男女が同居するということ。
川上弘美さんと「いっしょ」を語る。
先日、川上弘美さんと、対談ダブルヘッダーという、
合計3時間を超える、ずいぶん珍しいことをしました。
「ほぼ日」に掲載する、『MOTHER』についての雑談と、
「文藝」(河出書房)に掲載する、文学についての会話。

そのどちらにも掲載しきれなかった部分が、
なんだかおもしろかったので、短期連載で、まず、ご紹介!
『MOTHER』対談を待ちながら、たのしんでみてください。

結婚生活は極楽なの? うなずくだけの関係が心地よい?
「男女がいっしょに住むこと」についてのよもやま話です。


第1回 結婚生活は極楽か?

糸井 生活が完成しちゃうと、表現って、
できなくなるんじゃないかという話がありますよね。
川上 でも、完成した生活って、あるのかなぁ……?

つまり、
「何が完成した生活か?」
というのには、いろいろな社会的な刷りこみとか、
地方ルールとかが、ありますよね。

人類の文明みたいなものがはじまってから
まだ数千年でしょう。

数千年て、短いですよね(笑)。
だから、まだ短いから、
誰だって完成してないと思うの。
糸井 たとえば、自分のことを考えると、
ずっと、奥さんが家にいて、
ぼくがある程度、定期的に家に帰って、
ということをちゃんと繰りかえしていたら、
それって「好き過ぎる」ような気がするんです。

つまり、
「ほんとはそうしたいんだけど、
 それが、できないんだよねぇ」
と思っているから、
仕事とか、楽しくできるような気がしてまして。

「長いこと、相手といない時間もあって」
とかいうのは、
ほんとにありがたいバランスで、あるんですよ。

ふつうに結婚してて、
毎日、会社員の家庭みたいに暮らしていたら、
それはもう、極楽だから……。
川上 うん。
結婚したい!と思うのは、
そういうことをしていきたいからですもんね。
糸井 そうだよね。
おたがい、極楽にしようと努力しますから。
川上 うん。

ふつうの会社に勤めるような能力がある人、
朝起きて会社へ行って帰って来る、
それって実は、
すごい大変なことだと思うんですけど、
そういうことができる人ならば、
うまくいかせようと思ったら、
結婚生活は、ある程度うまくいくと思うんですよ。
たのしく生活するやりかたって、あるから。

それは小説を書く時に、
おもしろいことを見つけようという感じに
似たものがありますよね。

「ちょっとひねってやろう」とか、
「受けてやろう」とか、
そういうのを探すのと、まったく同じことで。

糸井 これは仮説なんだけど、
「会う時間が少ない」という部分を、
ベッタリ一緒にいる夫婦は、
仲が悪い時間として消化しているんじゃないか。
今、フッと、思いつきなんですけど……。
川上 ものすごく長く一緒にいれば、
そうかもしれない。
糸井 一般の夫婦が、
テレビの番組なんかで、
「ウチはこうなんですけど、どうしましょう?」
なんていう時に、
ほどよく仲悪くいるじゃないですか。

その仲の悪さで止めて、
自分というのをかき立てているというか、
「わたしはわたし」
という時間をつくっているんだなぁと。
川上 そうなんですね。
糸井 眠っている時間だけが、
「わたしはわたし」というのでは、
ちょっとかわいそう過ぎますから。
川上 うん。
糸井 川上さんが書くものの中で、
女の人は特にそうなんだけれども、
「何も考えていないように書けている時」
というのは天国で、人は、そんなに
ストレスを感じていない時もあるよ、という。

女の人が、
ストレスを感じていない時に、
ストレスを感じまくっている男の人に、
話しかけられたり……。

女の人の側は天国にいますから、
そういう時には、
「あ、聞いてなかった」というか、
「ただ、わたしはものを食べていた」
とかいうことになって、
天国と人間界が、交流するんですよ。

川上 男の人たちって、いつもいつも
ストレスを感じているんだ?(笑)
糸井 男の人が感じてない時というのは、
あんまり思い浮かばないです。
川上 そうなんですか。
糸井 何かと比べることで、
ものの像が見えてきますよね。

