わたしの北の国から。
このシーンに感動しました・名場面集。

自分の生き方を変えた「北の国から」。
『遺言』を観た人、書いた人

今回は、「北の国から」の最終話、
『遺言』の感想特集です。

最後の物語を観て寄せられた感想には、
特に、「北の国から」というドラマのテーマに
触れたものや、それと自分の生き方との関わりについて
書かれたものが多くありました。
(遺言を書いちゃった人も!)

前回の「家族」についてのメールと同じように、
どれもこれも考えさせられるメールばかりでした。
どうぞお読みください。

また、前回お知らせしたように、
「わたしの『北の国から』最終回」のメールも
募集していますので、どうぞお寄せください。

「純のその後」や「快の将来」など、
部分的にでもいいので、『遺言』の先の「北の国から」を
あなたなりに書いてメールで送ってくださいね!
goro@1101.comまでどうぞ。

(掲載したメールのうち、緑色の字のものは、
 放送されたばかりの「北の国から2002遺言」の
 ストーリーに触れています。
 まだ観ていなくて、いまは知りたくない方は、
 飛ばして後から読んでください。)



だけではないと思うのですが、
「遺言」を見終わった瞬間、
広告の裏に「遺言」を書きました。
号泣しながら。
さっき、きちんと畳んであったその「遺言」を、
オットが
「これ、本当に遺言になっちゃったら怖いから返す」と
返してくれました。
自分で書いたにもかかわらず、いい「遺言」でした。
再び号泣しました。
広告の裏の「遺言」は、その後、
オットと私に見送られて灰になりました。
今から「遺言」書こうって思っても、
あんないい「遺言」は書けないだろうなぁ。
ドラマを見ただけで、
何かが乗り移っちゃったんでしょうねぇ。
そんな魔力をもったドラマだと、
まだ鼻水すすりながら考えてしまいました。


回の「遺言」で心うたれたのは、
五郎の親友、中ちゃんの妻の病に悩み、
妻を失った哀しみの深さです。
水滴が石をうがつように、
長い時間の中で地道に築き上げられた、
夫婦の信頼と愛情。
人の思いの深さとしてあふれ出る、中ちゃんの哀しみ。
奥さんが亡くなったとき、心の底から沸き出る
哀しみをどうしようもなく抑えきれない。
素晴らしい時間を共有できたからこそ、
鼻水垂らして泣ける素晴らしさ。
人はいずれ旅立ちますが、残ったものが
すべての感情を含めて生きている実感・体感を
もてるつながり方は大切だと思います。
ふだんコミュニケーションと軽く口に出してはいるけれど、
夫婦や家族、社会での人間関係で、
思うことの尊さ、人にていねいに気持ちを向けることを
どのくらい意識しているものか。
これを機に考え直してみたいと思います。
(やま)


続シリーズのはじめの頃の
大滝秀治さん扮する草太にいちゃんちの
おじさんのセリフ
「おまえら負けて逃げるんだ。
 おまえら負けて逃げていくんだぞ。」
と純に語ったのが、最後まで繋がっているんじゃないのかと
思っています。
最後に純が「もう逃げるのヤなんだ」と言うところまで。
この間の総集編に入らなかったのが不思議です。
(kyo)


っても大きなことを
ゴローさんから教えてもらいました。
何かを始めようと思ったり、
自分を見つめ直したりする時、
お金のこととか、物が一番に頭に浮かびます。
でも、ゴローさんは、お金や物じゃないといいました。
彼が残した廃材の家は、
いくらでもお金になるかと思うのです。
みずえおばちゃんの夢は廃材の町でした。
でも、ゴローさんはそんなこと思ってもなく、
労働に対して日当ではなく「労働」を返すのが
当然なんだといってました。
どっちが常識なのかは定かじゃないけど、
素敵な生き方、気持ちのよい生き方は、
ゴローさんの生き方だと分かりました。
物欲に自分を縛り付けられることなく生きていきたいです。

それと、純の借金を月3万円にしてくれたじいちゃんも、
素晴らしかった。
病床のおじいちゃんが、純に向かって責めるでなく
「自分のせいで富良野に帰ってこれなくなったのではないか」
とは、なかなか言えない台詞です。


