KINDER
ガキの頃は、バカだったなぁ。

(7月4日)

私は小学校4年頃、絵の具を食べていました。
 こっそりではなく、堂々と人前でも!
 親友と一緒に食べては、
 「白は甘い」「緑は苦い」などと
 味の評論までしていた始末です。
 クラスの子達からは、
 絵の具を食べられるなんてスゴイ!という
 尊敬の眼差しを受けていました。
 (それもどうなんでしょう…)
 どうして食べようと思ったかが、今では謎です。
 (えまこ)

小学校の頃、2歳上の姉と
 毎日のようにチャンネル争いで喧嘩していたので、
 ある日話し合いの上、
 時間制ドラフト会議を行うことにしました。
 画用紙に横軸に月曜から日曜日、
 縦軸に7時から10時までのタイムテーブルを作り、
 じゃんけんをして勝った方が
 1時間ずつ自分の時間をもてると言うものです。
 アニメが重なる時間帯は激戦区で、
 私が見たい番組の時間帯を姉貴が取った場合、
 いらない時間3っつぶんとトレードなんかしてました。
 あと敬老の日は僕の持ってた月曜8時枠を
 ばあちゃんにプレゼントして
 水戸黄門を見せてあげたりしてました。
 (くぅーい)

小学校低学年の頃だと思いますが、
 なぜか夜寝る時になると、ベッドの下に
 ライオンが潜んでいると信じていました。
 足や手がちょっとでもベッドからはみだしたら、
 ライオンに食われる!と思い、
 直立不動で固まって寝るように努力していました。
 たまに、ほんとにいるかどうか確かめるために、
 わざとベッドからはみ出してみることもありましたが、
 はみ出した瞬間、やっぱり恐くて、
 ものすごい勢いでひっこめたりしてました。
 (モモ)

小学校の低学年の頃、
 同級生の女の子どうしで遊んでいたら、
 十円玉を拾いました。
 学校で交番に届けましょう、と教わっていたので、
 二人で交番へ行きました。
 おまわりさんはちょっと困った顔をしましたが、
 「ありがとう」と言ってその十円を受け取ると、
 自分の財布から二十円を取り出し、
 私達に十円づつおこづかいをくれたのです。

 その経験からか、大人になった今も、
 財布を拾ったりしたら必ず交番へ届けます。
 不思議な事に、私が幾度か財布やらポーチを落としても、
 ちゃんと交番に届いています。
 (s)

小学生低学年の頃、雪あつめが大好きでした。
 雪が降ったあくる日、私の家も近所も雪かきをして
 各家ごとに塀の一箇所に片付けるのですが、
 太陽にあたってその山が小さくなると、
 近所から雪をシャベルで持ってくるのです。
 だから、周りの家の雪はどんどん少なくなるのに、
 私の家だけ雪だらけ。
 それを眺めて一人で優越感に浸ってました。

 今思うと、何であんなに
 夢中になったのか分かんないですけど・・・。
 親はなんで自分の家だけ無くならないのか
 不思議がってましたっけ。
 小さい頃は冬の季節や雪が大好きだったんです。
 きっと雪が降ったという証拠を
 いつまでも持っていたかったのだと思います。
 (にゃろめ)

雨が降ると、長靴を履いてふかーい水たまりに突入。
 あえて長靴のフチから靴の中に水を入れて、
 がっぽがっぽ言わせながら歩くのが恒例でした。
 だんだん水がぬるくなってきて、
 異臭が漂うのも
 面白かったんだからどうかしてた。

 家の近くで水を捨てて、そ知らぬ顔をしてたけど、
 ぐちゃぐちゃの靴下を洗濯してくれた母は
 どうして怒らなかったんだろう?
 (T)

私が育った北陸は
 昔、雪がスッゴクいっぱい、いっぱい積もったんです。
 それで、友達と下校中に、公園であろう場所の
 何かの遊具であろう物体の上を
 平均台のようにして渡って歩き、そこから、
 どこまで遠くまで跳べるかの競争になりました。
 二人とも思いっきり遠くまで跳び、
 思いっきり雪に深く刺さりました。

 肩まですっぽり入ってしまったので
 二人とも身動きが取れなくなり、
 誰も通らない寒い公園のなか、
 泣きながら助けを待ったものです…。
 とても怖かった…。
 (しもやけ女)

小学校1年のとき、近所のあいちゃんと
 毎日いっしょに登下校していました。
 冬のある日、あいちゃんが急に尿意をもよおし、
 雪の積もった道端にしゃがんで
 おしっこをしてしまいました。
 私たちはその黄色く染まった雪を塔のように高く積んで
 「おしっこの神様」と命名しました。
 以来、毎日ちょっとずつ場所を変えて、
 「おしっこの神様」を作り、
ちゃんと拝んでいました。
 近所の人は、怪しげな黄色い塔がいくつもできていて、
 不審に思っていただろうなぁ。
 (みな)

