小林秀雄、あはれといふこと。

その六・・・大相撲

オリンピックにもう一つのオリンピック
「パラリンピック」があるように、
夏の甲子園にもう一つの甲子園
「定時制高校野球大会」があるように、
大相撲にはもう一つの大相撲「日本陰毛相撲」がある。

私は日本陰毛相撲協会の初代理事長である。

陰毛相撲といっても、まだなじみが薄いかもしれない。
それは男の矜持、能力、精力、
タフネスが掛け値なしに問われる
男たちの魂の戦いなのだ。

1 死闘の図

ルールを説明しよう。
力士は土俵でおもむろに自分の陰毛を引き抜く。
陰毛を天然のあら塩で丹念にしごきあげる。
御神酒に浸して清める。
酒滴をシルクでぬぐい勝負は始まる。
子供の頃、クローバーで引っ張りっこをした人も
多いと思うが、それを想像していただくと
分かりやすい。
力士はお互いの陰毛を爪先で持ち、
引っ張りあって切れたほうが負けである。
お情け無用、負けた陰毛はその場で焼かれてしまうのだ。

これは実際に戦ったものにしかわからないことなのだが、
敗者の屈辱感は想像を絶する。
男としてのプライド、性的能力、いちもつの価値、
今までの性遍歴など、
すべてが打ち砕かれてしまうほどの
敗北感にさいなまれる。

第一回日本陰毛相撲大会は、
横浜にあるS江氏宅で行われた。
参加力士16名。
いずれも陰の毛に技をもつ強者ぞろいだ。
会場につくと、S江氏が情けない声でつぶやく。

「今日来れない人がいてさあ、陰毛だけ封筒に入れて
送ってきたんだよね。
仕方がないから冷蔵庫に入れて
保管してあるんだけど・・・・」

あるまじきことである。
織田信長ならその場で陰毛の首をはねているところだろう。
本来ならその場で焼き払うのが妥当だが、
第一回ということもあるので
特別に代理の力士を立てて参加させた。

男たちの死闘が始まった。
プチッ。
「うげげげげ〜っ」
陰毛を切られた者たちの断末魔が響く。
市場に売られていく子牛のような瞳で、
敗れた陰毛が焼かれるのを見つめる。

2 焼かれ図

戦いに敗れた者は向こう一年間
「弱毛(じゃくもう)」のレッテルをはられ
蔑まれてしまうのだ。

決勝はF栄氏とS田氏の戦いになった。
F栄氏はやせ型の色男なので強靱な陰毛の生やし手とは
思われていなかったのだが、
1回戦敗退との下馬評をくつがえす快進撃。
負けたかと思うといつの間にか相手を切っている
土俵際の毛魔術師である。
S田氏の毛はいくぶん赤味があるので「赤毛」
と呼ばれ恐れられた。

決勝の軍配が上がった。両者がっぷり四つ。
爪先に力がはいる。
ツルッ。
F栄氏の指から陰毛が抜けた。
陰毛は滑りやすい。
その場合は「すっぽぬ毛」 ということで取り直しだ。
「すっぽぬ毛」は3回で まぬ毛となり負毛となる。

再び行事の軍配が上がる。
むっ、赤毛寄り切りか。両者息をこらえ、額に青筋がたつ。
プチッ。
追い詰められていたF栄氏が赤毛を断ち切った。
初代優勝者はF栄氏に決まった。
おめでとうF栄氏。あなたは猛々しく戦いぬいた。
そして敗れていった者たちよ。焼かれていった陰毛たちよ。
君たちも真の勇者だ。
この凄まじき戦いを私は一生忘れることはないだろう。

「先生、陰毛相撲はもうやらないのですか」

若乃花を応援していた北小岩くんが力を込めて言う。

「また、機が熟したらな」

だが、第二回陰毛相撲大会は開かれないまま
8年の歳月が流れている。

1998-07-11-SAT

BACK
戻る