KINDER
ガキの頃は、バカだったなぁ。

(7月2日)

ある日、赤い目覚まし時計の音が気になり
 耳をあてると、なにやらしゃんしゃん聞こえて。
 その日よりその時計の中には
 音楽隊が入っていると信じ込み、
 分析さえしはじめました。
 「昨日は8人だったけど、
  今日は12人の演奏者がいるね。
  良かったね、病気が治って
 とか、一人で喜んで。
 遅くなったらみんなが出てくると思い、
 押入れの中に隠れて目を指であけて
 必死になって7福神のような人々を待っていたけれど、
 決して見られる日は来ませんでした。
 (ヒロコ)

小学校低学年の頃、漫画雑誌の付録で
 けっこうしっかりした作りの日記帳が
 ついていたことがありました。
 なんと紙製ですが鍵付きです!
 「これなら日記をつけてみてもいいかな」
 とうきうきしていた私でしたが、
 その日、テレビで強盗殺人事件を再現した
 とても残酷な番組を見てしまい、
 (見てはいけない、と思うほど凝視していまい)
 これが私の家に起きたら…と想像し、
 本気で将来を悲観しました。
 そして、記念すべき日記の1ページ目には、
 『ごうとうが入ったとき、身のまわりで
  きょうきにできるもの』
と書き、
 フライパン、いす、じしょのカド、まごのて…など、
 かなり変な選考ですが、
 その時はひたすら必死で考えてました。
 コドモながらに精一杯自衛しようとしたようです。
 習った漢字を律儀に使っているところも幼さ爆発。
 (モスモス)

りんご投げ女で思い出しました。
 小学校低学年の頃、幼稚園児だった妹と
 りんごを皮ごと丸かじりするのがカッコいいと思い
 部屋の端と端に座って丸かじりしては相手に投げ、
 交代に食べて喜んでいました。
 名づけて「キャッチりんご」あーバカバカ。
 (よう&なお)

小学生の頃、一日に何度も命を賭けてました。
 信号の青が点滅し始めるまでに渡りきらないと死ぬ!
 とか、
 お風呂に百秒以上浸かれなかったら死ぬ!とか。
 賭けるといっても心の中だけだから、
 実行できなかったときは
 いつも(うそうそ、今のは冗談。)
 弁解してました。いったい何度命を落としたことか。
 (なつみ)

小学校低学年の頃、突然
 「そうだ!
  未来の人達が発掘できるように遺跡を埋めよう!」
 と思い立ちました。
 そこで用意したのはプラスチックの積み木。
 それと解読用に文字も必要とマジックで
 自分の名前を書きました。
 そして、これを発見した未来の人は、
 これを何だと思うのかなー、
 この文字は日本の女の子の名前ってわかるかなー、
 あ、この名前って教科書に載るんちゃうん、
 きゃー、有名人になってしまうやーん。
 と勝手に想像を膨らまして喜んでいました。
 でも、それを埋めたのは自分の家の庭、
 しかも深さ、15cm程度。
 すぐに母親に発掘されました。
 (naka)

幼稚園年少さんの頃、
 同じく幼稚園年長さんの従兄と一緒に、
 毎日近所のコンビニにH本を、
 立ち読みならぬ座り読みに行っていました。
 店員さん(不思議とお姉さん限定)に
 「あのね、ボクたち…」などと注意されたりすると
 店を出て、その前にあった公園で
 ブランコを思い切り漕ぎながら、それまで覚えた
 「Hな単語」の数々をメロディに乗せ、
 大声で歌っていました。得意顔でした。
 3〜4歳ぐらい?。
 あーあ、バカだったなあ。
 (かーき)

小学1年のころ、
 チェルシーのCMで
 「金髪の外国人の女の子が
  美しい小川にかわいいブーケと
  チェルシーを乗せた小舟を流す」
 というのに憧れて、
 段ボールで作った船(?)に、
 ありったけの駄菓子とその辺で摘んできた
 シロツメクサを乗せ、家の近くのドブ川に流しながら、
 「ほーら、チェルシーィ!
  もひとーつ、チェルシー♪」
 と歌いながら追っかけてました。
 段ボール製の船は緻密製に欠けており、
 加えて「過積載」だったため、
 3メートルと保たず水が浸みて、
 あっという間にドブ川に沈んでしまいました。
 どこまで流すつもりだったのかは覚えていませんが
 「成功」するまで何度もやった記憶があります。
 (ち)

