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ほぼ日刊イトイ新聞

2024-07-21

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・祖母から教わったのだと思うのだけれど、
 「七度探して人を疑え」ということわざがある。
 これについて、いままでにも何度か書いたかもしれない。
 「七度探して人を疑え」と言われたのは、ぼくだ。
 子どものころのぼくが、なにかのことで人を疑ったのだ。
 簡単に決めつけて、人を疑ったときに
 こう言われて叱られたのである。

 いまになると、よくわかるが、
 人は、七度も探すことなく人を疑うものである。
 ドラマを見ながら、「あいつが犯人だよ」とか
 おたのしみで疑っている分にはなんの問題もない。
 しかし、現実に金品が失くなったりしたときに、
 じぶん以外のだれかが盗ったのではないかと
 疑ったりすることは、浅からぬ罪ではあるはずだ。

 正直に言うが、小学生のころに祖母に叱られたぼくは、
 その後、大人になってからも簡単に人を疑ったことがある。
 思い出すのは海外のホテルで時計を失くしたときのことだ。
 七度探すこともなく、部屋の掃除に入った人を疑った。
 そのときは、こころのなかで疑っただけだったので、
 大事にならないで済んだけれど、
 結果的にじぶんの不注意だけが原因だとわかったとき、
 見知らぬ人を疑ったことを強く恥じた。

 なにかの事件のニュースを見れば、
 そこで伝えられた情報だけを知って、
 簡単に犯人を予想したり、陰謀を想像したりする。
 それを、けっこうたくさんの人がやっている。
 クイズ番組でもない、現実のニュースのなかに、
 軽い気持ちで悪人を探し出して、
 推理ゲームのついでに断罪したりもする。
 「七度探して人を疑え」と何度じぶんに言い聞かせても、
 ぼくもいまでも、そういうことをしていることがある。 
 「だまされっぱなしのお人好し」にはなるまいと、
 みんな、疑うことばかり上手になっているのかもしれない。
 たぶん、たいていの人が経験していると思うのだ。
 安易に人を疑ったけれど、それがまちがっていたことを。
 「ちょっとだまされているくらいで丁度いいんだよ」
 と、祖母のことばには、そういうのもあったっけ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
損だけはしたくないと思う気持ちが、幸福を取り逃すのかも。


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