石川くん。
枡野浩一による啄木の「マスノ短歌」化。

ふるさとの山に向ひて
言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな
 (石川啄木『一握の砂』より)


第15回 ありがたい石川くん


石川くん、前回の原稿、何かまずいこと書いたかな?
   *
「俺たちのこと
 そんなに面白がってると
 ぶん殴っちゃうゾ!」
「俺のふるさとのこと
 そんなふうに馬鹿にして
 ぶっとばすぞー」
っていう怒りのメールが続々と届いてて、
なんだか私、知らないうちに
みんなを敵にまわしちゃったみたい。
よく読むと文面がどれも同じような感じだし、
なぜか盛岡方面からのメールが多いんだけど、
こういう「不幸のメール」が流行ってるの?
あ。
もしかしたらこれって、
「おらほのごど
 そったに うおもしぇがって
 ふったつけるゾ」
の日本語訳?
そっかあ、
全然気がつかなかったよー。
もちろん嘘だけどね。はははは、冗談冗談!
メールをくださったみなさん、
ただただ感謝です!!
(訳:「感謝だけなら無料」)
   *
しかし、石川くんて、ほんとに立派だねえ。
こんな不思議な言葉をしゃべる地方に生まれたのに、
東京の言葉をあやつって短歌をつくれるんだもの。
今の言葉でいうと、
まさに「バイリンガル」だよ。
しかも昔の言葉(文語)まであやつるんだから、
三カ国語ペラペラって感じかな。かっこいー。
ま、ローマ字日記の綴りは、
けっこうまちがってるみたいだけどさ。
東京の言葉をおぼえるのに必死で、
そこまで気がまわらなかったんだよね、
わかるわかる。わかるよ、石川くん。
金田一くんが、のちに言語学者として大成したのも、
きっとふるさとの言葉と格闘してたせいなんだな、
わかるわかる。わかるよ、金田一くん。
だけど盛岡の言葉は、
わからないわからない。わからないよ、金田一くん。
それから石川くんの歌は、
かざらない言葉でつくられているところがすごいと、
昔から文学者にも高く評価されてきたわけだけど、
そのじつ東京の言葉をつかっている時点で、
かざったり気どったり、してるんじゃない?
またもや君への理解が揺らいでしまう私です。
わからないわからない。わからないよ、石川くん。
   *
意味のよくわからない言葉で脅されても、
ちっとも怖くないんだってことを、
私は今回のことで再発見しました。
外国語で叱られたりすると
「なんか怒ってるみたいだなー」
ってことは伝わってくるけど、
あんまりハートが傷ついたりはしないでしょ、
あれと同じですね。
関西の人は「おこめ」という字を見ると
一瞬どきっとするらしいけど、
関東の人である私はまったく平気、
あれと同じですね。
   *
「おこめ」で思いだしたけど石川くん、
伊藤佐喜雄『児童伝記シリーズ 38 石川啄木』(偕成社)
という本を読みましたよ!
知り合いの写真家、
八二一さんが送ってくれたのです。
字がおおきくて、ひらがながおおいから、
らくらく読めてたのしかった。
とくに心に残ったのは「おこめもらい」の章でした。
石川くんが渋民村で学校の先生をしていたころ、
いえに一つぶのおこめもなくなってしまったので、
たまたま自分んちにあそびにきた生徒を
つかいっぱしりにして、
よそんちのおこめをもらってこさせた……という話、
とっても心があったまりました。
石川先生の生徒でなくて、ほんとうによかったです。
ふるさとって、言葉を失うほど、ありがたいですね。
   *
ほかにも面白いところがたくさんある本なのだけど、
その話はいずれまた、
機会があったらということで。
じゃ、またあした。

枡野浩一

http://talk.to/mass-no

2000-06-23-SAT

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