私は小さな島で育ちました。
 地図に載っても島名が書かれるか書かれないか
 というくらいホントに小さな島でしたが
 幼稚園の頃は、
 その小さな島が私の世界で私の日本でした。
 その小さな島(日本)から直線距離でほぼ
 500メートルにある対岸を
 アメリカ大陸だと本気で信じていました。
 ホントに視野の狭いガキでした。
 (kurakura)

私もごっこ遊びやってました。
 小学生の頃の髪型は
 母がお気に入りのマッシュルームカットでした。
 長い髪にすごく憧れていた私は
 鏡台の前に座りフェイスタオルをかぶって耳にかけたり、
 前髪と一緒にピンで留めたりしていました。
 だんだんエスカレートしていくと、
 鏡に向かい左手を出して
 芸能人の婚約会見ごっこをやってました。
 「子供は3人ほしいです」
 「浮気はゆるしません!」

 一人で質疑応答をやってました。
 あとエレクトーンに姉と一緒に座り、
 エレクトーンの上に花を置いて、
 いいともの「テレフォンショッキング」ごっこを
 やっていました。
 片方がタモさんでもう一方がゲスト役でした。
 (Lucy)

ぼくが小学1年の頃、
 なぜかティッシュを食べることが
 1年生の間で流行っていました。

 そして僕は、よく近所の公園に行って
 仲の良かった友達と一緒にポケットティッシュを取り出し
 おいしそうに食べていました。
 今思えば、どう考えても体に悪そうなこの行動。
 周りの大人達はどのように僕達のことを
 見ていたのでしょうか?
 そして僕達は、なぜおいしいなどと
 思っていたんでしょうか・・・。
 (KOB)

小学生の頃、友達と約束した時には必ず、
 「もし、約束破ったら、一億万円払いや!」
 と言いあってました。
 一億万円っていくらなんでしょう…
 (あきひと)

小学生のころ、血液型診断で
 「A型の人は、神経質なところがあり・・・」
 という説明を読みました。
 その「神経質」って言葉が当時ものすっごい
 かっこよく思えたんですよ。なぜか。
 だから、人にあうたび
 いい言葉いただいたっ!とばかりに
 「あたしって神経質だからね!」
 と自信満々で言っていました。

 あんまりにも言いすぎていたのでしょうか、
 母に
 「そんなことを人にあんまり言うもんじゃない!」
 と一括され、
 しょぼーんとなったのをよく覚えています。
 楽しい思い出です。
 (やすかふぇ・A型)

北海道の小学校に通っていた冬の頃の話です。
 雪玉の作りやすい湿った雪が降った日は、
 学校からの帰り道、
 よく友達と大きな雪玉を作りました。
 最初は雪を両手で握り小さな雪玉を作ります。
 その雪玉を、まだ足跡の付いていない雪の上を選んで
 転がしていくと、やがて自分の腰の高さぐらいまでの
 雪玉に。そこから友達と2人がかりで転がします。
 やがて雪玉は小学生の私達の背丈までに成長し、
 子供達の力ではびくともしなくなり
 雪玉は道路脇で立ち往生してしまいます。
 そんな時、
 必ずと言ってよいほど大人の人が登場しました。
 家の前で雪かきをしていたおじさん、
 車で通りかかった仕事中のおじさん、
 職場の窓から私達を眺めていたおじさんとかです。
 皆さん、顔も見たこともない人達なのですが
 決まって「大丈夫か?」と一言声をかけた後、
 一緒に雪玉を押してくれるのです。
 やがて子供と大人の合わせた力でも動かすことが
 できなくなった巨大な雪玉を作り上げると、
 おじさん達は一様に息を弾ませ笑顔を浮かべながら
 無言で立ち去って行くのでした。
 その後ろ姿を見つめながら
 「僕も大人になったら子供達の雪玉を押してやろう」
 と思ったものです。

 東京暮らしをしている現在では、
 そんな光景に出会うこともなく
 今でも北海道の子供達は
 雪玉を転がしているのだろうかと
 たまに懐かしく思うことがあります。

 冬のあいだ、あれほど白く美しかった雪も
 春が近づくにつれ、とけだしてうすら汚れてきます。
 私の家から学校まで子供の足で40分程の距離でしたが、
 その道すがら、とけた雪の中から現れるあるものを
 カウントしたことがあります。
 それはウ○チ君とオ○ッコさんです。
 冷たい雪の中、彼等は
 土に還ることが出来ずじっと雪解けを待っていたのです。
 雪の覆いがとれると、彼等はいっぺんに顔を覗かせます。
 白い雪の上にかりんとうを何気に置いた状態とか、
 かき氷に黄色のシロップを振りかけたように見えます。

