまで
 倒れていたことがありました。

 後からすごくバカにされました。
 しかしその後も両親の気を引きたかった私は、
 耳の中に小さなビーズを
 いくつか入れてしまったのでした。
 両親はさすがに慌てて私を病院まで連れて行き、
 私の耳のビーズは掃除機のようなも
 ので無事吸い取られたのでした。
 今思い返すとすごく
 寂しい子ども時代を送っていたような…
 今じゃフツーなんですけども。
 (とと)

小学生低学年のころ,
 トイレで大きいのをしたあとに紙で拭いても
 全て拭き取れないものとおもっていました。
 っていうか,パンツはその汚れをズボンにつけないために
 はくものと思っていました。

 で,小学3年生の夏休みの時,
 友達のうちの庭でビニールプールで遊んだときのこと。
 友達が
 「あ〜,××(私)のパンツうんちついてる〜」
 とはやしたてました。
 私はそれが当たり前だと思っていたので
 さして気にもせず
 いっしょにけらけらわらっていました。
 夏休みが終わり,教室のうしろに
 クラス全員の宿題がはりだされました。
 そのなかに
 「×月×日 きょうビニールプールであそびました。
  ××(私)君のパンツにうんちがついていて,
  みんなで笑いました」
 という友達の絵日記が。その時初めて
 「あ〜,うんちってちゃんと拭けば残らないものなんだ。」
 と気付きました。
 (coo)

TVで洗剤やハミガキ粉のCMを見てて
 「何で皆、”うちの洗剤はこんなにスゴイんですよ”
  って自慢し合ってるんだろう?
  大人のくせにみっともないなぁ」

 と思っていました。
 母に聞くと「スポンサーっていうのがあって」
 というような事を言っていましたが、
 そもそも、お金というもので
 生活が成り立っている事自体を知らないので
 よく分からなかった。
 (おりと)

小さい頃、じっと
 自分の手を見つめていた私は突然泣き出しました。
 驚いた家族がどうしたのか尋ねてみると、
 「指が一本ない・・・」
 親指と人差し指の間だけ他の指と指の間より
 間隔が広いので、知らないうちに
 一本なくなってしまったのだと、本気で震えながら
 泣きじゃくる私に、家族全員が両手を差し出して、
 親指と人差し指の間には指はないことを証明しました。
 ものすごく恐ろしかったことだけ、憶えています。
 (えっこ)

幼稚園のころ、
 いじけると園の大きな机の下に潜ってました。
 机の下は自分だけの領土だと信じていたので
 他の人が入ってくると激怒。
 で、二時間ぐらい出てきませんでした。
 (すう)

子供の頃、何故かプラスチック製品が好きでした。
 消しゴムもプラスチック製だと聞き、
 ならばそのカスを捨ててはもったいない!と感じ、
 「コンタクトレンズの代わりにしよう」
 と、せっせと目に入れていました。
 痛くてしようがないし、視力も上がらなかったので
 いつしかやめてしまいましたが、
 今でも100円ショップなどの
 プラスチック製品の山を見ると
 ちょっとわくわくします。
 (よこあき)

幼稚園のおやつの時間のお菓子が
 プロ野球チップスだった時、
 みんながプロ野球カードをちやほやして
 盛り上がっているのを見て
 野球を知らない私は仲間に入れないと焦り、
 「私はこの王選手だって食べることができる!」
 と王選手のカードを食べました。
 みんなの白い目を尊敬のまなざしに変えようと
 必死に食べましたが、
 やっぱり半分くらい食べたところでバカバカしくなり
 王さんの下半身だけ残しやめました。
 その後一部の負けず嫌いの男の子の間で
 「カード食べ」が流行りましたが
 すぐに園内で禁止となりました。
 (あまぐり)

戦前生まれの両親をもつ私は、
 子どもの頃から戦争のことを聞かされていました。
 戦争というのは定期的に起こるものだと思いこみ、
 敵機来襲に備え、庭に穴を掘って、
 防空壕(もどき)を作りました。

 子ども心に、ドキドキしました。
 (さとみ)

子供の頃、
 ティッシュペーパーに砂糖をふりかけると
 綿菓子ができあがると信じていました。

 短冊状にちぎったテッシュをお皿にのせて
 その上からグラニュー糖をぱらぱら・・・
 たぶん近所の小さい子達に食べさせてたよ、私。
 当時うちで使っていたティッシュペーパーは
 ピンク色だったので、白いテッシュにしてくれたら
 真っ白な綿菓子が作れるのになぁ〜と思ってました。
 (ポリピロ)

おばあちゃんが男だと思ってた、と言う話
 うちの娘が幼稚園年長の頃、似たことがありました。
 仲良しのS子ちゃんちから、血相変えて帰った娘は・・・
 「あのね、S子ちゃんちのおばあちゃんは、
  おじいちゃんだった。
  だってね、自分のことをワシって言ったよ」

 この地方では、歳をとると女性でも「ワシ」と言うのを、
 娘はまだ知らなかったのです。
 (き)

子供の時、将来は絶対
 アイドルになるんだって決めていました。
 そのため、コマーシャルなどで、
 アイドルがカレーやお菓子を食べたあと、
 口をもぐもぐもせずにすぐに笑顔で
 『さわやか○○!』などと言っているのを見て、
 『あれができないとアイドルになれないんだ!』
 と、ひとり必死で練習してました。
 だって編集してるとか知らなかったし〜・・。
 (かよ)

友達はガキの頃、コカコーラのCMは
 「さわやかにコーラを飲んでいる一般人」
 を撮影したものだと信じ込んでいたそうです。
 自分もコーラを飲んでいると
 撮られるかもしれないと思い、コーラを飲むときは、
 まわりを意識して、さわやかに飲んでいたそうです。
(m)

小さい頃、
 布団の中にカニの大群がいる妄想にとりつかれて
 足をのばして寝ることができませんでした。
 そのことを人に話すと、
 その人の布団にもカニが出現する
 信じていて、誰にも言えませんでした。
 (たま)

高知市には昔から日曜市という
 お城の下にたつ大きな市があります。
 そこではほんとに何でも売っていました。
 その当時5〜6歳だったと思いますが、
 近所のタク君が立っておしっこできるのがうらやましく、
 じぶんでやってみてもうまくいかないので、
 いそいで家に帰り母におねだりしました。
 「おかあちゃん、今度の日曜市で
  あたしにもタク君みたいなおちんちん、買うてね」

 ・・・母がまじめに、
 「うん、見つけたら買うちゃお」
 と言ってくれたのですごく
 うれしかったことを覚えてます。
 (は)

(ミニコメント)

死への関心の高さは、ほんとうに共通してますね。
しかし、「自分診療」で「自分死の宣告」というのも、
ほんとに、たくさんの子が苦しまされてきたことでしょう。
今思うと、笑っちゃうし、ごはんの時は忘れるんだけど、
寝る前とか、本気で泣きそうになるんですよねぇ・・・。

まわりの目を気にする一連の行動もいいなぁと思ったし、
「オトナなのにみっともない」っていう洗剤の話も、好きよ!

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2003-07-05-SAT
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