主婦と科学。
家庭科学総合研究所(カソウケン)ほぼ日出張所

研究レポート77
愛と科学に生きた「シャトレ夫人」の話。



ほぼにちわ、カソウケンの研究員Aです。

女性科学者の第一人者、と聞いて
真っ先に思いつくのはキュリー夫人でしょうか?
研究員Aもそんなひとり。
小さい頃はそれこそ彼女の伝記を読んで
キュリー夫人に憧れたものです。

でも、日本では有名ではないものの
キュリー夫人よりも150年も前に
「女性科学者の先駆け」のような人がいました。

彼女の名はエミリ・デュ・シャトレ侯爵夫人。
彼女の生きた18世紀のフランスは
貴婦人が女主人をつとめるサロン文化華やかな頃。

でも、女性たちは科学を「観客」として楽しむことは
もてはやされたものの
「役者」として活躍する道は閉ざされたまま。
科学を楽しむことはできても
科学者にはなれなかったのです。
シャトレ夫人はそんな時代に
科学史に足跡を残した希有な女性。

そんな希有な人だけに、彼女の一生もまた
ドラマチックで魅力的なものでした。
そこで、今回の「主婦と科学」は
そんなシャトレ夫人を取り上げてみたいと思います。

ヴォルテールの愛人だったシャトレ夫人。

シャトレ夫人は無名でも
ヴォルテールはご存じの方が多いかも?
18世紀のフランスを代表する哲学者で
啓蒙主義の立役者。
「18世紀はヴォルテールの世紀」
なんて言われた時代の寵児。
ヒットを飛ばす劇作家でもあり、
反政府的な言動でしょっちゅう逃亡生活を強いられる
懲りないお騒がせな人でもありました。
シャトレ夫人はこのヴォルテールの愛人だったのです。

「侯爵夫人」に「愛人」が?
‥‥そうなんです、この時代の上流社会の女性は
既婚でも自由恋愛はあたりまえ。
むしろ、結婚してはじめて
社交界での一人前の女として振る舞うことができ
恋愛の自由を手に入れるくらいだったのです。

さて、このシャトレ夫人とヴォルテールですが
フランスきっての女科学者に
大スターである哲学者というすごい組み合わせ!
二人はともにある辺境の豪勢な館に住んで
学究に励む生活を送っていました。
男は詩作に耽り、女は数学や物理相手に格闘する日々。
こんな二人に興味を持つ人も多く、
この館には多数の知識人が訪れました。

とはいえ、こんな学者同士が恋人同士であると
‥‥まあ、大変な話だったようです。
二人とも、激情家だったようで
衝突すると、とんでもないことに!

そんな客人が絶えない環境でも派手なケンカをする二人。
しかも、ケンカが激しくなってくると
客人にわからないように、英語でやりあったんですって。

すごいですね‥‥頭の良い人たちのすることは。
しかも、仲直りの甘い会話も母国語のフランス語ではなく
英語でするというのですから!
うーん、近くにいたら、はた迷惑な感じの二人??

ニュートンの著作を、
ラテン語からフランス語に翻訳。

えっと、このままだとゴシップ話に終始しそうなので
話をちょっと科学らしい方向に戻しましょう。
シャトレ夫人が科学史に残した
足跡のひとつに数えられるのは
ニュートンの『プリンキピア』の完訳でしょう。

ニュートンが自らの業績、特に力学を体系的にまとめた
『自然哲学の数学的原理』、通称『プリンキピア』
という大著がありますが、
それを注釈付きでフランス語訳したのです。

「ただの翻訳がそんなたいそうなことなのか?」
と思われるかもしれませんが
たいそうなことなんです、ほんと。

この『プリンキピア』、書かれたのがラテン語であり
微分積分の知識がないと
読みこなせないものだったので
「発行した当時、この本を正しく理解した人間は
 世界に10人いたかいないか」
なーんて言われてたとか。
‥‥っていうかニュートンもわざわざ
ラテン語なんかで書くなよ、って話ですが。

今は微分積分は高校で教えてもらう範囲の数学ですが
当時はそれこそごく少数の限られた人にしか
理解できないシロモノでした。
そんな難解な大著を、自分自身の注釈を入れつつ完訳した
シャトレ夫人はなかなかのものだったのです。
なんといっても、彼女以降
この『プリンキピア』をフランス語訳した人は
現代に至るまで皆無なのですから。

愛人であるヴォルテールも
「難しい数学一切抜き」でニュートン科学を紹介した
『ニュートン哲学要綱』という本を出しています。
その彼はシャトレ夫人のことを
「私はニュートンの哲学を、私の目から見れば、
 ニュートンよりも賞賛すべき
 エミリーの監督のもとに研究しております」
と大絶賛しているのです。
とはいえ、彼は詩人ですし、恋人ですからね。
多少割り引いて聞いておくことにしましょうか。

