いいものを編む会社。ー気仙沼ニッティング物語 2011年の11月、糸井重里の発案で ひとつのプロジェクトがじわりと動きはじめました。 それは、編みものの会社をつくるプロジェクトです。 拠点となる場所は、東北の気仙沼。 「ほぼ日」の支社がある漁師町で 最高のフィッシャーマンズセーターをつくることが、 「その会社」の仕事です。 セーターは、手編み。 編み手は、気仙沼のおかみさんたち。 すばやく大量にはつくれないけれど、 編む人がたのしくて、買う人がうれしい! そんな、わくわく感で両者がつながる セーターづくりを目指していきます。  プロジェクトで決まったことや進んだことを、 すこしずつ不定期におしらせしますね。 「気仙沼ニッティング」のレポートは、ここから。
レポート♯1 そもそもの話を糸井重里にききました。

レポート本編の初回となる今回は、
糸井重里に登場してもらいましょう。

レポート係は、糸井の部屋へおしかけました。

そもそもどうして、
このプロジェクトを思いついたのでしょう?

糸井 そもそもということでいうと、
2011年の秋ころから、
ずーっとぼくの頭の中では、
「ほぼ日のこれから」「気仙沼」「手仕事」と、
そのあたりを
あっち行ったりこっち行ったりしながら、
考えていたっていうのがありますね。
─── その考えがある程度まとまったところで、
全員にあのメールを送ったわけですね。
糸井 メール‥‥なにそれ?
─── え‥‥ですから、
「気仙沼でニットの事業をやります」という。
糸井 そんなの送ったんだ。
いや、ほんとに忘れてるわ。
─── (記録を見つつ)2011年11月25日です。
急に送られてきたメールでした。
こういうことをやります、という。
糸井 なにそれ(笑)、ほんと?
かっこよすぎるんじゃない?
─── ‥‥ほんとうに忘れているようなので、
これをページにするときに掲載しておきます。

差出人: 糸井 重里
日時: 2011年11月25日 14:55:59

件名:気仙沼「フィッシャーマンズニット」プロジェクト。

イトイです。

気仙沼で「手編みニット」を
仕事にしていくプロジェクトを進めていきたいと思います。

いくつかの思いつきを列挙します。

・デザイナーの中心に三國万里子さん。

・とにかく、いい毛糸を、いい場所から、
 ステキな値段で仕入れたい。

・どうやって、編み手を集めるか。

 すぐにできる人と、できない人がいるだろう。
 できる人は、三國さんのデザインでつくりだす。
 伝統柄でつくりだす。
 できない人は、マフラーからつくりだす。

・お客さんは、「気仙沼のほぼ日」から集める。

・ひとりの買い手と、ひとりの編み手で、完成まで。

・イギリスの本場の漁師のかみさんとか、
 いまでも編んでる人、いるかなぁ。

・担当、誰で、どう仕事を進めていくか。


─── さらに、そのメールが届いた日の「今日のダーリン」は、
こういう内容でした。
(プリントアウトしたものを渡す)
糸井 え? と‥‥何を書いたんだっけ?
‥‥ああ、これ。


2011年11月25日の「今日のダーリン」より

・これまでの進歩というのは、
 「よく均質なものをすばやく大量につくる」ことだった。
 そのために大きな工場があればいいと思うし、
 同じものを求めるたくさんのお客さんがほしいし、
 できるだけムダをなくしたいし、
 生産体制は大きくしていきたいと考えていたと思う。
 
 そういう進歩が、
 たくさんの人々に与えてくれたものはとても多い。
 そのおかげで出来たことをしっかり数えておきたい。
 だかしかし、なのだ。
 それだけが必要だったというのは、ちがっている。
 
 「均質」であることは、あらゆる場面に大事か?
 同じ顔をして同じことを考える登場人物ばかりの映画は、
 たとえばだけれど、あんまりおもしろいと思えない。
 「大量」につくれないものは、
 一切つくらなくてもいいのか?
 いや、少ない人数だけれど求める人のいるものは、
 どこかでつくられているものだ。
 「すばやく」つくられることだけが必要か?
 そんなはずもない、待ってでもほしいものはほしい。
  
 ばらつきがあって、少量しかできなくて、
 時間もかかるもの‥‥も、人は求めています。
 そして、それをつくる側からすると、
 そっちのもののほうが、つくりたかったりもします。
 