はきっと当たり前の事だったのでしょうが、
雪子の息子に本気で怒る中ちゃん。
自分の息子よりその嫁を我が娘のように
かわいがり心配するトド親父。
どんな悪い奴でも、自分の子供をかばう親。
どんな悪い事をしていても、他人の子だからと言って
見て見ぬふりする大人(自分も含めて)たち。
今は、とても多いと思います。
でも、北の国からでは、
「人間の筋を通す」みたいな
そんな所にグッと来てしまうのかもしれません。
そんな 人間の基本みたいなものが
今は忘れられているのではないかと
・・・・そう思うのです。
(のり)


回一番いいなあと思ったシーンは、
とどが流氷に乗って帰ってきて、ごろうさんをみつけ、
「よお来てくださった」と言うシーンでした。
心の底からの親愛と敬愛にあふれていました。
愚直さを妻からも子供たちからもわかってもらえなかった人が、
21年経ってようやく真価をまっすぐに受け止めてくれる人に
出会えた、それも厳しい自然の中で
生き抜いてきたどうしだけが持つ敬意をもって・・・
というところに、あんまりごろうさんが好きでもなかった
私も、よかったよかったと思ってしまいました。
(まむう)


郎という素晴らしい父親、
厳しいけれど美しい富良野の四季。
そんな環境にありながら、
次々と黒板一家には辛いことが起き続けて。
最後の「遺言」で、蛍が正吉の元に、
そして純が五郎の元に帰ってこれて
本当にほっとしてます。
やっと、やっと幸せの端っこを捕まえたんだねって。
私も幸せになるよ、蛍も純もこれから頑張れって
応援したい気持ちです。


回、このドラマを見て
おお泣きしてしまいました。
相手を思いやる気持ちや、人から受けた誠意には、
ものやお金ではなくて誠意で返す、
ということをしみじみ感じてしまいました。
考えてみれば、当たり前なことなんですが、
実行するのは難しいですね。
それに、ついつい楽な方へと流されがちなんですが、
立ち止まって、ちょっと、
ふんばってみないとだめでしょう!
とも思ってしまいました。
私にとっては、久しぶりに、素直に感動した!
って言えるドラマでした。
(エール)


ドモだった頃からこの番組を
兄妹と同年代の目線で見てきました。
純君は自分を守りたくて
ついこずるい嘘をついてしまって、
それが当時の自分とダブって胸が痛かったし、
正吉君のそれを指摘する一言がぐさり、
と突き刺さったものでした。
思春期には同じような恋愛をダブらせて泣いていたし、
働きだしてからもそれなりの同じ様な痛みを
重ねていたのです(螢ちゃんのいろいろにも…ははは)。

そんな風に昔はコドモの視線で泣いていたのに、
総集編を見ていて泣きどころが変っていたことに
気がついたのでした。
周りの大人達のせつない出来事や
五郎さんに泣いているのです。
杵じいが馬を売った時の台詞やその後死んでしまった事、
みどりちゃんがこっそり駅のホームに
息子の正吉を迎えに来て、ごめんねと言うように手を
合わせていたシーンに号泣してしまいました。
大人ってせつない。

今回はシュウちゃんと中ちゃんに泣けました。
好きな人の大事に何もして
あげられなかったという悔やみの気持ちが
とてもつらかったです。
そんなシュウちゃんに「もう忘れろよ」
と言った五郎さんにも。
そしていつかは来る、
愛している人たちとの別れ(死)に泣きました。

そうか私も大人になったんでないのかい。
そんな感じです。
それにしても純君に、
強引なくらいの強い女の子に捕まえてもらえてよかった。
そして私は今でも「私の正吉くん」に
出会える事を夢見ています。
(ぷく)


回最初のうちは、見ていて、
「あれ、泣かないかも、大丈夫かも」
と内心思っていました。(私も大人になったかも とか)

が、しかーし!凄くふいにきました。
「三沢のおじいちゃんと純との再会」です。
いきなりキてしまい、嗚咽へと変化しました。
しかもあの場面泣けると同時に笑えたりするし。

北の国からを見ると、
自分が純粋なものへと戻る気がします。
うそをつかない、自分のことばかり考えないといった、
普通の当たり前のことを誠実に
日々こなしていこうと改めて考えます。
それが純粋にできている、正吉くんや、
吾郎さんをみんな大好きで、
それがまだ素直にできない純や蛍に
自分を合わせてしまうひとが多いのではないかなと思います。


終回の遺言は、五郎さんの快への溺愛が
ものすごく面白かった。
どこが面白かったって、蛍が快を幼稚園に迎えに行って、
五郎が待ち伏せしているところですかね!!

