お気に入り記事の保存はアプリが便利!

ほぼ日刊イトイ新聞

2024-10-15

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・日曜日、ムエタイの吉成名高選手の試合を観戦に行った。
 吉成名高の試合は、観戦というよりは、
 「鑑賞する」と言いたいくらいのなにかがある。
 ムエタイの大会は、だいたいは数試合か
 多いときには10試合くらいが続けて戦われるものだ。
 最後のメインイベントが吉成選手の試合だから、
 それまでに若手の選手たちの戦いを何試合も見る。
 ぼくの隣りの席が格闘技ドクターの二重作拓也さんなので、
 彼の経験や知識をあてにして、
 ついついぼくは目の前の試合のことを質問してしまう。

 一方的に攻撃されていて、負けそうな選手のことを聞く。
 「この選手は、ここから、どうすればいいんでしょうね?」
 敗色濃厚だが、まだ倒れていないという状態のときだ。
 「なにか、ここでできることはあるんでしょうか」と。
 ぼくの心のなかでは、半分は「どうしょうもないか?」と
 あきらめに近い気持ちになっていることが多い。
 しかし「ぼくなら、あきらめてしまう」ような状況を、
 当事者として戦っている選手は、
 どういうふうに打開していくのかが知りたくなるのだ。
 格闘技の選手であり医師でもある二重作さんなら、
 なにか方策を見つけるのではないかと思うのである。
 二重作さんは、その場合に応じて、
 その選手の取るべき方法について考えてくれる。
 ときには、「ちょっと方法がない気がしますね」などと、
 つらい答えになることもある。

 「負けが決まってるように見える」人が、
 勝つ方法があるとしたら、どういうことをすればいいのか。
 よく考えると、ぼくは、いつもその質問ばかりしている。
 たいていのスポーツでもそうだし、ビジネスや仕事のこと、
 このまま順当に(?)負けちゃうんだろうか、
 それとも、なにかしらでもできることがあるのか? 
 できることがあるとしたら、逆転できる、かもしれない。
 そういうことを考えるのがクセになっているらしい。
 しかし、だいたい敗色濃厚という状況は、
 なかなか覆されることが少ないのも、よく知っている。
 ただね、負けるだけじゃなく「なにならできるのか?」を
 考えるって、「おもしろい」ことだとも思うんだよね。
 あんがい、「しつこい」って「おもしろい」んだよ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
さっさと負けて「次」を考える、という「しつこさ」もある。


ここ1週間のほぼ日を見る コンテンツ一覧を見る
ほぼ日の學校
吉本隆明の183講演
ドコノコ
ほぼ日アプリ
生活のたのしみ展
TOBICHI東京
TOBICHI京都