 くりかえしますけれど、
 「よく均質なものをすばやく大量につくる」
 ということが悪だというようなことではないし、
 ぼくらはたっぷりとその恩恵を受けています。
 そのうえで、です。
 まったくその逆みたいなものが、
 実は求められているということを、
 「期待される非常識のビジネス」として、
 組み立て直せないものか‥‥と思っているのです。
 これが、直感的にですけれど、
 東日本大震災の被災地から、出発できないものか。
 そのモデルケースが、生みだせないかなぁ‥‥。
 
今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
みんなが同じことを考えてたら、豊かさは増えないよね。

 

糸井 これもかっこいいね。
糸井 いや(笑)、冗談です。
べつにかっこよくはないんだけど、
このことはずーっと考えていましたね。
つまり、人間がよろこびを感じる仕事まで、
機械に渡しちゃっているんじゃないかなぁって。

かかる時間のこととか手間とか、
一見すると無駄に見えるような
人間のやる行為について、
ずーっと気になってしょうがなかったんです。
「おれはなぜ、ジャムをつくり続けるのか」
糸井 自分たちのことでいうと、
「ほぼ日」ってIT産業のはずなのに、
ちっともITらしさがなくて、
「これは私がやりたいです」があるでしょう。
外部に発注すればいいのに、自分でやってる。
それは無駄に見えるものだけど、
人間が人間の体をしているからには
引き受けなくちゃならない、
しょうもない贅肉みたいな部分なんです。
その贅肉が、
コンピューターと一緒にやっているにしては、
ものすごくまだ残ってるんですね。
贅肉を認めてきたことは、
いばれることじゃないかもしれないけど、
けっこう大事なことだと思ってます。

給食は、なんでたのしいんだろう。
「会社のまわりにお店はいっぱいあるぞ」
「作ってくれる人たちだってたいへんだぞ」
って言われても、いや、給食がやりたいんだ!
その思いは、大事なんですよ。
─── そして、編みもの。
これはもう、どんなにたいへんでも
人間がやりたいと思う代表的な手仕事ですよね。
糸井 うん。まさしくです。
三國万里子さんが「ほぼ日」に登場して、
会社でニットブームが起きましたよね。
─── 起きました。
糸井 すごいことだなと思いましたよ。
つまり、人に任せちゃえばいいじゃないかっていうことを、
自分でやってよろこんでる。
こんなにめんどくさいことを、
「失敗してやり直した」だとか、
「うまくいかなかった」とか、
辛いことまでもたのしそうに、一所懸命やってた。
糸井 「やってる最中がおもしろいんだよね」とか、
「他の仕事があるのに、ついやっちゃった」とか、
「編んでると脳内麻薬が出る」とか、
いろんな言い方をしてました。
糸井 こういうふうになっちゃうことについて、
ちゃんと考えてる人がどうもいないぞ、と思ったんです。
編み物はたのしいという話をする人はいます。
それを他人にすすめる人もいる。
糸井 でも、
さっきの「今日のダーリン」みたいなことと、
この状況を合わせて見直してみると、
ものすごくおもしろいことに気づくんです。

みんなね‥‥
その仕事を誰にも渡したくないと思ってやってる。
糸井 つまり、機械にもできる仕事を、
馬鹿にしちゃいけないということなんですよ。
─── そういう考えが熟成されて、
あのメールを、みんなに出した。
糸井 いや、まだですね。
その段階ではまだ出せない。
「ぼくが急に思いついてメールを出して」
っていうはじまり方は、
いままでにもけっこうありました。
─── ありましたね。
糸井 でも今回は急な思いつきではないです。
メールを出すまでに、
頭の中でずいぶん考えてました。