つまり、
影を描いたおかげで
コップが見えてくるというか、
男って、そんな風に
ものを見ているような気がするんです。


だから、おいしいものを食べた時、
「うまいね」と言った瞬間に、
「うまい」だけでは
黙っていられない自分というのを、
男の人たちは、みんな、
どこかで、持っているように思うんですよ。

「あの時のあれよりうまい」とか、
「これはこの間よりうまい」とか、
すぐにさがそうとするんですよ、比較を。
川上 場所を決めたいというか、
自分の地図の中に置きたいというか……。
糸井 うん。

それって、男の、
「これから先、
 俺は地図のない道を歩いていく」
という責任感なんだと思うんですけど。
川上 それが反対に、
男性の万能感につながるんですね。
おもしろい。
糸井 「どこでも行ける私」
みたいな、水陸両用みたいな……。
そういうかなしさ、なんですけどね。

(つづく)


第2回 ただ、うなずくだけ。

糸井 ただ、幸せなことに、ぼくも、
かみさんと飯を食っている時には、
「分析せずにいられない男」の部分がないんです。
川上 それって、いいですね(笑)。
糸井 ぼくがかみさんを
いちばん愛している瞬間はそれなんですけど、
他の時間はともかく、うちの夫婦が
「純食事」と名づけている時間がありまして。

たとえば、メシを食いにいく、
あるいは家で食っているって時に、
無言でメシを食っている時があるんです。

その時って、
「うまいね」の話しかしてないんですね。
川上 その時は、
「どういうふうにうまいか」
という説明は、要らないんですね。

糸井 うん。ないんです。
だから、ぼくも、女になってるんです。
つまりその時の俺は、「かみさんのともだち」で。
川上 「あのレストランのあれよりもおいしい」とか、
「あれと似ている」とか、そういうのはないですか?
糸井 なんにも、ないんです。
川上 どうしてそうなるんだろう?
糸井 同化しているんだと思います。
川上 それは、
「ふたりで食事をしている時は、
 分析をしてはいけない」
という禁忌があるから、というのではなく?
比べてはいけないんだ、
という人間的礼儀正しさからではなく?
糸井 ない。
川上 純粋に、ただ、「おいしい」って?
糸井 ぼくが、前から、
川上さんと何か話が通じるかもしれないなぁ、
と思っていた予感はそのへんにあって、
「そうそう」
と、ただ言っている瞬間って、ありませんか?
川上 (笑)ありますね。

糸井 食事は、その「そうそう」の時なんです。
川上 あぁ、なるほど。
糸井 たとえば、
カウンターの寿司屋だったとします。
そこで、男は、奥さんと話している時は
まったくの純食事なんですね。

だけど、なじみの板前さんというか、
お店のダンナが、こっちを向いて、
「おいしいかな?」
という顔をした時に、急に男に戻るんです。

そこで、ダンナに話しかける時の
「おいしいですね」は、もう言葉が違う。
その言葉は、社会です。
川上 (笑)それは、たしかに社会ですね。
糸井 ダンナと男の間柄になれば、
客なりのサービスを、思いっきりして、
ダンナに、何かをしてあげたい、お礼を言いたい。
何を聞いてほしいのかもわかるので、たとえば、
「甘味という意味では、
 このあいだのほうがあったんだけど、
 この脂身のなさが、ぼくは却って好きですね」

みたいな話になって。
川上 (笑)それは、たいへんですね。
糸井 いや、それは楽しいんです。
つまり、ゲームですから。
川上 うん、うん。
糸井 ダンナのほうも、
そのゲームでの将棋を打っていて、
「あそこに打っておいた桂馬は、
 わかってくださいますよねぇ?」
という会話ですから。

そうなると、男の子どうしになって。

「前の時のあれはどこどこで何とかだ」
「あの時に比べたら、ちょっとかな」
「それはそうですよ」
「あれはうますぎるもの」
「あんなのはいけない、うますぎる」
「今の時期の、
 すこし痩せていると思えるマグロは、
 夏が来はじめた時としては最高のものだ、
 と、今のこの出会いを大切にしたい」

そういう会話が続くわけです。
川上 (笑)

