欽ちゃん!2006 

萩本欽一さんの、おもしろ魂。
最新の記事 2006/05/29
18 世の中に欠けているもの

萩本 ぼくは
野球をやりはじめるときに、
「選手」という言葉を
やめたいなと思っていたんです。

選ばれたプロよりも、
「素人筋」「素人連」「素人考え」と、
素人がくっついているぐらいのほうが、
バカにされるけど、
新鮮だし、おもしろいんじゃないの?

「……どのぐらい負けがつづくんだろうねぇ」
と、心配される。それも、たのしみですから。

ぼくは、
自分がテレビのプロになったときに、
「あ、もう、やめなきゃいけないな」
と思いました。

視聴率30%取るのが当然になると、
テレビが、作れなくなった。
作りたくなくなっちゃったし。

作っても、エライっていわれないのよ。
最初のころは、
「素人なのに、よくがんばったなぁ」
って、ほめられたの。
いつのまにか、ほめられなくなったから。
糸井 まだ
かたちが決まっていない
粘土のような状況から
話しあえているのがおもしろいですね。

野球にかぎらず、
あたらしくなにかに
かかわっていく過程を、
ぜんぶ最初からたどっているのが
萩本さんのおもしろさで。
萩本 練習でも、
「打ちかたが悪い」
なんて、言わないもんね。

「その顔、
 お客さんから見て、よくない!」

「そこでお客さんに、
 おしりを向けてたらダメだよ!」

「セリフセリフ!
 お客さん、今、待ってるから!」

お客さんをたのしませるための
指導しかしませんから。

野球の素人が、
お客さんのことを気にして
のぞいているようなことをするの。

大リーグを見ていて
ひとつ思ったのは、
あれ、どんなにすごい選手でも、
観客にボールをあげるときに、
まるで、捨ててるように見えるの。

なんでかというと……
「ボールをあげる」って、きっと、
相手の目を見て渡すべきなんだよね。
目を見ないで、渡しているから、
客席に放って、捨ててるように見えるの。

目を見たら、会話が生まれる。

「どこから来たの?」

「ニュージャージー」

「遠いとこから来たんだねぇ、
 じゃあ、ボール、あげるよ」

隣のオジさんが、たまたま、とっちゃう。

「あれ、オレにくれるんじゃないんだよな。
 隣のコイツに、渡そうとしてたんだよな」

そのオジさんの根性に免じて、
ふたつぐらい、ボールを渡したくなる……
そういうもんじゃないの?

見ている素人も、
そのほうが、よろこぶ。

野球のプロからほめられるんじゃなくて、
農業をやっている人からほめられる、
商店街の魚屋さんから、ほめられる……
つまりそれは、球団が栄えることで
みんなも栄えるということにつながるんで。

日韓でワールドカップのときも、
あれだけ
たくさんの国の選手が来たのに、
「カメルーン代表が
 遅刻してきちゃった
 大分県の中津江村」しか、
テレビにならなかったもんなぁ。

あの村だけが、テレビになる。
ドラマがないところには、
テレビカメラは、いきませんよ。

カメルーン代表が来たときの
あのよろこび……
つまり、野球チームが来ることで
みんなによろこばれないことには、
野球は、おもしろくならないんだよね。
糸井 萩本さんの野球への挑戦は、
おもしろい記録になりますよねぇ。

ものごとができてゆくのを
はじめから見ていることは、
あんまりないんですよ。

萩本さんの野球については、
なにもかも決まっていないときから
たくさん、語っていますからね。
これは、稀有な例だと思うんです。

どのぐらい
あぶなっかしいことだったのかも、
あとで見たら、わかることだろうし、
それでも、ふりほどいて走っていく……。

そういう実行が、
たぶん、今の世の中に、
いちばん欠けていることだと思うんですよ。
萩本 そうだね。
糸井 いいトシになると、意外と
冒険ができなくなるんじゃないか、
と、心配している人が多いですから。
萩本 トシをとっても
冒険ができるんなら、最高だもんね。
糸井 現実って、つみかさねて、
折衝してできあがることなんて、
ほとんどないんじゃないかなぁ。
なんでも、まずは、
「作りだしちゃうこと」
から、はじまるんですから。



(次回に、つづきます)
 
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