ほぼ日刊イトイ新聞 すてきなふだん字。 葛西薫さんと「字」のことを話しました。

001)形ばっかり見てきました。
糸井 葛西さん、きょうは、文字の話を
聞かせていただきたくて、来ました。
で、ね、その前に、
葛西さんの展覧会を見て、
そのことのヒントがつかめた気がしたんです。
「フィギュア」に対するものすごい興味が、
葛西さんにはあると思ったんです。


葛西 「フィギュア」って
日本語にするとなんなんでしょうね。
糸井 「形」でしょうか。
葛西 形か、そうか、そうか。
形ですね。
形象、図象、図形。
糸井 そう。
ぼくらが見ている「形」のなかで、
見逃しちゃってるものがあるでしょう。
同じストライクでも、
ボールひとつ右に内角に寄っている、
みたいなことを、葛西さんは
ぼくらと同じ暮らしをしながら、
ちゃんと、見てんだな、と。
ぼくは、今日は改めて
喜びとともに感じたのは、
葛西さんが見てるものの分量が
自分よりずっと多いんだ、
ということのうれしさでした。
葛西さんはフィギュアコンシャスに生きてて、
ちょっとした形の違いみたいなものに
いいな、悪いな、どうすればいいんだろう、
みたいなことを、
きっとぼくら以上に見てるんだろうなって。
葛西 でも、それは、糸井さんなりに、
ぼくと違うものを見てるでしょうから、
みんな等価だと思うんです。

糸井 葛西さんは、形に非常に強く関心がありながら、
同時に意味にも興味があるっていうのが、
おもしろいなと思うんです。
たとえば、カエルの絵を描くとき、
描きながら見つけていくというようなことを
おっしゃっていましたよね。
葛西 ええ。いかにも、な言い方をすると、
手で考えて、後で頭が追いついてきて、
体が覚えるわけです。
そうすると絵になっていく。
ただ、カエルの仕組みってわかんないですから、
「カエルって跳ぶから
 ひざの辺りはこうなってるかな」って、
一応カエルの写真を見ながら描いていって、
あ、こういう腰をしてたんだ!
とわかった瞬間から、
また変わりますよね。
そんなふうにしてね、おもしろがっています。


映画「風花」エンディングロールで使用された
葛西さん描くカエルのイラスト。
[アイデア2005年9月号(成文堂新光社)より]

糸井 例えば、カエルでも
「いい形になったら
 カエルじゃなくてもいいや」と
思っちゃうタイプの人もいると思うんだけど、
葛西さんの場合は、そこで、もう1回、
「カエルっていうのは?」
という意味と往復するでしょう。
葛西 ええ。
糸井 ここがまた独自だなぁ。
葛西 よく「機能美」という言い方をしますよね。
形だけじゃなくて、
理由のある形というのは
きれいだなと思っています。
そういうこととも関係するかもしれないですね。
アートとしてよければいい、という感覚は、
あんまりなくて、ちゃんと部品として
ちゃんと性能は持ってるかとか、
性能のいい部品はいい形してるな、と
思ったりするんですよ。
糸井 それは職人性みたいなものですよね。
葛西 ええ。
糸井 文字に興味のあるということも、
それで説明ができそうですね。
文字の形ってきれいだなと思うのと同時に、
そのきれいだなという形の背後に
意味が込められてる。
葛西 そうですよね。
糸井 小さなスケッチですよね。
文字というのは。
形を大好きな人が、意味と、
ものすごい勢いで往復運動させている。
葛西さんは、いつも、
そう感じてるだろうなと思うと、
ちょっとしびれるんです。

葛西 例えば、テーブルだと、
普通、面を見ちゃいますよね。
ぼくはやっぱり、エッジのこの角の
R(アール:曲面)には、
どのくらい角が立ってるか、
立ってないかみたいなとこで、
つい、触ってしまったりね。
こういうところばっかり
見るクセがあるかもしれないですね。
糸井 デザイナーとか
アーティストじゃないときにも、
そういう要素というのは、ありますか。
葛西 ありましたね。
糸井 どういうときですか。
葛西 急に、いま思い出したけど、
お葬式で、正座をして並びますよね。
子どもの頃、お葬式に出て、
目の前に足を組んでる人がいて、
親指を足の裏で重ねていますよね。
しびれるからときどき入れかえますよね。
‥‥親指が揃ってないで、ずれてると、
直してあげたくなったりしました。
悲しい日なのに。
糸井 はっはっは。
葛西 それ、だれでもあると思うんですよ。
親に怒られてるうちに
畳の目が気になってきて
涙を流して畳が濡れてるんだけど、
そのうち、怒られてることを忘れて
畳のラインを見ててしまったりとか。
何か目的があるのに、
いつのまにか頭の中が捻じ曲がって
違う目的に興味持っちゃうというか、
そういう感じはありますね。
糸井 やっぱり、興味が、
形にいってますね。
葛西 そうですね。
糸井 しびれの話だと、たぶん、ぼくは
自分のしびれが気になるんですよ。
で、親指を入れかえてもダメだというときに、
どこまで崩すべきか、
人はどうしてるか、
自分はこの場合、
どういうふうにしたら一番ラクか、
それから、悲しみの中にいる自分って
どういうものか、
全部、世界観を書き出すんですね。
きっと。
そのシチュエーションの
構造が知りたくなるんです。
で、自分が逃げ出すなり、馴れ合うなりを
構造として知ろうとしますね。
‥‥葛西さんとは、違いますね。
葛西 ぼくはただ見た目ですね。
見た目からはじまって
その理由にたどり着くというか。
‥‥じゃないかなぁ、きっと。

2007-12-14-FRI

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