続・会社はこれからどうなるのか?
岩井克人×糸井重里対談篇

第1回  人間らしさの源は「媒介」

※おとといに本郷でおこなわれた対談を、
 さっそくおとどけです。
 ふたりとも、冒頭から気合いが入ってますよ!

糸井 昔も、岩井さんのご本は、
見栄を張って、読んでいたんです。
「だけど、ほんとのことを言うと、
 そのころは、わかっていなかったなぁ」
ということが、最近、わかりました(笑)。

以前の本も、思えば、
難しい文体で書いてあるわけじゃなくて
濃いエッセイにも読めるので、
ついおもしろがって読んでいたんですけど、
本に込められている動機みたいなものが、
当時の自分には、見えてなかったと思うんです。

「動機が見えるかどうか」が、
何かを読む時の大事な部分だと、
ぼくは思っているんですが、今回の本って、
岩井さんの動機が、くっきりしているおかげで、
「こんなにおもしろいんだ!」と感じたんです。

そこで・・・岩井さんに、最初にまず、
経済について研究するということの
モチベーションが、どういうところから発生して、
やってるうちにどうなってきているのか、
みたいなことを、お聞きしておきたいんですけど。
岩井 やっぱり、わたしにとっては、
「世の中を知りたい」
という気持ちが強いんだと思います。

経済学というのは
非常に役立たずなところがありますが、
「われわれの生きてる社会というのは、
 こんなにおもしろい成り立ちをしているのだ」
ということを、調べているというか……。

ふつう日常でなにげなく触れている
貨幣、会社、資本主義、そういったものは、
実は、よく見てみると、非常に思いがけない、
形而上学的な驚きに満ちた存在でして……。
糸井 なるほどなぁ。
「小説はおもしろいぞ!」っていうのと
同じような言い方で「ワクワクするぞ」と。
岩井 ええ、そうなんです。
糸井 学問をやり続けている間は、
ずーっと、おもしろかったですか?
岩井 そうですね、
最初はもうすこし違う種類の
おもしろさだったのかもしれません。

このあいだの「ほぼ日」でも
少ししゃべりましたが、わたしはアメリカに
偶然のようにして留学して、最初は、まあ、
ほんとうに伝統的な経済学をやっていて、
その論理的な明晰さに惹かれていたりしていたんです。

それが途中で、
「ちょっとこれは違うぞ」という気になった。

そのあたりで、
ケインズだったりハイエクだったり
マルクスだったりという
経済学の古典を読み直しているうちに、
「経済って、本当におもしろい」
ということがわかってきたということです。
同時に、
「なんでふつうの経済学をやってる人は、
 こういうおもしろい見方をしないんだろう」
と思っていたのが、
「いや、面白い見方ができないから
 ふつうの経済学をやっていられるのだ」
ということもわかってきました。
糸井 要するに、
人間っていうわけのわからないものを、
「ここまでならわかる」と
どんどんおっかけていくおもしろさですよね。
岩井 ええ。
古典に触れる中で、
なぜ社会科学が存在するのかに、
思い至ったんです。

昔は私は人間環境決定論を信じていました。
いまではかなり遺伝決定論に傾いています。

だが、その上でもう一度
人間とは何かと考えてみると、人間は、
「言葉」と「法律」と「お金」を使うから
サルとちがうんです。
でも、言葉も法律もお金も遺伝には入っていない。

人間には、言葉をしゃべる能力はあります。
法律に従う能力も、貨幣を使う能力もある。
ところが、言葉そのものはどこにあると言うと、
生まれてくる時の遺伝の中には、
入っていないわけです。

では、言葉がどこにあるのかと言えば、
人間と人間のあいだにあるわけですよね。
言語は、自然に存在しているわけでもない。

誰かがどこかで作ったものであって、
使っている人間たちはどんどん死んでいくなかで、
人間から人間へと伝えられてきたものですよね。
法律もそうだし、貨幣もそういうものです。

