KINDER
ガキの頃は、バカだったなぁ。

(7月3日)

小学生の頃、
 雨の中、裸足でさまようという
 悲しい少女の設定に憧れました。
 母と買い物の帰り、
 家までの短い道のりでのこと。
 「裸足で帰っていい?」と
 勇気をふりしぼって聞いたところ、
 母も「面白そうだからお母さんも」と
 裸足になってくれました。裸足の少女ひとりから、
 裸足の親子になり、妄想はパワーアップ!
 ちょうどこんな6月の雨の下、
 二人で裸足でトボトボ家まで帰ったときの達成感は、
 忘れられません。お母さん!ありがとーう!!!
 (和)

小学生のころ、
 学校から家まで何歩で帰れるか、
 一歩ずつ数えて帰ることが流行りました。
 1、2、3…100…と、
 がんばって友達と一緒に数えたけど、
 必ず途中で違うことを考えたりして
 (へびいちごを見つけたりして)
 ぜったい最後まで数えることができなかった…。
 あと、下校途中に上靴のまま帰っている
 自分に気づいたことも何度かあります。
 あ〜、なつかし。
 (みい)

私は両親のうちどちらかというと父に似ているので、
 家にお客さんなどがくると
 「まあお父さん似なのねー」と、
 特に小さいころはよく言われていました。
 私はそういわれるといつも怒った顔というか、
 なくのを我慢した顔をしていました。
 あまりにも毎回そういう顔をするので、
 母は私が本当に父のことを嫌いなのかと心配しました。
 でも私が真剣に悩んでいたのは、
 「お父さんに私が似ているということは
  あんなふう に濃いひげがはえてくるんだ・・・
  おんなのこなのにやだよ・・・」
 ということだっ たのです。
 母の問いかけに私はこんなふうに真剣に答え、
 母の笑い声とともに両親の悩みも解消したのでした。
 (mi)

小学生の頃、下校時の事です。
 晴れた日に限られるのですが、
 走っている車の影にひかれないように
 (影を踏まないように)するのに必死でした。
 走ってくる車の影を見つめ、
 自分とすれ違う瞬間にジャンプ!
 車が繋がっている時はとっても大変でした。
 でも「影にひかれてしまったら自分は死んでしまう」
 と、どこか本気で思ってて、
 重いランドセルを背負って
 ジャンプを続けていたのでした。
 友達と帰る時も、もちろんジャンプ!です。
 いつも付き合って一緒にジャンプしてくれたなぁ。
 高学年になって、部活が忙しくなり、
 日の有るうちに帰れなくなって、
 ジャンプは終わってしましました。
 (miyu)

小さい頃、夜寝る時に枕もとにぬいぐるみを並べてた。
 朝起きると、ぬいぐるみの配置が変っているから
 あたしが寝ている夜の間に、
 このぬいぐるみは動き回っている!と思っていた。
 ただ寝相が悪いだけなのに。
 (が)

小学校の時、授業参観が「水泳」の時があった。
 事前の連絡で、
 「父兄も濡れてもよい格好で来て下さい」
 との通知があり、どのお母さんも、
 Tシャツにジーパンや、ちょっと短めなスカートと、
 通常の授業参観よりもラフな支度だった。
 そんな中、現れた私の母の出で立ちは・・・
 タンクトップに短パン。
 しかも上下揃いのエメラルドグリーン!

 眩しい!!
 その時いたどのお母さんよりも、
 若々しく、逞しく、肉々しいウチの母。
 (※標準よりちょっと太め、ちょっと短め)
 当時の私はなぜか、そんな母の
 勇姿を心底誇らしく思ったものです。
 しかし、家に帰ってみると、
 「だって、濡れてもいい格好なんていうから。
  何だかお母さん一人だけ恥ずかしかった〜!」
 と、決まり悪そうに言い訳する母が。
 そんなことないよ!と当時は励ましましたが、
 大人になるにつれ、このことを思い出すと、
 その時の母の恥ずかしさが、
 しみじみわかるようになりました・・・。
 (イヌキチ)

