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ひどい目日誌。
授業料を払ってこきつかわれる
わたしたちの記録。

もう一度「素」になって考えた。
担当:内山



こんにちは。
ひどい目隊の内山です。
鼠穴に来るようになって、
不思議なことをいくつか経験しました。
今回は、そのご報告です。

そのひとつが、
きのうのことがよく思い出せない、という現象です。
きのう書いた文章。
きのうの食事。
きのうの会話。
たった10数時間前のことなのに、
それを思い出そうとすると、
まるで4〜5日前の出来事のように
すべての輪郭がぼやけてしまっているのです。

鼠穴での仕事も今日で14日目です。
しかし、ぼくの中では時間がゆっくり流れたままなので、
この14日間がまるで1ヵ月以上も前のことのように
感じるのです。
これは、初めての経験でした。

もうひとつは、聴覚や視覚の変化です。
先々週の日曜日、
ぼくの住む街で「さくら祭り」がありました。
地元の商店街が中心になって運営される、
年に一度のささやかなイベントです。

おでんや焼き鳥や綿菓子などの出店が
軒をつらねるその一角に特設ステージがあって、
アマチュアバンドが「サザエさんの歌」を
演奏していました。
この街は、サザエさんととても縁が深いので、
サザエさんの歌は、
地元のテーマソングのようなものなのです。

その歌を聞いて、
ぼくは不覚にも泣き出しそうになりました。
もともと、ぼくはそれほど涙もろくはありません。
感受性が人よりも豊かだとも思ってはいません。
ある意味で、がさつな人間です。
それなのに「サザエさんの歌」でぐっときた。

視覚の変化は、満開の桜を見て感じたことです。
桜を見てきれいだな、
と感じたことはこれまでにも何度かはありました。
しかし、お花見には一度も行ったことがありませんし、
花の名前などせいぜい知ってても10か20。
ある親しい人には、花を見て美しいと感じないあなたは
つまらない人間だと非難されたこともあります。
そんなぼくが桜を偶然見かけただけで、
なんだかとてもとても愛おしいものに思えたのです。

その後、この聴覚や視覚の変化は
もとに戻ってしまいましたが、
自分の中でなにかがほんの少しだけ「ずれた」
という感覚は今でも残っています。

3つめは、文章が上手くなったこと。
ぼくは、文章を書くことで生活をしてきました。
その経験も今年で15年になります。
それまでのぼくの文章が、
上手かったのか下手だったなのかは別として、
とりあえず15年の経験です。
たった、10日やそこらで
文章が急に上手くなったりすることは
普通は考えられないことなのです。

鼠穴では、糸井さんに原稿をみていただくことはあっても、
訂正らしい訂正はありませんでしたし、
文章作法なるものを教えていただいたこともありません。
それなのに、文章が確実に上手になっているのです。

この日誌をお読みになって、
ぜんぜん上手くないと感じられる方もたくさん
いらっしゃるとは思います。
しかし、ぼくは文章のテクニックやスキルが上達したと
言いたいのではありません。
文章を書くための
骨格や体質みたいなものが変わったという感じなのです。

その証拠に、
この日誌にもきれいなだけの言葉や
くちあたりだけがいい言葉や
気の効いたリフレインや
倒置や比喩のようなものは、
あまり使っていないはずです。

何人かの宇宙飛行士が、地球に帰還後、
おもに精神的な領域で、劇的な変化を経験したという
話を聞いたことがあります。
「ほぼ日」が宇宙を旅する宇宙船で、
ぼくがその体験乗り組み員の一人ならば、
この変化も特別なことではないのかもしれません。

2000-04-26-WED

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