なんて言うんでしょうね‥‥
気仙沼を訪ねるたびに、
「メインのところで大仕事をするのは、
 自分たちの手に余るな」っていう。
─── ああ‥‥。
糸井 気仙沼と東京を行ったり来たりしてるうちに、
やっぱり、自分たちの無力さを感じるんです。
たいしたことはできないっていう実感を持つ。
糸井 「自分にできると思うなよ」っていうのは、
最初から言ってたことなんだけど、
つくづく思うんですよ。
現地を知ると、ますます思う。
糸井 「自分じゃなきゃできないことをしたいんです」
っていう言い方も、
ぼくはぜんぜん違うと思ってた。
頭にあったのは、
「なにをやったら、すこしでもよろこばれるかな?」
それだけでしたね。
糸井 そういうことを探しながら、
気仙沼で取材をしてたつもりなんですよ。
─── なるほど。
糸井 で、取材をしてるあいだに、
問わず語りでいちばん聞こえてくるのは、
「忘れないで」、だったんです。
─── はい。
糸井 ああ、それなら約束できると思って、
自分の中に立てたフラグが、「忘れない」でした。
そのひとつのかたちとして、
「気仙沼のほぼ日」をつくりました。
これでひとつ、
「あ、帰んないんだね」と思ってもらえる。
糸井 「気仙沼のほぼ日」は、
「無力な自分たち」っていうのが出発点で、
いまでもそれが原点です。

その中でできることってなんだろう‥‥?
自分が得意なことで、お手伝いができるのは‥‥?
「そうだ、
 いちばん使いやすくて安上がりなのは俺だ」
という発想で、
まずは自分で考え続けていました。
─── それ、「ほぼ日」の最初のころと同じですね。
糸井 そう、おんなじ。おんなじです。
 ▲1998年6月6日午前0時(バリ時間)、
  「ほぼ日」が開始された瞬間。

糸井 だからぼくは1回経験があるんですよ。
「ほぼ日」のときも、誰がいなくても
俺ひとりでできることをやろうと思ったんで。
‥‥なかなかねぇ、
そのくらいに思っていないと、
大言壮語でスタートしたら、すぐバテますから。
糸井 で、先に思ったいくつかが
パラパラとパーツとしてあったわけです。
おかみさんの土地だなぁとか、
漁師町だっていうイメージ。
おかみさんたちの、漁師さんへの敬愛。
東北の土地の厳しさ、我慢強さ。
なのに、あの明るさ。
糸井 そういうものを並べながら考えました。
なけなしのぼくらにできることって何だろう‥‥?
─── どうするんだろう?
の期間があったわけですよね。
糸井 ぼくのできることは会社を作ることかな?
って思ったんです、まずは。
でも、
「ほぼ日」で事業をやって、儲けちゃいけない。
─── はい。
糸井 でも、いい人だからやるというのもなんだか‥‥。
ボランティアはもちろん尊いです。
でも、お手伝いをしたいと思ってるのに、
「儲けないように」
と苦労をしている自分がいる。
この苦労はなんだかおかしいぞ、と。

そこで思いついたのが、
儲ける会社をつくって、
その仕組みをまるごと気仙沼に置いてきちゃう、
ということでした。
─── ちゃんと稼ぐ会社をつくって、
そこから気仙沼に税金も払う。
糸井 その仕組みをプレゼントできたら、
いいなぁと思ったんです。
よくある言い方で、
「魚をあげるよりも
 釣り針と釣り糸をあげなさい」
っていう言葉があるんです。
ジタバタ無理して大きな魚を1匹をあげるよりも、
よく研いだ釣り針と糸を渡す方がいい。
その方が長持ちするんですよ。
それが、「会社」だったんです。

ですから、
気仙沼のおかみさん。
糸井 漁師町。
糸井 フィッシャーマンズセーター。
糸井 アラン島。
糸井 社内で流行っている編みもの。
糸井 三國万里子さん。
糸井 そういうことたちが、
すーっとつながったときがあったんです。

まさしく「釣り針と釣り糸」ですよね。
「針と糸」で編む手仕事‥‥。
そういう仕事をする会社の
イメージが浮かびました。
─── そのあたりで、あのメールが届いた。
糸井 そのタイミングでしょうね。
うれしかったんで、出したんだと思う。
わかった! と思ったのかな。
ショートしたんですよ。
いろんな考えが重なって
電線がぐしゃぐしゃになってショートしたんです。
そりゃいいや、できる! って。

なるほど‥‥。
「気仙沼ニッティング」のアイデアの原点には、
これだけの要素が重なり合っていたのですね。
プロジェクトの生まれ方がもう、
すでに編みもののようです。

そもそものお話は、こんなところで。

次回からは、
「3人のキーパーソン」について、
すこしくわしくご紹介していきます。

じわりじわりと、一歩ずつのレポートです。
どうぞ歩幅を合わせて、お付き合いください。

(つづきます)


2012-08-31-FRI

 

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