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ほぼ日刊イトイ新聞

2025-02-16

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・「失敗は成功のもと」ということばは、
 だれでも知っているのだけれど、
 なかなか人は「失敗」を許さないし、
 成功のもとであるような「失敗」の効果を信じない。
 こんなことを言っているぼく自身にも、その傾向がある。
 ほとんどすべてのものごとは、
 「失敗」の積み重ねや「失敗」のおかげの飛躍によって、
 次の次元の「成功」に至っているのである。
 そういう意味では、ちょっと余計に「失敗をしろ」と
 あえて思っているくらいでちょうどいいのだと思う。

 「失敗」にともなうリスクが大きいこともよくわかる。
 だから、じぶんが「失敗」したくないのも当然だ。
 そんなとき、歴史のなかにいる人たちがしてくれた
 「失敗」の例がたくさんあることを教えられる。
 これは、とてもありがたいことだ。
 また、どれくらいまで「失敗」してもいいかを
 わかっていれば、じぶんたちにも「失敗」ができる。
 これも、とても大事なことだと思うのだ。
 いまの社会では、なにかのプランが立ち上がるときに、
 それがどれほど「失敗」しないかの保証を要求する。
 つまりは、「失敗」しない設計図を見せろというわけだ。
 この繰り返しでできている社会では、やがて行き詰まる
 (わかったようなことは言えないけどさ、
 実際に行き詰まってるじゃないですか、いまの社会って)。

 クイズ番組で、たくさんの解答者のなかに芸人さんがいて、
 「いい不正解(ボケ)」を答える構成がある。
 視聴者が簡単に正解を出せるような問題でも、
 しっかりとおもしろい不正解を答えるのは「芸」である。
 それは正解を答えるよりむつかしいし、
 いつも「いい不正解(ボケ)」が出せるわけでもない。
 三択の問題で、正解以外の「いい誤答」を考えることは、
 問題そのものの品質をよくする。
 どちらも「失敗」のクリエイティブである。

 「失敗」をするための「失敗」では意味がない。
 しかし、「失敗」はなによりも大事な条件でもある。
 そのふたつの矛盾を考えたときに、どうすればいいのか。
 ぼくなりの答えは「めげずにトライする」である。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「トライ(試みる)」とは「変化する」ということでもある。


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