私には6つ年の離れた兄がいます。
 小学生の頃は兄にかまってほしくて
 よくケンカを売っていましたが、
 中学生で思春期真っ盛りの兄は全く相手にしてくれず。
 ある日、兄にてきとーにあしらわれカチンと来た私は、
 兄に向かって大声で叫んだのでした。
 「お兄ちゃんのブラボー!!」
 よくわかんないけど
 濁音が多いから悪い意味の言葉なんだろう、
 と勝手に解釈してました。
 私としてはちょっと難しい言葉を使って
 兄を見返してやろうとしたのですが、
 兄には大爆笑されてしまいました。
 それ以来、
 よく知らない言葉は使わないようにしています。
 (みお)

小さい頃、初めて福神漬を食べて
 そのおいしさにはまってしまった私。
 あるときおばーちゃんの家に行ったら
 机の上に福神漬が!!
 こっそりとつまみ食いをしたら、
 それはなんと紅ショウガでした・・・。
 赤い色だけで
 大好きな福神漬だと信じてしまったのですが、
 裏切られたショックとショウガのからさにやっつけられて
 それ以来紅ショウガは恐怖の対象でした。
 しかし高校生のときに牛丼屋さんで
 試しに食べてみたところ、思ったより辛くなく、
 牛丼には紅ショウガだね♪なんて思えるようになったとき、
 オトナになったなぁ…と
 しみじみ思いました。
 (サワ)

母のことを書かせて下さい。
 私が通っていた小学校は、普通の市立でしたが、
 なぜだか「理科」を熱心に指導する学校だったらしく、
 理科室が4つもありました。
 当然、夏休みは「自由研究」というものがあって、
 それは理科系のものでなくては、なりませんでした。
 小学校2年生の時、そのころから
 理数科に興味が無く、文系の私。
 母は、私に絵日記を書かせました。
 絵は下手だけれど、作文大好きっこだったので、
 毎日の日記は、やたら文章が長いものでした。

 宿題の意味もよく分かっていなかったので、
 9月1日に、意気揚々と
 その絵日記を持って学校へ行きました。
 もちろん、学校の先生には「??」と言う顔をされ、
 親宛に書かれたお手紙を頂きました。
 おそらくそれには、課題不十分、
 云々と書いてあったのでしょう。
 母は激怒し、次の日学校へ乗り込み、
 「子どもが毎日自然を感じて、書いた日記なのよ。
  これのどこが悪いのよ!」などなど・・・。
 その勢いに負け、先生も私の日記を認めてくれました。

 激怒して髪を振り乱した母を、
 ちょっと恥ずかしいと感じながらも、子どもながらに、
 自分の書いた文章を認めてくれた事は、
 やはり嬉しかったです。

 その後も、作文好きは続き、
 中学生の時には小説も書いたりして、
 全国で3本の指に入ったりしました。


 今は、文章を書く仕事をしていませんが、
 この想い出は、私の宝です。
 今でも、文章を書くのは大好きです。
 お母さん、さんきゅう!!
 (かりおか)

こどもの頃、
 どういういきさつだったのかは忘れましたが、
 友だちと数人で、
 「塩水の飲み比べ」というのをやったことがあります。
 どんどん濃い塩水を作っていって
 誰がいちばん濃いのを飲めるか、って。
 わたし、どろどろのやつを飲んで、
 そのあと吐きました(笑)。
 しばらく塩が嫌いになりました。
 (RUN)

空高く飛んでいってしまった
 風船をずーっと見上げていた私。
 周りに居た大人たちはかわいそうに思ったのか
 「あの風船はきっとアメリカまで飛んでいって、
  アメリカの子供がひろってくれるかもしれないねえ」
 と慰めてくれました。
 それを真正面に受け止めた私は
 地球は各国ごとに階層になっているんだ、と解釈。
 つまり、どんどん上昇した風船はそのうち
 アメリカの階まで到達し、
 アメリカの人たちは
 「お!地下から風船が昇ってきたぞ!」ってカンジで。
 そして日本の端っこに行けば断崖絶壁があり
 そこから何か落としたら、
 下の階の国にご迷惑をかけるんだなあ、
 危険だなあ、と本気で心配していました。

 さらに日本語でもローマ字で書けば
 海外でも当然通用するとも思ってました。
 幼稚園くらいだったでしょうか・・・。
 (じゃりり)

