小林秀雄、あはれといふこと。

その弐・・・「異人さん」

赤い靴はいてた女の子
ひいじいさんに連れられて
行っちゃった  

かなり大きくなるまで、私は赤い靴という曲の歌詞を、
このように間違えて記憶していた。
だから、ひいじいさんというのはかわいい
女の子を連れ去ってしまう
恐ろしい人なのだと信じていた。
本当の歌詞が「異人さんに連れられて」であると知ったと時、
その恐怖は異人さんへと移っていった。
異人さんとはそんなに恐ろしい人なのだろうか。
否。ここに異人さんのやさしさを伝える
ひとつのエピソードがある。  

横浜での友人の結婚式の帰り、
私は東横線のシートで軽い余韻を楽しんでいた。
その時、車内が一瞬ざわめいた。
レーガン元大統領にそっくりな巨大な
アメリカ人が乗ってきて、
私の横に座ったのだ。
レーガンは黒い鞄の中からウォークマンを取り出した。
そのウォークマンにはなぜかふたつのイヤホーンが。
異人さんは一つを自分の耳にセットすると、

1 異人さんに親切にされる男の図

車内に轟く声で「YOU! 」と言って私にイヤホーンを
手渡した。
乗客が固唾を飲んで見守る中、指名されてしまった
私はおそるおそるイヤホーンをつけてみた。
稲妻のような衝撃が耳に飛び込む。
そこにはベートーベンの
交響曲第9番「喜びの歌」の
大合唱が高らかに流れていたのだ。
やっと終わったと思ってホッとすると、
再びオートリバースで「喜びの歌」が始まった。
異人さんと私は何度も「喜びの歌」を聴きながら、
渋谷までの長い時を過ごした。
駅に着くと彼は神父のように微笑み、
うなずきながら去っていった。  

トントン。トントン。
トイレの窓を叩く音がする。  

「こんにちは、小林先生」  

愛弟子の北小岩くんだ。
彼は時と場所を選ぶことを知らない。  

「先生、人間の毛は大切なところに
生えてるって本当ですか?」  

北小岩くんの質問はあまりにも鋭い。
まだ用を足している途中だが、真剣に答えねばなるまい。   

先生「剃刀のような質問やで、北小岩。
   人間に限らず、毛は大切なところに生えとる。
   だから、大切だと思ったところには、
   毛を生やせばいいんや」   

弟子「先生、意味がよくわかりません」   

先生「例えば表札が大切だと思ったら、
   こういう風に生やせば
   大切なものだとわかるやろ」 

2 大切なものに毛をはやす図  

弟子「なるほど」  

先生「急須が大切な人は、こんな風に
   生やしとこうや」   

弟子「ありがとうございました。
   ンッ?先生の大切なところの毛、
   やけに長いですね。
   30センチはありますよ」   

先生「これは獅子のたてがみや!
   世のおなごはんにここが命と等しく
   大切なところと知らしめるために
   ズラつけとるんや。
   お前もちまちませんとドバッと勝負したらんかい」   

弟子「はい、勝負させていただきます」   

先生「うむ」   

弟子との問答を異人さんに理解させるのは不可能であろう。 

1998-06-12- FRI

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