第10回 超ひも理論というヤツがいたら、 触ってみてもいい、踊ってもいい。

糸井 僕が挙げた、
パトリック・ジュースキントの『香水』は、
川上さんの本の書き方と、
もしかしたら真逆のものなんじゃないかと思います。
つまり、構想をものすごく綿密に立てて書かれた
本のような気がするんです。
川上 不思議なことをわっと真ん中に据えて、
それからどういうふうに話を展開するか、
という感じですね。
糸井 非常に教養のある人の
小説なんだろうなということを
ちょっと見せびらかしている風なところも、
わざとですが、あります。
さらに嫌味なのが、
作者がドイツ人で舞台がフランスなんです。
そうとうなインテリゲンチャが
書いている小説だと思うんですけれども、
引き込まれましたね。
川上 私は『香水』をはじめて読んだのが
10年以上前なんです。
まだ小説を書きはじめる前でした。
すごくおもしろいなと思って読んで、
しばらく周りの人に「おもしろい、おもしろい」と
すすめたにもかかわらず、
今回改めて読んでわかったのですが、
内容を全く忘れていたんです。
ただ、おもしろいということだけは
覚えていました。
今回読んだらまたすごくおもしろくて、
本というのは、そういうこともあって、
いいですね(笑)。
糸井 すごいね(笑)、そういうことがあるんですね。
『香水』は嗅覚のお話なんですけど、
僕は、この小説を読んだことを
とても印象深く覚えています。

例えばひとつの世界像を描くときに、
小説を書く人だったら、
言葉というもので
世界を組み立てているわけです。
それは視覚でもなければ聴覚でもない。
川上 そうですね。
しかも、言葉で組み立てるというのは、
建築物をつくるみたいに、柱をつくって、
壁をつくってというわけじゃないんです。
壁の一部分だけが急にパッとあって、
そこだけを書くことによって
周りを想像させるというようなことをします。
壁をつくるのか窓をつくるのか、
柱だけをつくるのかも、
その人に任されています。
糸井 そうですね。つい僕らは、
見たものしか信じないようなところがあるけど、
世界が組み立てられる方法というのは、
無限なんじゃないかと思うんです。

例えば素粒子とか、
原子を研究している人が想像できる世界を思うと、
新しい世界の組み立て方は、
部材をちょっと変えたら
いくらでもできるんだという気がする。
そういう分野でも、
真剣に世界像を組み立てた物語を読むと、
ぜんぜん違う脳みそが動き出すと思うんです。
川上 そうなんです。
私は理科系出身なのに、
理科がちょっと苦手で、
特に物理が苦手なんです。
それはどうしてかというと、
文章の問題があるんじゃないかなと思うんです。

例えば、超ひも理論ですが、
そう聞けば「超ひも理論か、そうか」と
思うんですけれども、
その全貌がわからないんです。
全貌がわかっている人なんて
きっと誰もいないけど、
全貌を教えてくれなくていいから、
壁の一部を見せるようにして、
それについて書いてくれる人がいないかなって
ものすごく思うんです。

超ひも理論について理解している人は、
例えば、世界に十何人しかいないとか
いうことがあったとします。
この『香水』だってそうで、
この嗅覚の世界のことは、
この作者しかわかっていない。
それをどうにか人に伝えるために言葉を使って、
つくってしまった。
そういうことをいろいろな分野でできたら、
人間の知識や考えることが
ものすごく広がるんじゃないかなと思います。
糸井 仮に、無口だけど
踊りの上手な人がいたとする。
あるいは、しゃべると空っぽなんだけど
どうしておまえはそんなに歌い込めるんだ?
というような、歌のうまいやつとかがいます。
そういう表現について、
うまく理解ができないのだとしたら、
僕らはとても頭でっかちな、
勉強をさせられてきている証拠なんです。
そういうことについて、
ある意味皮肉なことですが、
「言語」で構成された、本というもので
僕らは気づかされていくんです。
川上 つまり、絶対正しいということはめざしてなくて、
でも、何かそういうものの一部でも切り取って、
そして伝えたいんだよということです。
糸井 そうなんです。
超ひも理論というのが、
もしも人間の形をしていたとしたら、
そいつのことを全部わかるわけにはいかないけど、
抱いてみていい、ということ。
川上 そう。触ってみていい。
ざらざらだったよ、というような、
そういうことを伝えていく。
糸井 息がくさかったとか、何でもいいんですよ。
そういうヤツだよ、と言えば、
超ひも理論が、
みんなの中に踊りにいけるんじゃないでしょうか。
そういう流れでいうと、
中沢新一さんのやっている仕事というのは、
そこにあてはまるんです。
川上 最近のものが特にそうですね。
昔のは私は例によって
読んでもわからなくて(笑)。
糸井 そういう書き方なんですね。
中央大学で学生を相手にした講義のシリーズが、
『カイエ・ソバージュ』で、
それが5冊出ています。
僕がおすすめ本として挙げた『対称性人類学』
そのうちの5冊目、完結の本です。
川上 今回、糸井さんの挙げてくださった本は、
特にわかりやすい形で、
これから私たちが
どうしていったらいいかということを
ものすごく考えているものばかりです。
糸井 自分がそんなことばかり考えているんでしょうね。
きっと、川上さんが
とまったり進んだりして
小説を書いているときの時間と、
僕があるチームを率いて、
前に進もうとしていることとが、
表現としては、おなじことなんです。
僕は、経営は表現だと思いはじめたんです。

僕はきっと小説を書くということに
向いてなかったんです。
得意とか不得意とかではなくて、
つらすぎたんです。
僕は書くのがつらかった。
いまもそれはどんどん進行していって、
文章を書くこと自体、
全部つらくなっています(笑)。
川上 文章を書くことって、
ちょっと前に戻ってそのときのことを確認する、
という特徴があります。
それを面倒くさいと感じることは私もあります。
いいことだけ確認できないから、
嫌なことも全部含めて、
それから当事者だった自分だけじゃなくて、
周りにいた人になり切って、
いじわるな目でそのことを見たりとか、
全部をしないとたぶん文章は書けないので、
その嫌さがあるのかもしれない。
糸井 川上さんの、冒頭の文の朗読を聞いていて、
僕はどうしてそんなに
丁寧に文章を書くんだろうって、
あきれてしまいました。
だって、あのときには、
今日、こういうお話をしますという、
記号をしゃべったっていいわけです。
「さて、今日は運動会ですが」
という話と同じですから。
それをしっかりと手触りのある文章として
書こうとする心意気を感じましたよ。
川上 心意気って、ものすごくいい言葉ですね。
糸井 うん。心意気のあるもの。
やっぱり誰かが、
一生懸命何か書いたものって、すごいです。
川上 やっぱり「本はおもしろい」に尽きちゃうかな。
糸井 うん。おもしろかったです。
ありがとうございました。
川上 どうもありがとうございました。

今日で、この連載は、おわりです。
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ご愛読ありがとうございました!


2006-01-27-FRI
写真提供:活字文化推進会議
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