風呂場でオナラを集めたという人の話がありましたが、
 私も小学生の時、弟と湯船の中で
 キャップつきのコップ(密封加)に毎日オナラを溜めて、
 容器を全てオナラで満たす→そして嗅ぐ、
 という試みをしていました。
 オナラが容器の大半を占めたある日、
 例によって、(弟ではなく)私は
 力み過ぎて実を浴槽に出てしまい、
 親に大変怒られた記憶があります。
 ちなみに溜めた屁は日数をおいたからか、
 全く臭くありませんでした。
 (makotop)

子供の頃、庭の蟻と
 どうしても友達になりたくて、
 私が友好的だということを示すために、
 角砂糖を糸でくくり、そこに爪楊枝を差し、
 蟻が砂糖を「おさるのかごや」のように
 持ち運べるようにして庭に置いた。
 今になって考えると、多分大きすぎたらしく、
 蟻は持っていってくれませんでした。
 (ぐりこ)

寒い冬の夜は、コタツの中でついつい
 うたた寝をしてしまっていた幼かった私。
 そうすると、母に「早く布団で寝なさい!」と
 いつもしかられていた。
 そこで私は、うたた寝体勢に入る時は、
 横になったままコタツの上に片手だけ出して、
 ピアノを弾く真似をし、寝てないんだよ、
 横になってピアノを弾いているんだよ、というのを
 母に無言でアピールしていました。
 もちろん目を閉じているので、
 今思えばバレバレだったはず。
 (yu)

先程のデリバリー版で、
 私と同じ思いしてきた人がいたんだ!
 と嬉しくなりました。
 自分の脈の音が、道の向こうから
 誰かがやってくるような気がしていました。
 しかも、数人の大男が
 ザッ・ザッって行進して来るような気がして
 なりませんでした。
 他の誰からもこんな話聞いたことなかったし、
 聞くのも恐かったし・・・未だかつて
 誰にも話したことがありません。
 カーテンに、やつらの影が映るのを
 見てしまわないように壁の方を向いて眠っていました。
 しかもこのカーテンがペイズリー柄でしたので、
 目玉がたくさん見ているようだったし、
 うごめいているような気がして恐かったです。
 その音が、自分の脈の音だったってことに
 気づいたのは結構大きくなってからでした。
 最近酔っぱらって寝ていて
 久しぶりに大きな男達がやってくる夢を見て、
 「バカだなぁ・・・これは自分の脈の音なのに〜」
 って話している夢を見ました。
 (うろん)

夕飯の時に、なにかの話の流れで
 私たちは、動物なんだっていう話になったのですが
 幼稚園児の私にとって動物と言えば犬やねこ、
 ライオンやぞうのこと。
 どんなに私たちは人間で、人間は動物なんだよと
 説明されても納得できるはずもなく困った私は
 「○○はロボットだもん!!」
 自分でもそれは違うなと思いつつも
 言い切ってしまいました。
 (きくぞう)

小学生の頃の私は本当にイヤなガキで、
 宿題でひらがなを練習するときは
 「あまり完璧だと先生に良く思われない」
 と考えてわざわざ間違えて練習したり、
 九九を得意になって先生の前で
 暗誦するクラスメートを
 「そんなの誰だってできるよ」
 と小ばかにしてみたりしていました。
 そんなガキでしたが、
 家の近くのどぶ川の看板
 (おそろしい顔をしたカッパの絵に
 「ここで遊ぶとカッパにおそわれます」
 みたいなことが書かれていた)を見て、
 「カッパは本当にいるんだ。
  ここは早く通り過ぎないと、
  どぶの中にひきずりこまれるんだ」

 と毎回必死に走って通り過ぎていました。
 しかも、カッパの存在を中学に入るまで信じてました。
 (匿名のかた)

(ミニコメント)

どんなにひねたガキにも、
ノーガードの部分が残っている。
それが、カッパの恐怖にあらわれたり、
「お兄ちゃんのブラボー!」になったりするんだなぁ。
関係ないんですけど、子どもの時の、
「誰々くんは、こういう特徴を持ってた」
っていうこととか、あだ名の不条理さとか、
今思うと、とんでもないものだったりしますよね。

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2003-07-03-WED
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