糸井 細川家が裕福だったのは護立さんのときだけ──。
そういう背景があったんですか。
細川 はい。それはなんでかと言うと、
明治維新のときに廃藩置県になって、
どこのお大名さんも
国から手当が出たわけですね。
それでみんな国債を買ったり、
外国の土地を買ったり、
いろいろ投資をして結局みんな失敗して、
多くの大名家などは運用をしくじって、
みんななくなっちゃったわけですね。
細川家は祖父の周りについてた人も、
しっかりした人達が多かったんでしょうね、
そこのところを上手く切り抜けて。
ですから、祖父の頃だけは
本当にわりに裕福だったということです。
糸井 じゃ、あの時代以外は、
あのコレクションはあり得なかったんですか。
細川 そうですね。
糸井 ああ、そうですか‥‥。
細川 博物学の細川重賢なんていう人も、
その頃は藩財政も本当に窮乏して、
それこそ今のギリシアみたいに
つぶれるかどうかというところだったわけです。
その頃は全国的な飢饉もあったし、
大変だったわけですけども、
彼が名君と言われたのは、
本当に行財政改革を徹底してやりました。
肖像画が出ていましたが、
普通の大名みたいにちゃんとした装束を
着ていない珍しい肖像画なんですね。
ドテラを着て火鉢に当たってる姿ですから。

細川重賢像 竹原玄路筆 谷口鶏口賛
江戸時代 18世紀、東京永青文庫蔵

彼は破れた天井の下、
腐った畳の上で藩政改革というか、
ご政道に励んだ。
これはあまりにもひどいから
ちょっと畳替えでもしましょう、
雨漏り直しましょうと言われても、
「いや、とにかく民の暮らしが先だ」と、
行財政改革を進めて
宝暦の改革という当時のモデルとなる改革をやった。
上杉鷹山その他みんな
重賢のやり方を見習って
教育改革などを進めたわけですね。

細川幽斎なんていう人は、
『源氏物語』の研究家でもあり、
古今伝授をものし、
『伊勢物語』も書き写したりなんかしてますけど、
彼は夜、本を読む油がなくて、
近くの神社にお灯明を失敬しに入るんですね。
そういうことなら神様も
許してくださるだろうというので失敬したら、
神主さんに見つかって捕まっちゃった。
捕まえてみたら、
なんと日頃お付き合いのある
幽斎さんだったもんだから、
神主さんもびっくりして
「どうしてこんなことを」と。
「いや、じつは本を読むのに
 油がなくなったもんだから、
 ちょっとお灯明を失敬しに来た」というので、
「そんなことならちょっとわけて差し上げますよ」って、
神主さんが分けてくれるわけですね。
そうやって彼は勉強して
いろいろやったという話ですけど。