糸井 かみさんは、
「この人はまた、こういうことを言って」
その時は、こういう反応でして。

「まぁ、それはそれで、
 こういう人がいるということ自体を、
 わたしはキライではないと思うので、
 認めなくもないし、
 これ以上になるとイヤだなとは思うものの、
 まぁ、いいか」
という風に、座っているんですね。
川上 そこで、そういう風にいること自体が、
すでにその世界ですね。

奥様はただ、
「ん?」と言っているだけなのに。
糸井 そうです。
だけれども、なぜぼくを好きか、
という部分についての感じがわかるし、
なぜぼくを嫌いかもわかるので……。
川上 それは、なぜなんですか?
糸井 いわく
言いがたいものなんですけれどもね。
川上 今の話と、つながってます?
糸井 つながってますね。
つまり、楽しそうに小理屈を言ったり、
世界を何とか広げて多くしようとしているという、
そういうぼくを、好きなんです。
だから、
「わたしのこともそうしてくれる」
なんですよ。おそらく。
川上 そうですね。

糸井 それは、
「わたしはいまのままの大きさでいい」
と思って、ゴキゲンでいる時に、それをすると、
「いいの、行きたくないんだから」と
思うので、ぼくを嫌いなんですよ。
川上 なるほど。

(つづく)


第3回
いっしょで、よかった。

川上 糸井さんの奥様が
世界を広げたいと思っている時と
そうではない時の見分けって、
ものすごく微妙で、むずかしくないですか?
糸井 それは、「機嫌」なんですね。
川上 「機嫌」ですよねぇ……。おもしろい!
糸井 それは表現する必要もないことで、
生活の中で、逸脱しては
「しまった!」
と思い、見事に通過した時には
「やった!」
と思い……これを繰りかえすわけで。
川上 ふだんなら逸脱になることでも、
ある時、ヒョッとうまくいっちゃったりすると、
「しめた!」というか、
「またこの道を極めるんだ」と思いませんか?
それでまた失敗しちゃったりしてね。

糸井 しますねぇ。
そのリトマス試験紙になるのが、
「つまらないギャグ」なんです。
川上 (笑)
糸井 つまらないギャグというのは、
「世界を広げること」ではあるんです。
それがピタッとはまった時には、
彼女の世界が、ひとつ増えたわけですから、
「それ、おもしろい」と言うんです。

「ああ、よかった」と思って
「次にまた」と思って……。

どのくらいでしょうね。
60回に1回ぐらい当たるんですよ。
川上 (笑)
糸井 エネルギーの量はぼくのほうが多いですから、
60回、出すことは、やぶさかでないので。
川上 ギャグを出すこと自体に、
腹を立てられたりしません?
糸井 腹を立ててますけど、
まったくそういうことのない人について
「あの人はつまらない」
と言うのを聞いたことがある。
川上 そうか。そこは、むずかしいですね。
糸井 むずかしいです。
ぼくは当たった時に、
「ほんとにおれと結婚してよかったろう」
と、よけいなことを言うんです。
どうも、弘兼憲史さんもそうらしいんですよ。

川上 (笑)
糸井 柴門(ふみ)さんと話していて
それがわかったんだけど、柴門さんも、
そういうダンナのことを
人に説明している時は、おもしろそうなんです。

だから、
「そうじゃないと退屈なんだけど、
 微妙にうるさいし、
 わたしはわたしのフィルターを持って
 生きているわけだから……。
 まぁ、世界をちょっと
 広げてくれた瞬間というのは
 あったほうがいいものだけど」と。

川上さんは女性なんだけど、
それを、もしかしてしてるのかなぁ。
川上 そこは
ダンナ的な部分と受け手の部分、
混じってますよ。
ただ、日常の中では
受け手の部分がほとんどです。