小学校2年のころ、ほんとに大好きだった森が伐採されて
 ゴルフ場になること、
 そして既に工事がはじまっていることを知った僕は、
 落ちている犬の糞を
 インスタントコーヒーの空き瓶にかき集めて
 近くの草むらに隠し、

 早朝クワガタを捕りに行くことを口実に家を抜け出し、
 工事現場のブルドーザーやショベルカーのハンドルに
 塗りたくって、工事を阻止しようとしました。
 今思えば馬鹿だし、ちょっと
 いたずらが過ぎるかもしれないけど、当時は真剣でした。
 (国吉)

幼稚園児の私。
 道に迷ったときは、
 足の間から後を覗くと、正しい道が分かる。
 という超能力を頼りに、
 よく独りで「道に迷う旅」を行っていた。
 「あ、迷ったかも・・・」
 焦りながら足の間に頭をつっこみ後を見る・・・。
 超能力のおかげで今日も無事、家に帰り着く。
 なんのことはない、
 幼き日の私の独り芝居(大袈裟な台詞アリ)でした。
 あと、
 「20年ぶりの故郷に帰ってくる都落ちした女」の
 独り芝居もお気に入りだったなぁ・・・。
 「この町は変わんないなぁ」
 好きな台詞(日常会話はネイティブの九州弁なのに)。
 今度、久しぶりにやってみようかな?
 (たいよん)

確か小学校5年生の頃、
 ちょっと暗めの友達、
 みちこちゃんの家に遊びに行った時。
 みちこちゃんがおやつをとりに部屋を出て行ったので、
 何気にカセットテープを聴きました。
 そこから流れてきたのはみちこちゃんのDJ。
 自分でラジオ局を作って遊んでいたみたいです。
 その架空のラジオ局には
 ちゃんと悩み相談のはがきも届き、
 その悩みに答えつつ曲を紹介していたみちこちゃん。

 いつもの暗めの彼女とは違い、
 いきいきとしたしゃべりには驚きつつ面白かった。
 そのテープを聴いて唖然としているところに
 みちこちゃん登場。
 聴いてはいけないものを聴いてしまった私。
 恥ずかしさでどうしたらいいか分からなくなっている、
 みちこちゃん。二人の間に、
 何ともいえない空気が流れたのを覚えています。
 (YUMI)

子供の頃の冬のある晩、
 母は、暖まるからとミカンの皮を
 入れた袋をお風呂に浮かべようとしましたが、
 すでに風呂に入っていた妹はそれを見たとたん
 「ミカン入れたら取れへんよーになるー」
 と半狂乱になって泣き出しました。
 排水溝に詰まる、という意味か
 それとも一体?と皆思ったようですが、
 彼女のあまりの取り乱しぶりに圧倒されて
 ミカンは入れずじまいでした。
 未だにそのセリフは謎のままです。
 (りる)

3〜4歳の頃、
 小学生のおねえちゃんと一緒によく
 「チルチル・ミチル(メーテルリンク・青い鳥)」
 ごっこと称して、家の庭とか塀の間の隙間とかを
 ぐるぐる歩き回って、
 「青い鳥はどーこーにーいーるーのー」
 と探しまわった。
 おやつの時間になって家に入ると、
 「青い鳥はウチにいた!!」
 というおちになった。
 (チャリ)

幼稚園の時、
 可愛がってもらっていた村松先生のことを
 「むらまつ?まつむら?」
 といつもわからなくなっていました。
 どっちだったかな?と悩みに悩むんですが、
 二分の一の確率なのに自分で出す結論は必ず
 「まつむらせんせーい」
 最後には、先生はどっちを呼んでも
 返事をして下さってたように思います。
 (りる)

4歳の頃、父の誕生日にプレゼントをしようと
 紙をわっかにして繋げた首飾りを作っていました。
 「これはお父さん絶対喜ぶぞー!」
 と一人大喜びで作っていたのですが、そのうち
 「お父さんがこれを貰ったらどうするか?」
 という妄想が始まりました。
 「お父さんは、これを貰って凄く嬉しくなって、
  きっとお葬式の時にも棺おけに
  一緒に入れてねってお願いするんだ。
  そして、私が入れてあげて、
  そしたらそれをつけたまま天国へいくんだ。
  あ!でも、閻魔様に会ったときに、
  『おまえそれいいな!俺によこせ!』
  っていって首飾りを奪われちゃって、
  お父さん泣いちゃうんだ!
  そんなのお父さんかわいそうだ!」
 という縁起でもない妄想の果てに
 「お父さんかわいそうーーーー!!!」
 と突然号泣しだし、
 そんな娘に母は大変困惑した様子でした。
 しかも、この話を「バカだけどいい話だよねー」と
 最近友達にしたら
 「それあんた父と娘のいい話っていうより、
  あんたがどれだけ自分の作品の素晴らしさに
  自信を持っていたかっていう話じゃない!」
 とつっこまれ、「ああ本当だ…」と
 「父想い」のエピソードが
 ガラガラと音を立てて崩れました…。
 (なっかん)