代々ずっとそういう時代が続いてるもんですから、
本当に祖父の時代だけが
少しものを集めることができたと言いますかね。
糸井 歴史上の人物であるということと
豊かであるということは一致しないんですね。
細川 そうですね。
糸井 どうして一致するって、
僕らは簡単に考えちゃうんでしょうね。
知らないからですね。
知らないって、そういうことなんですね。
細川 あまり豊かになることも意識してなかった。
それも望まなかったんですね。
糸井 それは敢えてそちらの?
細川 敢えてそちらの道を。
貧とは言いませんけど、
なんとかそこそこに暮らしていける程度の、
そのほど良いところって、
これもさっきの距離感の話ですけど、
そういうことをやっぱり
幽斎なんかはよく意識してたようですから。
糸井 そういうのを政(まつりごと)と言うならば、
政治というのは熱くないですね。
平熱ですね。
細川 そうですね。そういう哲人政治ですね。
糸井 そういう政治というのがあり得るかもしれないと、
細川さんがちょっと思った時期が
あったのかもしれないですね。
細川 ありました。はい。
糸井 そういうことなんですね。
昔おっしゃってたことを今思い返すと、
──そういうことか!
通じなかったんですね。
細川 通じないですね。ちょっとね。
そんなことは、
今どきはあり得ない話だと決めてかかられる。
糸井 趣味に聞こえちゃうんでしょうね。
細川 そうです。
たぶん、だと思います。
糸井 それじゃ、今鳩山さんが
おっしゃってることとかも
細川さん、もしかしたらちょっと、
「ああ、それはそういうことを言いたいんだな」
って、おわかりになりますか。
細川 いや、わかりませんね(笑)。
糸井 わかりませんか。
細川 まったく理解できませんな。
糸井 そうですか。僕らもわからないように、
わからないように政治を見ている、
というところがやっぱりあるんですね。
俺にわかるようにしてくれという気持ちが
きっとあるんで。
だから今聞いたら、
細川さんが昔考えてたことを、
今わかってどうするんだという。
細川 いや、だけど今やっぱりそう申し上げたって、
なかなかわかってはいただけないと思いますね。
それは本当の理想的な政治の姿であって、
とても今頃そんなこと、
何を寝ぼけたことを言ってんだって
言われちゃうだけだと思いますね。
糸井 政の中に宗教の要素が入らないと
成立しないですよね。
つまり尊敬であるとか、崇拝であるとか。
細川 哲学的な要素かもしれませんね。
でも、それをやるためには
自分が本当に貧に徹しないとダメですね。
こんな美術館なんかにいるようじゃダメです。
これ、ここにいるだけで、別に財団法人ですから
私が持ってるわけじゃないんですけども、
やっぱり細川さんとこは
たくさんお宝があってと思われますからね。
それだけで成り立たない話ですね。
糸井 お宝のある人っていうふうに、見えますよね。
細川 ええ。だからそれじゃ哲人政治は成り立たないんですね。
全部すってんてんになるぐらいになって、
着のみ一枚、鍋一つというぐらいの感じで
政治をやると言うんだったら
説得力があると思いますけどね。
糸井 昔、僕は寓話みたいな
短い文章を書いたことがあるんですけど、
いちいち「まだお前は足りてるじゃないか」
と言われるごとに手を一本切り落とし、
目を一つつぶし、とやっていかないと、
たぶんその人の本当の納得って
得られないじゃないかと。
その説得力って、さらに要求されると
死んじゃうしかないんですよね。
消えちゃうしかなくなって。
そうすると、それはどっかで
観念論になってたんだな‥‥と思って。
細川 確かに。
糸井 距離感ですよね。
細川 そうですね。でも、
それをかなり徹底してやれば、
なんていうのか、少しは何か
できるかもしれないという期待は、
まだほんの少しだけれども
あることはある。
糸井 表現として貧のそぶりというのは、
高得点をあげるということを
みんなもう知ってますから、
政治家の方々がやってるのは
キャンペーンとしての貧ですよね。
あれで「騙されまいぞ」と。
細川 すぐ嘘だと見抜かれてしまうような演技はだめですね。
糸井 「騙されまいぞ」ということを
訓練してきた人達が
今はずっと残っちゃってるから、
聞こえないんでしょうね。
細川 聞こえないですね。
でも本当にある程度貧だったら、
それは本当にそうかもしれません。
それは違ってくるかもしれませんね。
糸井 自分が貧でありながら
人は豊かに生きたいということを
認めるという心が同時に必要になるわけで。
「いいもの、買ってもらったね」と言いながら
自分は持ってないという政治家ですよね。
それはもうきっと大昔から
ずっと考えてた問題なんでしょうけど。
細川 そうですね。でも、
北条泰時なんかはそういうことで、
細川重賢と同じように、
本当に貧乏たらしい生活をして、
破れ畳のあばら屋にいて、
本当にご政道に浸りきって、
四六時中そのことを考えていて、
桜の花も、
いつ咲いていつ散ったのか
全然気づかなかったという、
そういう歌を残しています。
襖を開けてみたらいつの間にか
全部桜は散っていた、
こんなことも気がつかないうちに
ときが経ってしまったかという歌ですけど。
そういう人はやっぱり
哲人政治家に近い人だと思いますね。
上に立つ者が自ら範を示す。
そういうところに行くと、
それは本当に説得力が
出てくるのかもしれませんけどね。
糸井 その説得力でなし得る範囲というのも
きっと今と昔とでは違うでしょうし。
また新しいひっくり返し方をしようと思えば、
いくらでもなんでもできるし。
その意味では人のできることに
限りがあるということを知るのもきっと‥‥。
(つづきます)


2010-05-24-MON