ものを書く時になると、
どうしても基本に「受けたい」があるので……。
糸井 してますよね。
川上 60回ギャグ、つい自分でしちゃいます(笑)。
それは、柴門さんとかでもしてるじゃないですか、
仕事の時にはもちろん。
糸井 してますよね。
柴門さんも、その旦那を選ぶというのは……。
川上 同じなんじゃないかな、きっと。
糸井 映画の『マトリックス』の中で、のけぞって、
弾をいっぱいよけるシーンがあるじゃないですか。
「あれがおまえだ」と言ったことがあって。
川上 奥さんなんですね、よけてる人は。
糸井 そう。
おれはつまらないことをバンバン撃つ。
おまえはそれが好きなんだ、と。
川上 大変だなぁ(笑)。
糸井 それはぼくの、
アメリカ人が「愛してるよ」と言って
チュッとやるののかわりの、口説きなんです。
川上 (笑)
糸井 表現する場所もないし、
今こうやってしゃべれたので、
初めて言っていることですけれども、
そう思いながら生きてるわけですよ。
川上 すごい。
糸井 でも、川上さんの書いていることは、
そんなことばっかりに思えますよ?
川上 そうでもない、
そんなに弾はくり出せない(笑)。
糸井 ぼくが読んでる限りでは。
川上 たぶんそれは、
弾が飛んでくると感じてくださるのも
ひとつの感受性だから。

そういう風に
全然感じない人と糸井さんが結婚しちゃったら、
ものすごくまた、大変ですよね、違う意味で。

糸井 同じおもしろいものを
共有したいというのって、
誰かを好きだという時の、
いちばん大きな前提ですね。
川上 そうですね。
最近よく目にする説で、
恋愛をしている時に大事なのは、
うれしいことを共有することではなくて、
何が嫌かということを共有する……
あれ、反対だっけ?
ちょっと、あやふやな話ですね。
糸井 それ、どっちかで、言ってることが、
ガラッと変わっちゃいますね。
両方言えちゃうから、
記憶が曖昧になったんだろうなぁ。
川上 そうですね。
どっちもそうかな、と思っちゃったんですね。
糸井 コンサートに行って、
「帰ろうか」と言うタイミングが
いっしょだったりすると、嬉しいですよね。

川上 それ、ありますね。
わたし、それ、すごく記憶があるな。
即出て来ちゃったことがあって、
すごいうれしかった。
糸井 うれしいですよね。
川上 それで仲良くなっちゃったりしてね。
糸井 「おれは二度我慢したんだけど、
 もうだめなんだけど、出ようか」
あるいは
「どうだろう?」と話しかけておいて、
「ねぇ」って。
「ねぇ」の時にはまだ立たない。
「弱ったね」と言って、
「ねぇ」と言って、まだ立たない。
かえってこれは、うれしいですよね。
川上 うれしいですね。ものすごくうれしいです。
糸井 3回ぐらい確認してから、いっしょに出る。
ぼくは我慢して出ないであげるタイプなんです。
作った人に悪いから。
川上 そうですよね。
糸井 かみさんはバンバン帰れる人なんです。
ほんとに羨ましいくらいなんですけど。

(つづく)


第4回
やりたいことってわからない。

糸井 やりたいことって、
まわりからいくら、
「わかる、わかる」と言われても、
本当には、わかれないところがあります。

本人にも、
「わたしは、それをやる必要があるし、
 それしか、できませんし」
というやり方。

自分が作ったものでも、
「通じなくてもいいかもしれない」
というギリギリのところで、子どもの自分の
置き土産みたいなイメージって、ありますよ。
ぼくの場合、それのひとつの典型が、
「速度だけあって、弾丸のないもの」なんです。
川上 形がないということですか?
糸井 弾が飛んでピューンといった時に、
弾さえもないんだけど
走ったということがあるというイメージがあって、
それはどう説明してもうまくいかないんですけど、
主体がないんだけど「こと」があるというか。

自分なりに、
「うまくいったな」と思うものって、
それに似たものができた時に
よろこんでいるような気がするんですよ。
川上 そうか、そうか。
それは速さだけじゃなくて、
いろいろなことに関してですか?

