憲法にわくわく? 伊藤真さんの考え方は、目からウロコだった。
第4回 憲法の条文が輝いてみえる瞬間
今日は第3章
〔「立憲主義」を知っていますか〕から。

見るからに、聞くからに
ムズカシイ印象を受ける
「立憲主義」という言葉、
実は、とても重要なキーワードです。

立憲主義とは、
憲法に基づいて政治を行うこと。
でも、「憲法」という名前さえついていれば
どんな法でもいいってわけじゃありません。

「国家権力を制限して、
 国民の自由と権利を保障するための法」
としての憲法じゃないと、
立憲主義とは言えないんです。

これは、言いかえると、
「個人と国家の関係においては、
 個人の自由を尊重することが何より大事。
 個人の自由を守るためには、
 国家権力を制限する仕組み、
 すなわち憲法が必要」
という、1つの「価値観」です。

だったら、立憲主義じゃない、
別の価値観があってもいいよね?
……という意見は当然ありです。

でも、伊藤さんが第3章で語っているように
この価値観を実現するために、
人類は長い時間をかけ、
たくさんの血と涙と汗を流してきました。

日本も例外ではありません。
先の戦争では多くの命が犠牲となり、
その結果、日本人は、
「立憲主義」という価値を選択するに
至りました。

そのことをもっとも端的に語っているのが
次の条文です。

すべて国民は、個人として尊重される。
生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利に
ついては、公共の福祉に反しない限り、
立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
             (日本国憲法13条)

「個人の尊重」言いかえれば
「基本的人権の尊重」こそが、
日本国憲法のなかでもっとも重要な価値だと、
伊藤さんは言います。

さらに伊藤さんは

「平和主義」は国家政策の問題としてでなく
「平和な社会に生きる権利」という
個人の権利としてとらえるべき

「基本的人権の尊重」と「平和主義」こそが目的で
民主主義という政治システム(=国民主権)や
国会・内閣・裁判所など国家のしくみは
それを達成するための手段にすぎない

と続けます。

「基本的人権の尊重」と「平和主義」
という目的を実現するために
「国民主権」を掲げているのが
日本国憲法ということですね。

「立憲主義」からスタートすると、
「憲法の3原則は、
 国民主権、平和主義、基本的人権の尊重です 以上」
と丸覚えしていただけの憲法が、
ガゼン生き生きとした意味のある存在に
思えてきませんか?

以前、私は、あるところで、然るべき立場の人が
「憲法改正に反対する人は、憲法が国家権力を
制限する規範であることを、強調しすぎる」
と発言するのを耳にしたことがあります。

私自身は、憲法改正の主張を持つことを、
非難するつもりは、もちろんありません。
でも、私にはその人が、立憲主義を理解し、
そのうえで、あえて異議を唱えるという
覚悟を持っているようには思えなかった。
それは、憲法を論ずる立場として、
正しいとか間違っているという以前に、
「問題外」だと思います。

第3章を読んでいただけたら、
きっと、この感覚、この憤りを、
共有してもらえるのではないでしょうか?

第3章にはほかにも、
「憲法は民主主義に歯止めをかける存在である」
「個人の尊重とはリスクを背負うことである」
といった、素通りできないフレーズが
いくつも出てきます。

でも、ここで足を踏み入れてしまうと、
なかなか次に進めないので、
それはぜひ本を手にとっていただいて……
ということにして、第4章に移ります。

第4章は〔日本国憲法はやわかり〕。

「憲法なんて自分には関係ないよ」
「憲法は大事って言われたって、
 ふつうの人には実感わかないよ」

少なからずの人がそう思ってしまうのは、
憲法って、何を言っているのかピンとこない
……からではないでしょうか?

実際の条文を見ればわかりますが、
憲法はけっして難しい言葉で
書かれているわけではありません。
でも、なんだか
大雑把で抽象的な印象を受けるのは確か。

たとえば、裁判で証人を務めることになったとき
「あなたは学生時代に
 反戦デモに参加したことがありますか」
という尋問には
イヤだったら答えなくていいのですが、
それは、
「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」
と定めた19条で認められる、ということは、
条文を見ただけでは、わかりにくいですよね。

でも、憲法のように、
ある程度の長いスパンを想定している法の場合、
表現が抽象的になってしまうのは
やむをえない面があります。
なぜなら、細かく具体的に規定すればするほど、
そこから外れるものも多くなるから。
あらかじめ解釈の余地があるように定めておいて、
時代に即したフレキシブルな対応をするというのは
それなりの合理性のある方法です。

そして伊藤さんは、
憲法はもともと完成品としてあるのでなく、
そこに具体的な肉づけをしていくのは
私たちの日々の実践だと言います。

さらに伊藤さんは、
憲法が自分にどう関係があるのか
実感できないという人たちに対し、
「もしも、いまの憲法がなかったら」と
想像してみてほしいと提案します。

たとえば、
ストリートで歌やダンスを披露できるのは、
21条で「表現の自由」が認められているから。
好きな音楽を好きなときに歌う・聞く自由が
認められない社会は
現在の世界でも、歴史上でも
けっして珍しくありません。

男女雇用機会均等法ができたことや、
男女共同参画社会がうたわれるのは、
日本国憲法で
「法の下の平等」(14条)と
「両性の平等」(24条)が定められたから。
明治憲法にこのような規定はなく、
女性は男性と対等に仕事をするどころか、
結婚も離婚も、財産を持つことも、
自由にはできませんでした。

会社をクビになっても失業保険が給付されるのは、
27条で労働者の権利が認められているからです。

このように見てくると、
私たちの生活が、憲法が保障した「自由」のうえに
成り立っていること、
憲法と無関係に暮らしている人などいないことが
よくわかります。

第4章ではこのような視点から
前文から99条までの読み方を解説しています。
それはただ伊藤さんだけの個人的な見方ではなく、
憲法学の解釈や裁判の場で積み重ねられた
「正しい」読み方です。

あらためて条文を読んでみると、
日本国憲法って、すみずみまで
なんてよく考えてつくられているんだろう
と、きっと驚くはず。
その驚きを、1人でも多くの人に感じてほしい……

というところで第 II 部はおしまいです。
次回は第 III 部〔自分の頭で考える憲法改正〕。
いよいよ、9条の登場です。
2005-07-20-WED
 
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