遺言はあまり泣くことはなかったと思います。
泣くというより、これで終わりなんだ・・・寂しいなー。
という思いが多かったです。
それより、純は富良野に戻ったが、
3万円はどうやって返すのだろうか?
毎日、おじいさんのお見舞いに行っていたら
3万円稼ぐことが????
ヒツジのミルクって高く売れるのかな?


回の2002・遺言では
やはり脇を固める役者さんがすごかったなあ。
唐さん、地井さん、ガッツさん、岸谷さん、
内田有紀ちゃん。。。
唐さんなんて迫力。あんなミュージカルのような
歌のうまいトド撃ちなんているんかいな。
とか思いながらも引き込まれる名演・怪演。
で、私が泣けたのは岸谷さんです。
いやな奴の役なんだけど、すごく悲しくてさあ、
せつない感じでしたよ。
純ちゃんをボカスカ殴った後、
おやじさんに殴られてちょっと悲しい顔して
去っていくところ。
おやじさんが無事港に帰ってきて大騒ぎのところを
遠くで見ているところ。
ほんとは人が好きなくせにってかんじで、
胸が痛かったです。
(じゅんぺい)


回の「遺言」でも泣きました。
それは、五郎が家を建てているところに
とどがやってきて、御近所さんと間違って
手伝いをさせてしまい、実は通りすがりの人だったと
わかって直角お辞儀で謝るシーンです。
別にお手伝いさせられてクレームを言われた訳じゃないし、
なにもそこまで誤りまくらなくてもいいのに、
と思うと同時に、これくらいのことに
全身全霊くらいでゴメンが言える人っていい!
と感動したのです。
あのときの五郎の中には「ゴメン」以外の
なにものもなかったように見えました。
普通だったら、昨日のテレビ面白かったな、とか、
ちょっと寒いなぁとかの雑念みたいなものの中に
「ゴメン」もあると思うのです。
それが大失態に対してだったら、
誰でも同じ状態になれるかもしれませんが、
ちょっとした「ゴメン」をあれほど真摯に
できたら、世の中変わるんじゃないか、
少なくとも私は変われそうな気がしたのです。
でも、実践できていませんが。
(四太郎)


たり前といえば、それまでですが、
長年の「北の国から」ファンにとっては
正吉が蛍に宛てた手紙の中で
これまでずっと聞き慣れてきた
「蛍ちゃん」という呼び名ではなく
「蛍」に変化していたことに、
「幼なじみ」から「夫婦」としての絆を確立したことを
強く感じ、かなりぐっときました。
「黒板家は俺の家族なんだ」と結婚を決意した正吉。
そして、純に「本気なのか?」と問われ
「だって正ちゃん、大きいんだもん」と
正吉とともにいることで蛍が大きな安心感を得られることに
観ているこちら側も大きな安堵感に包まれた気がしました。
「'84夏」で純のずるさを
「おめえはきたねえやつだ」となじりながらも
別れ際には涙目で
「おたくもせいぜい元気でやってくださいよ」なんて
うまくココロの内をさらけ出せなかった純と正吉が
オトナになってこうして
ほんとの家族になれたのも嬉しかった。
実際に家族として生活を送るシーンは見られなかったけれど
この「蛍」という一言を聞けただけで
すべてがイメージできる、というのは
長年のファンの醍醐味なのかも。
(ピノコ)


2002遺言」では、久しぶりに現れたシュウちゃんに
五郎さんが「(純に)会ってどうするんだ...?」と
諭すところでいきなり泣けてしまいました。
それにしても、純くんはいつも美人な方々に
モテモテですよね。
(さとこ)


こ何年かは、
スペシャルとなってしまった『北の国から』を見るたびに、
しっかりと生きていくこと、
自然に敬意を抱いて、慎ましやかにいること、
そういうことについて、大きな反省を求められています。
わたしはきっとこの作品を、これからの一生、
繰り返し見続け、思い出し続けることでしょう。
(ぞりちゃん)




心にいつも「北の国から」。
いいドラマとの出会いは、人生を豊かにするのですね。

では今回はこの辺で。

メールは、表題に「わたしの北の国から」と書いて
goro@1101.comに送ってくださいね!!
(↑五郎でアドレスも作ってしまいました。)

2002-10-15-TUE

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