そして、なによりもこれを
「あの時代に、女性が成し遂げた」ってところが
評価に値することなのです。
今でこそ、理系分野を勉強したいと願えば
(基本的に)誰にでも門戸は開かれていますが
18世紀のフランス女性はそうではありません。
例え貴族や大ブルジョア出身だとしても
女性が科学どころかまともな教育を受けることは
できなかったこの時代。
女子の教育といえば
「貴婦人としてのふるまいを身につけること」
ですからね。
「科学的知識」を身につけるためには
いくつかの条件が揃うという極めて奇跡的な状況、
ロイヤル・ストレート・フラッシュのような
カードを揃えて持つ必要がありました。

本人の才能も大事だけど、生まれがモノをいう‥‥と。

・実家が財力に恵まれていて、父親が教育熱心だった
・結婚後も自由な立場
・結婚後に、高いレベルの自然科学や語学などに触れる
 恵まれた環境を得た

シャトレ夫人は理解のある父親のもとで育ち
ラテン語や科学の基礎を身につけた。
そして、結婚後の知的環境は
フランス随一の文化人、ヴォルテールを恋人にしたことで、
得ることができた‥‥と言えそうです。

イギリスに滞在したこともあり
イギリスの文化に詳しいヴォルテール。
彼を通じてニュートンを知り、彼の手ほどきのもと
英語を身につけることができた。

それに、なんと言っても、ヴォルテールを恋人にすると
もれなく彼の友人である一流の知識人たちもついてくる!

さらなる愛の遍歴を重ねた夫人は‥‥。

シャトレ夫人は、自分に数学的な素養が
身についていないこと嘆いていたのですが
ヴォルテールに、新進気鋭の数学者・
モーペルテュイを紹介してもらいます。

そして、そして! シャトレ夫人はこのモーペルテュイを
数学の「家庭教師」兼「恋人」にしたのであります。
ヴォルテールがありながら、人目もはばからず
この数学者につきまとうという
ご執心振りだったというのですから。

でもでも、恋愛もそうですが、
学問への情熱もただならない
シャトレ夫人のことです。
彼女がその数学者に夢中になったのも
その学問への情熱とごっちゃになっていたから
‥‥と言えるかもしれません。
だって、シャトレ夫人にとっては
数学をマスターできる唯一無二とも言える
機会なのですから。

それに、モーペルテュイを恋人にすれば
彼の友人である一流の科学者たちも
もれなくついてくる!
とはいえ、シャトレ夫人自身は
計算高さとは対極にある
直情径行型の女性だったようですが。

こんな環境で学問に没頭(?)したおかげで
ニュートンの『プリンキピア』の完訳という偉業を
成し遂げることができたわけです。

そんなシャトレ夫人、42歳の時に妊娠します。
えーと、これがですね‥‥。
ヴォルテールの子でもなく
例の数学者モーペルテュイの子でもなく
ましてや夫である
シャトレ侯爵の子でもないわけでして‥‥。
この時期に夢中になった
若い詩人の恋人の子どもを宿したわけです。
いやいや、恐れ入りいます。

でもそれよりも恐れ入るのが、そんな時期に
『プリンキピア』の翻訳・注釈をする作業を
仕上げたことでしょう。
この妊娠で、彼女も死期を悟ったのか、
妊娠8ヶ月の時期に
「24時間のうち18時間はこの作業をしています」
と手紙に書き残しています。
「24時間のうち18時間は寝て過ごしたい」
なんて勢いだった妊娠中の研究員Aと比較してみても
尋常じゃないことがよくわかります。
(研究員Aも逆の意味で尋常じゃない)
結局、彼女はこの出産で
その43年の生涯を終えることになるのです。
『プリンキピア』の仏訳の出版は、彼女の死後となりました。

「女性であるがために
 科学の世界に思うように受け入れられなかった」
という想いを持つ彼女自身はきっと
「女性だから○○」と言われるのは嫌うでしょう。
でも、このすさまじいパワーは
「女性ならでは」というような気もします。

生まれながらにして「ラッキーなカード」を
持ち合わせていたのは確かですが
並はずれたバイタリティーで
数々の逆境を乗り越えたシャトレ夫人。
研究員Aにはとても魅力的に映るのです。

今 回 の レ ポ ー ト の ま と め

シャトレ侯爵夫人さま──

あなたの切り開いた
女性科学者の道は大きなものです。
先輩、ありがとうございます。
後輩達も、みな、
がんばっております!(科学に。)

うんと後輩の
カソウケン所長夫人より。




参考文献
  エミリー・デュ・シャトレとマリー・ラヴワジエ
 川島慶子著 東京大学出版会
火の女 シャトレ侯爵夫人
 辻由美著 新評論
ヨーロッパのサロン
 ヴェレーナ・フォン・デア ハイデン‐リンシュ著
 法政大学出版局


2006-07-14
-FRI


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