ITOI
糸井重里の脱線WEB革命

第21回
<またまたまた臨時です>

他に間借りできるページがないので、
自分で連載している「脱線web革命」に、またまた居候。

◆思いの氾濫。横尾忠則の快美王国。

ラフォーレ原宿で横尾忠則さんの展覧会があった。
そのことを知ってはいたが、
行くか行かないかはっきり決めもせずに
ぐずぐずしていたのだが、
バリで受け取った読者からのメールに、
「すごいですよ」みたいなことが書いてあって、
そうかそれは見逃してはいけなそうな気がするぞと、
家も近いしちょうど時間もできたので
お昼過ぎに一人で出かけていった。
なんか、まだ少し文章書いていても落ち着きがないや。

ぼくは、横尾忠則という人には特別の思いを持っている。
それは、尊敬というのともちがうんだろうし、
憧れという感じでもないんだけれど、
とにかくこの人がいなかったら、
絶対にいまの自分はいなかったと思える人なのである。
たぶん、ビートルズとかジョン・レノンの次くらいに、
そういう存在なのだ。
いや、おなじ日本人であることを考え合わせると、
横尾さんのほうが濃いかもしれない。

横尾さんにはもう5年以上もお会いしていないが、
知らない人というわけではない。
しかし、しばらくぶりにお会いするのに、
「やぁ、どーもーっ」とか言いにくい距離がある。
顔を合わせていない時間が長くなると、
なんだか知ってる度が薄くなってるような気がしてしまう。
これも、一種のファン心理みたいなものかもしれない。
たぶん、少し、あがっているのだと思う。

横尾忠則という人の作品にはじめて触れたのは、
忘れもしないお茶の水にあった中央大学の学生会館だった。
大学1年生の18歳のぼくは、
翌朝からのデモに参加する学生たちといっしょに、
この、よその学校の建物で宿泊をしていた。
真夜中によその学校にいるという経験ははじめてだったし、
貸し布団ならべて講堂みたいな場所で
雑魚寝するということもはじめてで、
なかなか眠りにつけなかった。

ポケットの小銭をたしかめて、
学生会館の入り口付近にある自動販売機で、
なにか飲み物を買おうと、
ぼくは、眠っている先輩たちのカラダを踏まないように、
気を付けながら大きな寝室をぬけだした。

キリンレモンを買ったんだったかなぁ。
それはよく憶えていないんだけれど、
その自販機のあるあたりの壁面に、
いろんなポスターが貼ってあったのだ。
そのうちの1枚に、ぼくは捕まってしまった。
唐十郎さんの主宰する状況劇場のポスターだった。
『腰巻きお仙』だった。
あざやかで、いやらしく、あやしく、
見るものの気持ちを、反則技でわしづかみにするような、
とんでもないデザインだと思った。
いや、18歳のぼくが、そんなにいろんなことを
考えたはずもない。
「いやーな感じがするんだけれど、
いつまでも見ていたいような、
はやくその場から立ち去りたいような」
そのくらいの気持ちでいたのだと思うが、
とにかくそのポスターをじいっと見つめて、
しばらく動けなくなっていた。
こんな経験も、もちろん生まれてはじめてだった。
「このポスターを、どんな人がつくったのかは知らないが、
こんなふうに自分が金縛りにあったことは、
きっと忘れないだろうな」と、それははっきり思った。
無論、この作者が、横尾忠則だったわけだ。

その後やがて、あの時のあのポスターの作者が
横尾忠則であることを知り、
中央大学ではじめて感じた、あのいやーな感じこそが、
ぼくの求めていたものかもしれないと思えてきて、
ぼくは、イラストレーターになろうかとさえ考えた。
もちろん、そのあたりの時代から、
横尾忠則という人は、文系芸系の若い人たちの
スーパースターになっていった。

それから、7〜8年経った頃だったか、
知り合いの年上の人が、
ぼくが横尾さんのことを特別に思っているのを知って、
横尾さんに会うチャンスを
つくってあげようかとか言ってくれた。
その頃、ぼくは横尾さんの本は全部読んでいたし、
シルク版画のポスターも無理して買ったり、
講演会などに出かけたりしていたのだ。

ぼくは、素直にうれしいとも思ったのだが、
「いま会えたとしても、ファンとして、
サインしてもらうことくらいしかできないし、
遠慮しておきます」と、生意気にもお断りした。
なんだか、奈良の大仏の前で記念写真を撮るような、
そういう出会いじゃ、
相手の横尾忠則という人にもわるいし、
ぼくが、ぼくであることを
横尾さんのほうも知っている状態で会えなければ、
なんにもならないと思っていたのだ。
もちろん、そんな機会は一生訪れないかもしれないが、
それはそれでいいや、と考えていた。
ぼくだって、ミーハー気分はあるのだけれど、
近くのジャンルの職業についてしまった以上は、
仕事で会えなければだめなんじゃないかと、
若僧なりにマナーのようなものを意識していた。