糸井 そのイメージが
自分の中ではシンボルになっているような……。
だから、チェシャ猫が好きなんですよね。
笑いがあって、猫がいない。
川上 でも最初は、「ある」んですね。猫は。
糸井 ネコはネコで、
それはこっち置いといて、
とした状態の、取り出した時間というか……。

こんなこと、ひとに言ったことないんですけどね。
川上 おもしろいですね、それ。
糸井 ひとの作ったものを
「いいな」と思う時って、無に近い、
「いいものがある」としか表現できない。
でも、「いいものがある」ことは証明できない。
でも、かといってそれを
集合無意識とか言われても困るし……。
川上 なるほどね。そうですね。
糸井 たとえば、小説を
直接読んでいる時の
ぼくの心の中のイメージとかというのは、
それに似てるんですよ。
川上 そこはでも、もしかすると、
わざとはっきりと形をとらせないためには
いくつかのテクニックはあるのかもしれなくて、
たぶん言葉を使う方々は
よくご存じだと思うんですけど、
「最小のものを出してくる」
ということなのかなぁ。
それだけでもないんだけど。
むずかしいなぁ。
糸井 むずかしいですね。
川上 書いてる時も、
何をしようとしているか、
自分ではよくわかっていないという部分があるから。
糸井 「言いにくいんだけれども、
 こんなようなことがいつも書きたいんですよね」
みたいなことというのは、おありになるんですか?
川上 そこが、よくわからないんです。
でも、あるんでしょうね。
あるんですけど、
そこは言葉にしちゃうと
書かないでよくなっちゃうから。

糸井さんは、ありますか?

糸井 ぼくも、いまの答えと同じ。
自分から質問したくせに質問しにくかったのは、
自分もそうだからなんですけど。
川上 言葉にしちゃうということは、
何か区切りをつけちゃうことで、
定義をつくっちゃうことだから、
それはきっと、したくないんですね。
でも、何かあるんだろうな。
ぼんやりしたイメージは。
糸井 むりやりにできちゃう
オモチャみたいなものというのが、
ぼくの場合は、作りたいのかもしれない。

たとえば半分ふざけてつくっているような
歌詞とかがありまして、
矢野顕子の歌なんですけど、
歌詞の中に四季をすべて入れちゃって、
「こんなイナカがありました」
と説明をつける場所があるんですよ。

ありっこないんだけど、
言葉としては書けちゃうとか、
そういうことに、ものすごく興味がありますね。
川上 そこは不思議ですね。
糸井 川上さんが書いているものにも、
矛盾とか何とかじゃなくて、
「書けちゃうから、ありよ」
というのが、あると思いますよ。
川上 そうか。あるな。

糸井 何かを作る時って、みんな、
すごく少ない人数の人のことを
追いかけすぎて、失敗するんですよ。

ここは、ぼくは零細企業経営者として、
勉強してきたところでもあるんですけど
「この分野のこういう人を掴むには、
 その方針ではいけない」
とかいって、大仕掛けな変更をしたりするけど、
みんな、ムダなんです。

それよりは、思いっきり
自分のやりたいことをやったほうがいい。
川上 ほんとにそうですね。
糸井 これは、経験で身につけた知恵です。
文芸誌も、きっとそうなんですよ。
編集者が
「ここはもうちょっとこうしたほうが……」
というのは、だいたいしないほうがいい(笑)。
だって、たどれっこないんだもん、小説なんて。

演劇とか見ている時はたどれますけど、
時間の流れがぜんぜん違うものを、
あの分量でイメージを
ずっと追いかけさせるというのは
ぜったい無理なのに、
「この人が出て、ここでこのセリフは唐突ですから」
と言っても、作者以外は、たどれていないものね。
川上 (笑)

(つづく)


第5回
男のやさしさって、なんだ?

糸井 今、ついでのように思い出したんだけど、
「ほぼ日」で話すと、
女の子たちにものすごくうける雑談があるんです。

「かぐや姫の『神田川』の主人公の女の子は、
 なぜ『あなたのやさしさがこわかった』のか?」
っていうやつなんですけど……。
川上 あれ、わたしには、
ものすごく、不可解な歌詞なんです。
あれに関しては、いろいろ考えたんですよ。

糸井 やっぱり考えたことある?
ぼくもあるんです。
川上 ものすごい考えた。
あそこの歌詞でつまずいて……。
曲全体はわりと好きだもんですから。
曲調は、センチメンタルだし。
糸井 川上さんは、
女側をいぶかしんでるんですか?
川上 そうなんです。
糸井 ぼくは、男側を見たんです。
ちょっと、説明しはじめると、
一見下品になるので気をつけてくださいね。
川上 気をつけます(笑)。

