イベント「活きる場所のつくりかた」より
友森玲子さんのおはなし
捨てられる動物のことを知ったから
第2回
目先の1頭ずつ、で続けました。

活動を始めて4、5年目に
東日本大震災が起きました。

私たちには
「たくさんの数は救えないけれども、
 とにかくいちばん悲惨な死に方だと思う
 行政施設の致死処分を受ける予定の動物を
 1頭でも多く受け入れる」
ということがポリシーとしてありました。
ですから、災害や、
多頭飼育崩壊といわれるようなもの、
倒産したブリーダーのレスキューなどには
手を出さないようにしていました。

でも、この震災は、被災地域が広いことが
3月11日のニュースを聞いていて、わかりました。
本来なら動物は、もといた場所の近くで
保護・収容すべきなんですが、
東北だけでは抱えきれないかもしれないと思いました。

3月11日の地震の日、私は
確定申告の書類作成の追い上げをしていました。
揺れて、帳簿をつけながら
「シェルターをつくらなきゃ」と思い立ち、
土地を探しました。
災害時にはプレハブや建材が不足するだろうから、
「安いプレハブはないかな」と思い、
インターネットで探しました。

そうこうしているうちに、
原発事故のニュースを知りました。
動物を家に置いたままで避難された方がいて、
いつ戻れるかわからないという話を聞きました。

その後、日がたってもなかなか
「動物が救護された」というニュースは入ってきません。
このままでは置いていかれたペットたちが
餓死してしまうな、と思い、
そのときにはいてもたってもいられない状態でした。
飼い主からはぐれてさまよっている犬は
普通には保護できない精神状態なので、
動物行動学のトレーナーをやっている仲間を呼んで、
一緒に行くことにしました。

ドッグフードやキャットフード、ラビットフードを
車に積んでいったんですが、
人間の救援物資が届いていない地域があるという
情報があったので、
人間の食料や水も、積んでいきました。

そして、具体的にどこに行くかを決めました。
「津波の被害が甚大で、
 原発の影響で人間の救援物資もあまり届いていない」
と言われていた南相馬市を目的地にしました。

そして、南相馬から入って、
原発の30キロ圏内の原町にも行きました。
犬の保護をして、
連れてこられない分は、給餌活動をしました。

そういう活動を毎週、
自分の仕事の休みごとにやっていました。
全部で150頭ぐらい
保護をしてきたんですが、
収容施設を持っていなかったので、
店のスペースだけでは当然足りません。
シェルターをどうしようと思っていたら、
たまたま何年か前にうちから犬をもらってくれた人が
「犬仲間が、千葉に1,500坪ぐらいの土地が
 余ってると言っている。使わないか」
と申し出てくれました。
「あ、いいですね」
みたいな感じで、会いにいきました(笑)。

その人に会いに行ったのは、
福島に行く前の、平日の午後だったと思います。
「これから準備して、夜に出るので、
 あまり時間がないんですけど」
と話をしたら
「保護施設もないのに、
 あなたはもう犬を保護しているのか」
と言われました。
「そうですけど」
と言ったら、ものすごく驚かれました(笑)。

「安いプレハブを見つけたので仮予約してるんですよ」
「プレハブ代はあるんですか」
「これから寄付金を集めようと思ってます。
 とりあえず自分の貯金で出せる分だけ出して、
 そのあとのことは考えます」
と言ったらものすごく怯えた顔をされました(会場笑)。

そして、
「もう君はいいから、福島に行きなさい」
と言ってくださいました。
「あとはもう、建物も建ててあげるから」
‥‥結局、土地だけを借りる約束だったのに、
シェルターも負担して、建ててくれました。
「水道光熱費は払えるのか」と訊かれて
「それぐらいは払えますよ~」と笑っていたら、
「もう、嫌な予感しかしない。
 それもうちの会社で払ってあげるから、
 君は犬だけ捕まえていなさい」
とおっしゃいました。

いま私は、愛護団体をやって7、8年目です。
「自分も保護活動をしたい」と
相談に見える方も多いです。
話を聞いていると、みなさんは
「まずちゃんとシェルターをつくり、
 そこでたくさんの動物たちを保護します」
とおっしゃるのですが、
私はこんなふうに、結果としてシェルターを得ただけで、
最初はなにかをつくろうとは考えず、
ただ「目先の1頭ずつが助かれば」という感じで
はじめました。

千葉のシェルターは1年ほど運営しました。
その間に、被災動物のもとの飼い主さんを探しました。
生存なさっていて
再び動物を飼える環境にある方には返還をして、
もう飼えなくなっていた場合や
飼い主さんがわからない動物に関しては、
新しい家族を探す方針にしました。