ガキの頃ならまだ許せる話ですが・・
 ついこの間まで私は
 「さお竹〜さお竹〜」って売りに来ますよね。
 その「さお竹」の意味を
 「さおだけ」=「さおだけを売りに来た」
 =「さおだけを売りに来たよ」と思いこんでいたのです。
 この間、会社での飲み会があった際、その話題が出て・・。
 そこで始めて自分の勘違いに気がついた訳です。
 (か)

子供のころから小心者だった私は、
 ノストラダムスとか冷戦の影響だとかで
 とにかく地球が滅びる日を
 体験しそうな気がしていました。
 特に育ちが広島だからか、
 爆弾投下やミサイル発射に危機感を覚えていて、
 身近で誰かがカウントダウンするたびに
 「落ちてくる?」とドキドキしていました。
 ドキドキするのが嫌なので、誰かが
 「3,2,1、ゼロ」と言っているのを
 少しでも聞こうものならパッと耳を塞ぎ、目を閉じ、
 しばらくして安全を確かめ、
 「地球滅亡を回避した」と本気で思っていました。
 いまにして思えばすっごくバカな子供ですが、
 子供なりに必至だったと思います。
 毎日毎日「明日も平和でありますように」と
 世界中の神様の名前をたくさん挙げて
 お祈りをするおまじないまでしていました。
 (k)

結婚すると、
 新婚旅行から帰って来たその日から
 新居に住みはじめると思っていたので、
 さっそく旦那さんにごはんを作らなきゃいけないけど、
 たぶん疲れてるだろうし、いきなり
 インスタントものも恥ずかしいし・・・とさんざん悩み、
 「焼そばならできるかも!」と、
 小学生の時点で新婚旅行帰りのメニューは
 焼そばに決めていました。

 (おでん)

わたしは、
 「大きくなったら何になりたいの?」
 という問に「うさぎ」と答え、
 びっくりするぐらい健全な母が
 実はとんでもない不良だという
 妄想をもっていました。
 あ、「ムード」と「ヌード」の区別も
 つきませんでした。
 (匿名のかた)

私は小学校の低学年くらいまで
 日本語が全世界共通語だと思っていました。
 だからニュースでアメリカの大統領なんかが
 演説をしているのを見て
 「うわぁ、世の中には私の知らない
  日本語がまだまだたくさんある
んだなぁ。
  日本語って難しいんだなぁ」
 と、一人で感心していました。
 もしあの頃海外に引っ越していたら
 外国語も素直に高度な日本語として受け入れて、
 今頃はぺらぺらになっていたかも!?
 (めぐみ)

小学校の頃の話です。
 国語で、ごんぎつねという話を
 取り扱ったことがありました。
 その中の、ごんはいつもひとりぼっちでした、
 といったような文に納得が行かなかったんです。
 人間はひとりふたりと数えるけれど、
 きつねは一匹二匹と数えるんだから
 ひとりぼっちじゃなくて、
 いっぴきぼっちと書いた方が正しいんじゃないか、
 と思ったんです。
 それで、国語のノートにもそのように書いたら、
 見事に先生に訂正されてしまいました。
 しかし結局、納得することはできませんでした。
 自分の考えを曲げようとしない、
 頑固で一途な少年だったようです。
 (tri)

うちの父は、知り合いを見かけると、
 かなり遠いところからでも「お〜い」と大声で手を振り、
 口笛を吹いたりと、はた迷惑な声のかけ方をします。
 昔、弟のクラブの後輩にも、これをして、
 「酔っ払いだから関わらないでおこう」
 と無視されました・・・。
 後日「先輩の父」であることが判明し、
 後輩たちは弟に謝りにきたそうです。
 「後輩を困らすのは辞めてくれ」
 と弟は怒ってましたが、もちろん今も直ってません。
 (り)

(ミニコメント)

みちこちゃんのDJのテープの話が、最高でした!
そういうのって、かならず見つかるんですねぇ・・・。
成功するまで何度もやったりというケースも目立ちます。
子どもって、オトナ以上にガンコものなのかもしれない。
未来のためとか、地球滅亡とか、
生活の中で科学者的な視点が入るのも、子どもならでは。

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2003-07-02-TUE
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