KOBAYASHI
小林秀雄、あはれといふこと。

しみじみとした趣に満ちた言葉の国日本。
そんな国のいとおもしろき言の葉を一つ一つ採取し、
深く味わい尽くしていく。
それがこの項の主な趣向である。



其の弐百六・・・耳をすます


北小岩 「庭のコオロギたちが、
 美しき競演を繰り広げております。
 しみじみとした調べが
 胸に響いてまいります」

目を閉じる弟子。だが・・・。

小林 「ええかげんにせんかい!
 我が神聖なる庭で乳繰りあおうったって、
 そうはさせん!
 ゴーロゴロゴロゴロ!!!」

虫を沈黙させるべく、
奇声を発しながら草むらに近づくのは先生であった。
氏は自分が極端にもてないため、
コオロギのオスがメスを誘い交尾に至るのが
許せないのである。

小林 「北小岩も騙されてはあかん。
 こんなものはまやかしや。
 世の中にはもっと本物の声に
 耳をすましている風流人がおるわい」
北小岩 「そうなのでございますか」
小林 「師の後を
 三歩下がってついてくるこっちゃ」

先生が目指したのは、
原っぱに数十年間も置きざりにされたままになっている
土管であった。

小林 「あったあった。
 あの土管はな、俺が幼稚園に通っとる時に
 中に入ってよく遊んだんや。
 近所に住んどった一番かわいい女の子と、
 仲良くお話してなあ・・・」

女の子にやさしくされた、
生涯唯一のシーンを回想し、
涙ぐむ馬鹿先生であった。

北小岩 「この中にコオロギよりも美しい声の虫が
 いらっしゃるのですね」

土管をのぞきこんだ弟子は。

北小岩 「うお〜〜〜〜〜〜!」

阿呆にしか見えない大声をあげた。
そこにはまり込んでいたのは、
虫ではなく一人のおっさんであった。

小林 「なっ、
 風流人がおったろ」
北小岩 「何が何やらわけがわかりません。
 不思議な体勢で
 男の人が丸まっておりましたが」
小林 「お前もまだまだ甘いわ。
 中の方は確かに
 虫のささやきに耳を傾けとった。
 なあ、耳好(みみよし)はん」
耳好 「そうですな」

いつの間にかおっさんが、弟子の隣に立っていた。

北小岩 「虫の声は
 いっさいいたしませんでしたが」
小林 「この方の鼓膜を楽しませていたのは、
 そんじょそこらの虫やない。
 股間に鎮座しとる
 『いんきんたむし』の声や!」
北小岩 「なんと!」
小林 「耳好はんは、
 コウモリではないかと思うほどの
 超人的な耳のよさを誇るんや」
北小岩 「それはうらやましいことでございます。
 いんきんたむしは、
 どのように鳴くのでございますか」
耳好 「チンチンジュクジュク
 チンチンジュクジュクと
 寂しげな声をしぼりだしていますね。
 鳴くというより、むせび泣くに近いです」

小林 「いんきんたむしだけではなく、
 水虫や真田虫の声を聴くことだって
 できるんや」
耳好 「水虫はカユカッちゃんカユかっちゃんと
 聴こえます。
 真田虫は時折、
 クソックソックッソー!と
 叫んでいますね」

北小岩 「どのようにすると、
 そんなミラクルな声をとらえることが
 できるのでございますか」
耳好 「風流を愛でる心。
 極限まで耳をすます努力。
 虫に耳を近づけられる柔軟性。
 それが三位一体となった時、
 初めて響いてくるものなのですよ」
北小岩 「なるほど。
 コオロギや鈴虫の声で満足していた
 自分が恥ずかしくなりました。
 わたくしも、
 まずはお酢を飲んで体をやわらかくし、
 それから精進していきたいと思います」

秋の夜長。
虫たちの声は、私たちの心をとらえてはなさない。
とはいえ趣のある音は、
庭や野原、山や畑だけから聴こえてくるのではない。
今一度、己の体の虫に耳を傾けてみるのも、
秋の一興であろう。

小林秀雄さんへの激励や感想などは、
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2008-09-14-SUN

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