動物を返還するためにずっと保護しておく分には、
千葉県のシェルターは
すごくよかったんですが、
譲渡するとなると、
都内の希望者に気軽に見にいってもらうには
少し遠かったのです。
犬を運ぶと往復で犬が疲れてしまいます。

震災で保護数が150頭と増え、
たくさんの卒業生も支援してくれるようになりました。
震災前の活動は毎月10万ぐらいの赤字で
その分は自己負担していたのですが、
徐々に赤字にならなくなってきていました。
そして、都内でシェルターをつくれないか、
考えはじめました。
そして中野新橋に犬のシェルターを移設しました。

都内にシェルターを移設したら、
ボランティアさんが増えました。
そしてボランティアさんは寄付をしてくれるので、
1年間、無事にシェルターの家賃を
滞りなく払うことができました。
これはもうちょっといけるかもしれないと、
楽しくなってきました。

平成25年度の犬の返還・譲渡率が84.8%で、
猫は23.1%だったかな‥‥、と思うのですが、
つまり、ほとんどの猫は処分されている現状です。
本来はもっと猫を救わなくてはいけないので、
猫のシェルターをつくることにしました。
猫の場合、特に子猫は体が小さいので、
体調が悪くなると、転げ落ちるように具合が悪くなります。
夜間に無人になるシェルターに
子猫を入れるのは、ちょっと怖い。
「誰か住んでくれないかな」と冗談半分に
周りに言っていたら、お散歩ボランティアさんが
「結婚を機に引っ越すつもりだったので、
 住んでいいですか」
と申し出てきました。
「ほんとうに?」
「新婚で、いいの?」
‥‥だってほかのボランティアさんがみんな
鍵を持って猫のお世話をしに
勝手に入ってきちゃうから(笑)。
そんな感じで猫のシェルターが
オープンしました(会場笑)。

その頃にはもう、仕事よりも動物愛護活動のほうが
楽しくなってきていたので、
営業時間を短縮して、
店ももっと自宅のそばにして、
保護活動に時間を割けるように
事業を縮小しようと考えました。
その頃ちょうど糸井重里さんとお話しする機会があって
「犬を運んでシェルターに行ったり店に行ったり
 効率悪いんじゃない?」
という提案をいただいて、
病院・サロン・保護施設を1箇所にまとめることになり、
北参道に移りました。

北参道で、例えばシェルターに具合が悪い子が出たら、
エレベーターに乗っけるだけで病院に行けますし、
すごく便利になりました。
代々木駅から歩いて5分、北参道駅から歩いて1分ぐらい。
ボランティアさんも来やすくなって、
ボランティアの登録数があっというまに
400人を超えました。

譲渡会の来場者数も飛躍的に増えました。
譲渡会は月に2回やっているんですが
この前の譲渡会で、20数頭の申し込みが入りました。
最高記録です。
北参道のシェルターは狭いですが、
それだけの数をコンスタントに譲渡できると、
どんどん回転をして
新しい動物を受け入れて
致死処分数の減少に貢献できることになります。

東京都の、特に犬については、
致死処分数が非常に少なくて優秀です。
そのわずか約15%の、処分される犬というのは、
ほとんどが老犬です。
そして、病気の犬。
それから、攻撃性が出てしまったことで、
譲渡が難しくなってしまった犬です。

老犬に関しては、最初、私は
「処分されるのがかわいそうだから、
 しょうがないから連れてくるか」
と思って保護してきました。
だけど、見ていたら
老犬はめちゃくちゃかわいいのです。
まっすぐ立っているつもりで、
こっちを見てくるんですが、微妙に揺れている(笑)。
店の中を歩いていて、何もないのにカクンとつまずく。
それを見ていたら、気持ちが癒されました。
仕事でイライラしていても、
その子を見ることによって心がなごみます。

「たまたまそのときの老犬がかわいかったのかな?」
と思っていたら、
次々来る老犬が、それぞれおもしろくて、かわいらしい。
もしかして、このかわいさとかおもしろさを伝えていけば、
老犬ブームが来るんじゃないかな。
まずは都内から、じわっとブームを起こして、日本全国へ。
世界に老犬ブームが巻き起これば
犬を処分しなくてよくなるかもしれない。
これからの活動の目標としては、
老犬ブームを巻き起こしたいです。

ええと、そろそろ時間ですね。
これでお話を終わります。
ありがとうございます。

(第3回のトークにつづきます)

2015-05-08-FRI