言葉、法律、貨幣も、
人間と人間をつなぐ「媒介」です。
それがなければ、人間は人間ではない。
まさに人間のアイデンティティに関わるものが、
遺伝や物理的な存在ではない……。

こういう不思議なものが、世の中にいくつかある、
というおもしろさに、ある時、気がついたんです。

言葉や法律や貨幣を媒介にするから
ケンカをして強いかどうか、
おなじ顔の色をしているかどうか、
に関係なく
人間は人間と関係を結べることができます。
だが、その人間を人間らしくしているものは……
糸井 人が「編み出しちゃったもの」なわけで。
岩井 そうです。

そういった
「人間が作りだしちゃったもので、
 その媒介によってはじめて
 人間が人間になるような存在」

を扱うのが、
社会科学なんだとわかったんです。
糸井 それを、
「ある時、気がついた」
とおっしゃっているということは、逆に言うと、
気づかないでも経済の勉強はできるってことで。

でも、そのことって、気づくか気づかないかで
ずいぶん、道が変わってきますよねぇ。
岩井 そうですね。
ほんとに、道、変わります。
わたしも変わりました。
糸井 そのことは、いつ感じたんでしょうか。
岩井 少なくとも、アメリカに行った後です。
糸井 へぇ……おもしろいですよねぇ。

たとえばぼくも、同じようなことを、
言葉を商売にしてる中で感じたことがあります。

その発見ってすごく大きいから、
「わかった時から、
 ほとんどの何かがうそっぱちに見えてくる」
と言うか……。
岩井 ええ。わかります。
糸井 それを意識しないで
単に経済をやってるヤツを見ると、きっと、
ただ勉強する学生を見るように感じるというか、
「アホか!」
という怒りさえ、沸いてきたでしょうね。
岩井 はい。
ぼくは、そのことに気づく前も、
日本で文学を読んだり、理科系のものを読んだり、
いろいろやっていましたけど、
まぁ、その頃は、わかんなかったです。
糸井 いま、こうしてしゃべっていただくと、
「人間を人間らしくしているものは『媒介』」
という、ある意味では、カンタンなことでしょう。
そこだけを学校で勉強するだけでも、
その後の人生、ずいぶん違いますよねぇ……。
岩井 はい。
ですから、もちろん、
わたしは学生には伝えていますが……。

媒介というものに関しては、おそらく、
アリストテレスやシェイクスピアといった
偉大な哲学者や偉大な文学者、言葉の天才たちは、
確実に、そのことをわかっていたと思うんですね。

シェイクスピアは言葉の天才、
最大の天才でしょうけど、
貨幣について専門的に考えたことはなかったのに
言葉を操って書いたその『ヴェニスの商人』が、
まったくの貨幣についての本としても読めてしまう。

ですから、偉い人は、言語をやっていても、
実は法律や貨幣のおもしろさがわかる。

わかっていて書いたのか、
書いているうちにわかったのか、
どちらにしても、ああいう天才たちは、
ほんとうにすごいレベルで
人間と人間のあいだの媒介に関して
理解していたんだと思います。

言葉や法律や貨幣がなければ、
直接的な力や肉体的な接触で交流するしかない。
その場合は、関係って、
殴るか愛するか、いくつかに決まっていますけど、
言葉があるからこそ、ウソもつけるし、
ルールをずらしたりしながらおもしろがれる。

人間に文学があるのは、
「言葉ってウソをつけるから」ですよね。
現実にないものを、指し示すことができるから。

言葉が、信号のように、
ひとつの意味を示すだけのものなら、
ほんとうに単純な社会になっているわけでして。

ですから、
人間の社会をおもしろくしているのは
ウソもつける「媒介」があることで……。

「人間である」ということは、
そういう存在であらざるをえないと思うんです。

法律や貨幣も、
言語のように「ウソをつく」というか、
そういうものであるからこそ、
「その上に成り立っている
 人間社会の動きを予測するのが不可能」
になってしまうのです。
  (つづきます!)



『会社はこれからどうなるのか』
(岩井克人/平凡社)

2003-05-23-FRI


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