糸井 男の子たちはバカだから、
ゲームとしての性というのを考えざるを得ない。
つまり、技術の性というのを
考えざるを得ない時期があるんですね。

「ああすりゃいいんだ、こうしてやれ」
みたいなことって、
みんな、ちょいとおぼえたての時は、
「おれはうまい」とか、思いがちなんですよ。

「もっとうまくなりたい」とか考える。
それを止めてくれる人は、いないんですね。
川上 そうですね。
糸井 実際は、
「そんなことしてても、しょうがないや」
と思って飽きて止めるまで、
技術の追求が続いてしまうんです。

ただ、
性の技術の追求と、
「添い遂げる」ということは、
矛盾するんですね。


ある女性を好きになって、
この人をどうやって喜ばせようかということを、
花束であり、プレゼントであり、
様々なやさしさであり、性的技巧であり、と、
どんなにてんこ盛りしてても、
てんこ盛りにすればするほど、
「この人は私を他者として扱っているから、
 添い遂げないんだ」という……。
川上 それがこわいんだ。
糸井 こわいんです。
川上 ああ、そうか。
糸井 ああやってやさしくしているということは、
この人は私からいずれ離れていく、
籍が入っていない、ということで……。
川上 なるほど、やさしいのはこわいんだ。

糸井 そうなんです。
川上 そうか。
その解釈はしたことがなかったな。
糸井 ぼくも歳とってからわかったんですけど。
つまり、お恥ずかしい時代に、
いい気になって自分は過不足なく
おつきあいしている、
という時に嫌われるとわかるんです。
「この男はいいかげんだ」
「恋人にはいいけれども結婚するにはだめ」
と言われているやつって、
自分では絶対わからないはずなんです。
川上 わからないんですね。
糸井 もっと不器用でいいから、極端に言えば、
「私をほっといてもいいから一緒にいろ」
という短刀をつきつけられると、
『神田川』がわかるんですよ。
川上 そうか。そういうものだったのか。
あの「やさしさ」は。
糸井 あの女の子は「私を嫁にもらってくれ」と。
あの時代ですからね、まだ。
両方田舎から来ているわけで。親は農家です。
川上 私はあの曲の「やさしさ」というのは、
彼女は彼の武骨な行動を間違って
やさしさと解釈したんじゃないか、

と思ってたんです。
それで女の子が変だよと思ったんですけど……。

糸井 そこは、男の側から男の欠点が見えるんです。
頼りないんですよ、やさしい男なんて。
川上 頼りないですね。
糸井 何か隠しごとがあるんです。
過剰にやさしく感じられるというのは。
川上 そういう意味ですか。

でも、あの歌のころ、
男の子たちは、
おもてだって女の子に
やさしくできたのかな?

行動でやさしさを示すという文化は、
バブル直前ぐらいから
はじまったんじゃないか、
とわたしは思うんですけど、
そうでもないんですか。
糸井 男からすると……。
川上 やさしくしてた?

糸井 「やさしい」という言葉と
「気をつかう」という言葉は、
本当は別物なんですけど、
男たちは、そうとうわからないから、
ドキドキしてたんです。

あの時代でも、男は、
こうしたらいいかな、
ああしたらいいかなというのを、
一生懸命、下手なりに精一杯やってたよ。

みんな、男は弱いんですよ。
いっぱい考えられない。
川上 そうか!
やさしさを大げさに男の子たちが
出さなくても、あの時代は、
女の子たちも、抑えたやさしさを
感じとることができたんですね。


で、男の子たちは、
いっぱい考えようとはしてたんでしょう?
実際にはできなくても。

糸井 ぼくは遡って考えて、
いまは平気で言ってますけど、
自分でもいっぱいは何か考えられない。

でも女の人は、
「その都度のことで考える」
ということが得意なので、
実はいっぱいになっちゃう。
川上 うん。
その都度、いっぱいですね。
糸井 それって、おもしろいよなぁ。

(おわり)