第1回 その文のことを、 どのくらいわかる?

川上 糸井さんは、たくさんの方と
対談をなさっていますが、
そのかたの本を読んで「会ってみたい」と
お思いになることが多いのですか?
糸井 本で人を知ることは、多いです。
でも、それについて、少し
思っていることがあります。

取材や対談をするときには、
相手のことをよく知らないと
会う資格がないというふうに
言われることがあるでしょう。
でも、その人のことをぜんぶ
本で知ろうとするのは、無理なことです。

それに、本に書いて発表したことを
相手が全部知っているということが
出会いの偶然性を邪魔するような気がするんです。
「僕はここまで知っている、
 知らないことを教えてください」
というふうになっちゃうと、
だれもが知りたいところへは
たどり着かないと思うんです。
川上 吉本隆明さんと糸井さんの『悪人正機』は、
そういう意味で、すごくおもしろかった本です。
たしかに、糸井さんが吉本隆明さんの
全部を知ってからお話をうかがうとしたら、
ああいう質問はできないような気がします。
糸井 できないです。
とてもじゃないですけど、
吉本隆明さんが書いたものを
僕がわかって
おつき合いしているとは思えないので。
川上 そんなこともないと思いますけれども。
糸井 いやいや、だって、
吉本さんの文章って、
ほんとにわからないように書いてあるんです。
どうして文章を書く人って、
あんなにわからないように書くんだろう(笑)。
川上 私も若いころ、吉本隆明さんの本を読んで、
さっぱりわからなかったんです。
なのに、この『悪人正機』は、
理解ができたんですよ。
「吉本さんって、
 こんなことを喋る人だったんだ!」
と思いました。
糸井 わからないように書く理由が
きっとあるんだと思うんですけどね。
川上 私は、なるべくわかるように
書くタチなんですが、
そうすると、小説が「わかりすぎる」と
叱られちゃったりするんです(笑)。
糸井 川上さんの作品は、
わかるように書いてあるんだけど、
わかったかどうかかが
じわじわと不安になってくる性質があります。
川上 自分でも、呆然としながら、
「何を書いているんだろう?」と思って
書いているから。
糸井 最初に、川上さんが読んでくださった
ほんの数分の文章でも、
わかったつもりになっていますが、
実はわからないんです。
数式を説明しているわけじゃないから
それは全く構わないと思うんですが、
川上さんは、
わかるようなことを書いているふりをして、
読んでいるほうも気持ちよく
わかったような気になっている。
なのに、どんどん読者を路地の奥に
連れていってしまう人なんです。
川上 小説には、そういう一面がありますね。
今回、私がおすすめ本として挙げたものは、
そういう意味で、みんな
わからない小説ばかりかもしれない。
一方で、糸井さんの挙げてくださった本には、
わかるものがたくさんある。
私は、糸井さんのおすすめ本の中から
『安心社会から信頼社会へ』
まず最初に読みはじめました。
この本は、不明なところがなくて
何て気持ちがいいんだろう、と思いました。
数式を読むような気持ちのよさがあります。
糸井 川上さんは、作家になる前、
学校の先生でいらっしゃったんですよね?
川上 理科の教師をやっていました。
糸井 理科だから、きっと、
「わかる」ことについてのお話を
生徒に向かってしていた、
ということですね?
川上 そうです、ものすごく
「わかる」話でした。
糸井 それが、いまでは、
わかるように書いてあるのに
ほんとうにわかったかが不安になる、
人を路地奥へと誘う、
そんな文章を書かれることがある。
川上 そういうことなんですねえ。ふしぎ。

(つづきます)

2006-01-16-MON
写真提供:活字文化推進会議
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