 (ロディ)

3人姉妹です。
 家で遊ぶときは、
 いっぱい持っていたぬいぐるみで
 布団の下に敷くマットを船に仕立てて
 「みんなで旅行する」遊びをよくしていました。
 子どもながらに壮大なストーリーを作ってて
 「誰かがおぼれてるぞ、助けるんだ!!」とか
 「ケガ人が出ました。お医者さんはいませんか?」
 とか、生死に関わる出来事をくりかえしてました。
 子どもなりに「生きること」「死ぬこと」を
 考えていたようです。
 もうひとつ。
 こたつのテーブルの上に寝転んで
 髪の毛を洗うマネなどをして
 パーマ屋さんごっこをしてました。
 それも名前が「パーヤマさん」です。
 ひとに髪を触ってもらうのが気持ちいいことを知って
 「パーヤマさんしよう!」と言っては遊んでました。
 面白かったです。
 (モン吉)

小さい頃、
 オトナは分けるのが好きだなぁと思っていました。
 私のお誕生日のケーキを小さく切る。
 大きなお金(お札)を細かいお金(小銭)にして
 私によこし、
 「これでお菓子でも買っておいで」と言う。
 ある日、母がお隣に回覧板を届けてくると言って
 「2、3分で戻るからね」と言いました。
 そして母が戻ってきたのは2分後くらいだったそうです。
 しかし私は「あれー、早いね」と言ったとか。
 私は、オトナは分けるのが好きだから、
 5分を2分と3分に分けて
 「2、3分」と言っているんだと思っていたようです。
 (やっぺこ)

友達に教えてもらった秘密基地、
 アパートの前にあるごみ集積所みたいなところで
 集積所としてはなぜか使っていなかった。
 出入自由なんだけど、そこの入り口をくぐる時は
 入るときも出るときも合言葉を言わなきゃならない。
 一人でこっそり行った時でも律儀に
 「じゃがいも」とつぶやいていました。
 なんで合言葉が「じゃがいも」だったんだろう・・・?
 (つなこ)

昔はたまにあったテレビの
 「しばらくお待ち下さい」の画面。
 小さい頃は、妙にあれが恐ろしかった。
 特に一人で留守番をしているとき、
 さみしいからテレビをつけて
 用意してくれたおやつを食べながら
 「留守番なんて余裕だわ」と
 へっちゃらぶってると、突然あらわれる
 「しばらくお待ち下さい」。
 家中が一瞬にしてシーンとなり、
 何かショッカーとかモスラとか
 恐ろしいものがやってくる前フリのような気がした。
 その画面が終わるまで、緊張感いっぱいだった。
 それが10分以上続くと、泣いていた。
 (あきこ)

私のダンナ様は、今でこそ分別くさい中年親父ですが
 その昔とっても可愛いいころがあったそうな。
 ある夏の暑い日 アイスキャンディーやさんが
 チリンチリンとやってきて 
 当時5歳の少年 一人でおるすばん。
 「そうだ みんなも暑いだろうから
  おやつに買っておこう」と買ったはいいけど
 なんと井戸水につけておいたそうな。
 さて帰ってきたみんなが見たのは
 バケツに浮いていた5本の割り箸。

 自分も我慢していたのに 
 知らないうちに誰かが食べてしまったものと
 悲しそうな顔をしていたと
 姉上様が言っていました。
 子供のころは「だれでも」可愛い! 
 (恭子)

あの「ティモ○ー♪ティモ○ーティモ○ーー。」
 と金髪のおねいさんが、髪の毛をさらさらーと
 しながら走っているCMにあこがれ
 「あんなん、あたしも、
  こんな毛ー長さあったらでけるしー。」
 と頭ぶんぶん振り、髪の毛顔にぴちぴちあてて
 はしっていました。
 「きれいに美しく大人っぽくと言うのは、
  目がまわり、吐きそうになるものだ。大人はつらい!!
 とそのとき悟りました。
 (匿名)

(ミニコメント)

雪と小学生って、幻想的で似合いますよね。
(本人たちは、泥や汚物まみれだったりするけど)

いいオトナとの出会いも、しっかりおぼえているのが、
この「ガキ特集」の清涼剤みたいになっているんです。

あと、だいたいの奇行っていうのは、
親に一喝されない限り続くというパターンも見えてきた。

あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
       

あなたや、あなたのまわりのガキばなしを、
件名に「ガキ」と書いて、
postman@1101.comに送ってくださいね!

2003-07-04-FRI
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