ITOI
糸井重里の脱線WEB革命

第13回
釣りをすることと、コンピュータ。

どれくらいの人が知っているのかわからないが、
ぼくは、2年間ほど、釣りに夢中になっていた。
詳しいことは、その間に少しずつ書いていったものを、
単行本にまとめてあるので、そっちを読んでくれればいい。
「誤釣生活」というタイトルで、
ネスコ・文藝春秋から出ている。
ちなみに、「誤釣」は、ゴチョウと読む。
ゴキンとか、ゴツリと発音すると、
ひらがな検索ででてこない。

釣りをはじめた理由については、
ここでは軽くふれるにとどめる。
小さい時分から、
年をとったら釣りを趣味にしようと思っていた。
ぼくは、釣りが好きなのだと、
しないときからわかっていたのだ。
やっぱり、案の定だった。
というくらいでいいだろう。

釣りに縁のない人は、
この遊びをずいぶん簡単に考えている。
竿を持って、水をながめてじいいっと待っているだけの、
静かな老人趣味だと思っている人が多いようだ。
「いいですねぇ、釣りかぁ。
たまには、じっと静かに釣り糸を見つめながら、
哲学的なことを考えるような時間も、
現代人には必要ですよねぇ」
こう言って、ほめてくれたつもりなのだ。
世間のガツガツした動きと、適度な距離をとって、
人間にとってほんとうに大切なことを、
忘れないようにする。
そういう、深みのある時間を味わっているイトイさんを、
認めてくれているという発言なのだ。

しかし、それは、もう、ぜーんぜん見当違いなのだ。
ぼく自身も、
そんなふうに考えていたような気もするのだが、
180度、ちがう。
逆なのだ、釣りってものは。

たしかに、世間のガツガツした動きとは無縁である。
なぜならば、釣りをしている人間は、
釣りをしている間、
世間にいるとき以上にガツガツしているので、
世間のガツガツなんか、すっかり忘れているのです。
その意味では、釣りは「超俗的」な趣味である。
頭をかなづちでなぐられた人が、
どこかを蚊に刺されたからといって、
かゆいかゆいと騒がないでしょう?
だからといって、
その人は「かゆみ」を超越しているわけじゃない。

釣りというものは、忙しいし、ガツガツしているし、
体力はつかうし、戦略策略はめぐらせるし、
社会の「モーレツ」な
ビジネスマンがおとなしく思えるほどの、
「ワーカホリック(働き中毒)」的な
遊びだったのである。

ピンとこないだろうから、かつてのぼくの
ある典型的な「釣りの1日」を、なぞってみようか。

日常の本職の仕事は、さぼらないということにしないと、
釣りじゃ稼げないのだから、前日も夜まで働く、と。

仕事の時間のすきまを見つけて、
釣り雑誌や、地図を調べて、
その日の釣り方、道具だてなどを考えておく。
クルマのガソリンも、前日に満タンにしておきたい。
足りない道具や、必要だと思われる道具があれば、
釣り具屋に行って買っておく。
ここまでが、夕方までにすること。

家に帰ったら、ラインの巻き換えをする。
ロッド(竿)は、
目的にあわせて2〜6本ほど持って行くから、
それに合わせたリール(糸巻き器とでもいうか)を選び、
その糸を全部チェックして巻き変えておくのだ。
せっかく魚を釣っても切れてしまったら、なにもならない。
釣り道具を持っていない素人のともだちを誘った場合や、
ムスメを連れていく場合は、そのぶんもセットする。

ロッドや、リールの選択は、実は
どんなルアーを使うかというところから
逆算して考えられている。
ルアーのセットを、組み合わせ、
つかいやすいようにパックする。
釣り方は、その日その場所で決めるのだが、
いろんな可能性があるので、どういう状況になっても
対応できるように、いろんなセットを詰め合わせておく。

比較的透明度の高い山上湖の、
春の、産卵前の、ボート釣りには、
こういうことが考えられるから、
こういうルアーを、こう使う・・・しかし、
もしかすると気候がこうだから、
こうなっているかもしれないので、
こういう準備をしておいて・・・。
なんて考えていくと、ルアーをセットアップする作業は、
3時間も4時間もかかってしまう。
夏以外だと、雨具や防寒の準備もしておかないといけない。

寝られるようになるのが、だいたい夜中の2時くらいだ。
朝方の釣りにいい時間を逃すわけにはいかないから、
「現地に5時ね」なんて集合時刻を決めてある。
深夜や早朝は道路が空いているとはいえ、
東京から行く釣り場は、近くでも1時間半はかかる。
つまり、3時半に家を出発するから、
起床は3時だ。
クルマの運転は中年のおじさんだからといって、
だれかが代わりにやってくれるわけではない。
コンビニでいなり寿司か、おかずパン、
おにぎりなんかを買って、
飲み物も用意して、ひたすら湖に向かって走る。

(もう、疲れた? 読んでるだけで?)

さぁ、これに、自分のボートを持っている人だと、
そいつの運搬と、水上への上げ下ろしが加わる。
これは、とんでもなくめんどうなものであるが、
この手間は、ま、省略しておこう。

これで、やっと釣りがはじまる。

日没まで、魚を探してボートを走らせ、
エレクトリックモーターを足でコントロールしながら、
立ちっぱなしで、ずうっと釣りをする。

釣りが終わったら、道具やボートを片付けて、
またクルマを運転して、渋滞の道を帰ってくる。

どうだろう?
どこが超俗で、どこが哲学で、どこが静けさだったろう。
ぼくは、もし、これが仕事で、
労働として賃金を受け取るものならば、
絶対にやりたくない。
「働き中毒の日本のビジネスマン」なんて、
甘いものだとさえ言えるだろう。

ぼくは、こんなに自分が働き者だとは思わなかった。
しかも、ぼくよりもずっと一所懸命に
この過酷な遊びを、
やっている先達たちが無数にいるのだ。
驚いた。
目的のあることなら、人間は、苦労を苦労と感じない。
早起きが苦手な怠け者だと思っていたぼくでさえ、
日が昇る前に集合しているではないか。

断っておくが、こうでない釣りもある。
こんなにがんばらなくても、釣りはたのしめる。
だが、一度は、このくらいのことを経験しないと、
遊びが遊びとしておもしろいと感じられる前に、
飽きてしまうのだと思う。

お気づきかもしれないが、いままで述べてきた釣りは、
ブラックバス・フィッシングというジャンルのものだ。
これは、アメリカの遊びだ。
アメリカの場合は、フィールドが広いので、
全速でボートを走らせている時間が、
ひどいときには往復で8時間とかになったりする。

アメリカ人ってやつは、
そのくらい「濃い遊び方」をしているのか、と、
バス釣りをはじめてすぐに、ぼくは思った。
日本人が働き者だなんて、
単なるイメージにすぎないのではないか?
こういう、釣りだけでもこれだけ
タフな遊び方をするやつらが、
「ほっんとに奴ら練習しないからね」なんて日本人に
言われているのは、ヘンだぞ。

ぼくは、自分のいままでの人生を、
意外とラクをしていたのではないかと疑いだした。
むろん、周囲の誰それよりも、
よく働いていたつもりだったんだけどね。

また、この項も、一度じゃ終われなかった。
続きは、また次回ということで。
じつは、もう、成田に行かなきゃならない時間が来たんだ。
じゃっ!

1998-10-06-TUE

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