だから、横尾さんに会ったのは、
30歳を過ぎてからだった。
何度かご自宅に呼んでいただいたり、
食事に誘っていただいたりして、
特別な人である横尾忠則という人と、
目の前にいるヨコオさんとが、うまい具合に分離して、
ふつうに冗談を言ったりもできるようになっていたが、
しばらくヨコオさんに会わないでいると、
またぼくのなかで「横尾忠則」に戻ってしまうようだ。

そんなふうに特別な人物であっても、
男ってヤツは、自分なりの生き方のカタチができてくると、
いつまでも「追っかけ」ではいられなくなる。
特に、ビートルズのように、
短い期間だけ華やかに活動した人たちなら、
全部のレコードを持ってるよ、なんてことも言いやすいが、
活躍期間の長い横尾さんのようなスターについては、
だんだんと著作の買いもらしや、
展覧会の行きそびれがでてくる。
ま、そうでなきゃ気持ち悪いと、ぼくは思うんですがね。

そこで、今回のラフォーレ原宿の展覧会ですよ!
ちょっと緊張気味に、
「なんだか行く必要があるんだ」という不思議な気分で、
出かけていったわけです。

そして、圧倒されたわけです。
「なんだこれは?!」
岡本太郎さんが、芸術とは「なんだこれは?!」なりと、
教えてくれたことがありましたが、そのっ通りっ!
ぼくの知っているヨコオさんは、
いつでもめんどくさそうにしていたり、
つまんないツッコミを入れていたり、
「すなおにねじれた天才肌」の人という印象だったのだが、
その普段着のほうのヨコオさんの気配が、
まったくないのだ。
誤解をおそれずに言えば、
ここの会場にいる横尾忠則は、
「愚直なまでに熱心に、表現を呼吸している」のだ。
呼気が、吸気が、嵐のようである。
ちょっと白髪三千丈入っちゃいましたけどね。
表現のエナジーが、瀑布のように轟々と、
音をたてて会場を洪水にしているんですよ。
ホントだってば。

量というものを、強く意識しないと、
この圧倒的な力感は表現できなかったはずだ。
だからなのだろう、
新しい著作を、8冊同時に刊行するとか、
展覧会の会期中に、本人が、かなりの枚数の新作を、
その場で仕上げていくというような、
ケレンともとられそうな「異常な熱意」を、
斜に構えるわけでもなく演出している。

おいおい、横尾忠則は本気だぜ。
若い観覧者たちに、そのメッセージは確実に伝わった。
ぼくは、若い人ではないけれど、
オールドファンとしてではなく、新しい客として、
この展覧会に度肝を抜かれた。

ひとことで言おう。
「思いの質量が、けた外れなのだ」

横尾忠則にしか考えつかないこと、
横尾忠則にしか描けないこと、
横尾忠則にしかやれないことが、
この会場のなかだけで、億千万も溢れている。

いくつかの作品で、
昔の名もない人たちの顔写真を切り抜いて、
キャンバスにコラージュしているが、
そのひとりびとりの「思い」の数まで、吸い込んで、
横尾忠則のコトバとして、
あらためてこの会場に吹き付けているように思えるのだ。

おじいちゃんにも、こどもにもわかるように言えば、
「にんげん、<こんなにいっぱい思えない>でしょ。
でも、このヨコオさんって人は、
まだ、このまた何百倍も思えるんだよ」

こんなにいっぱい思いを生み出せるということが、
人間の持っている力なのかもしれない。
似たような考えを持ち寄っては、
「誰もがそう思うであろう」ひな形探しのための会議を、
毎日繰り返している「ビジネスマン」には、
こんなふうに「思う力」は、もう残されていないだろう。

ふたつとないものを探すのではなく、
全員が欲しがるなにかを探そうとする時代は、
人間の「思う力」を奪い取り、
役に立ちそうもない無数の「思い」を
絶滅に追い込んでいるのではないだろうか。

横尾忠則が、なりふり構わずのていで、
真正面から存在証明の叫びをあげているようだった。
数々の絶滅種的な「思い」をすべて集合させて、
ほんとうはこっちのほうが強いんだと、
見せつけようとした騒乱の宴を、
司祭としての横尾忠則がとりしきっている風景。
(しかも、会場では、ライブで、司祭は次々に
不可思議で奇妙な思いを召還し続けているのだ)

この場に立ち会わない手はない。

ぼくは、はじめて横尾作品に触れたときの、
自分が脅かされそうないやな感じを、
30年以上たったいま、再び味わうことになった。

そんな気持ちになったら、若い頃にもどったように、
出口近くのショップでいろんなものを買いたくなって、
こんなものを買い込んでしまいました。
ファンじゃないとか言いながら、
やっぱし、いわゆる単純なファンだったのかもしれません。

1月17日までだから、ぜひ、行ってみてください。
ぼくは横尾さんのいない時に行ってしまったけれど、
かなりの確率でご本人がいて、
作品をつくっているらしいです。

帰りのアンケート用紙に、
「ほぼ日」で、イトイが強くすすめていたので来た。
と記入すると、ぼくがよろこびます。
あらためて会いに行くのは恥ずかしいんで、
これから行く読者にお使いを頼むってかんじです。

1999-01-11-MON

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